「我ら役者は影法師、

皆様方のお目がもし

お気に召さずばただ夢を

見たと思ってお許しを」

ウィリアム・シェークスピア「夏の夜の夢」小田島雄志訳

「ぼくは自動的なんだよ。周囲に異変を察知したときに、

浮かび上がってくるんだ」

上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』

 これは、贖罪と救済とが通奏低音のように響き渡る十二の作品からなる、珠玉の連作短篇集です。愛ゆえに生じる哀しくも心温まる犯罪の謎を、人生の機微に通じた探偵が解きほぐす。美しく切ない大人の男女の愛の物語であると同時に、人生の厳しさ、残酷さを実感させられる小説であり、探偵の存在意義という、ちょっと堅い命題にまで思いをはせてしまう、そんなミステリでもあります。その訳は、実は探偵役の設定と密接に絡んでいるのです。

       一

 ポアロやマープルを筆頭に、トミー&タペンス、パーカー・パインといった、クリスティーが生んだ個性的な主人公たちはおろか、古今東西の名探偵と比べてみても一際異彩を放つ不思議な「探偵」、それがハーリ・クィンです。

 なぜか。それは彼がこの世の人ではないからです。といっても、幽霊や生き霊、ましてや異星人などではありません。そういうある意味で、わかりやすい存在ではないのです。長身痩躯。浅黒い肌に黒い髪が、やや外国人ぽい印象を与えますが、見た目はごく普通の英国人青年です。外見的にはなんら変わったところはありません。

 問題は中身。事件現場に、常に突然現われては、事態が収束するやいなや、唐突に退場してしまうのです。それも、海からあがってきたかのように断崖絶壁の端に立ったり(「海から来た男」)、つい今しがたまで誰も座っていなかったはずの椅子から立ち上がったり(「死んだ道化役者[ハーリクィン])というように、およそ物理的に不可能なはずの場所から現われ、消える。まさに時空を超越した超自然的存在。それが本書の「主人公」、ハーリ・クィンなのです。

 そんな不思議な存在ですから、彼には通常の意味での依頼人はいません。ではいったいどんな時に登場するのかというと、そこには明確な条件があります。それは、”愛し合うものたちが危機に陥り、ほっておけば破局が訪れることが避けられない場合”です。しかも、事件が発生する前に、舞台に登場することも珍しくありません。どう考えても、予知能力があるとしか思えない摩訶不思議な存在なのです。

 ここまで読んできて、なるほど、恋人たちが窮地に陥ると、どこからともなく現われて、見事な推理で快刀乱麻を断ち、真相解明して彼らを救う、愛の救済者的超人名探偵なのか、と思った方がいたとしたら、残念ですが間違い。なぜならハーリ・クィンは、推理ということをしないからです。それどころか、探偵ならば最低限すべき具体的な行動——証言を聞き、証拠を集め、真相を解明し、犯人を指摘する——を、まったくと言っていいほど行ないません。一体じゃあ何をするのか。彼が行なう唯一のこと、それは”示唆”です。

          二

 人生というドラマにおいて、舞台の隅から、俳優たちにあれこれと指図し、男女の愛憎劇を彼らにとって最善と思われるクライマックスへと導く、時空を超越した演出家。それこそが、ハーリ・クィンなのです。そして、その際、彼が自らの代理人として目を付けたのが、初老の英国紳士サタースウェイト氏でした。

 氏は、美術と演劇のパトロンであり、上流階級に顔が利き、英国のみならず欧州各国の社交界でも名の知られた一角の人物ですが、決して華やいだ存在ではありません。むしろ地味なタイプ。主立ったハウスパーティーの招待客リストに常に名前が載っているものの、最後の一行が指定席です(人気週刊誌の巻末広告みたいなものですね)。誰でも親しいけれども、ある限度を超えた深いつきあいには至らず、相手もそうなることを期待しない安全パイ。

 仮に神がいたとして、人間たちを使ったドラマを愉しもうと思ったときに、外すわけにいかないのでとりあえず登場させるけれども、決してスポットライトをあてることのない、いわば、永遠の脇役とでもいいましょうか。

 そんな目立たない氏に、一体なぜクィンは、探偵役をやらせようとするのか。それには、サタースウェイト氏の嗜好が大きく関係してきます。

 氏の一番の愉しみ、それは、人間ウォッチングです。自らが主役をはることはないと悟っている彼ですが、それ故に、他人の演じる悲喜劇に異様に興味を持ち、”人生というドラマの熱心な研究家”を持って任じています。

 有名人と知り合い、ともにリヴィエラで過ごすのが好きと認めているように、英国社会特有の所謂”俗物(スノッブ)”なのですが、その一方で、若い人たちに興味があり、恋に悩んだり、窮地に陥っている若者たちを見ると、なにかしてやりたくてたまらなくなります。

 長年、「面前にくりひろげられる、さまざまの人生ドラマを間近に見物して」きた、いわばプロの観客である氏は、”特別な勘”を持っていて、芝居の種になるもの、即ち、男女の愛憎劇が身近で進行していると、本能的にわかるのです。この特別な勘は、長い人生経験により培われた、人間性に対する鋭い判断力と観察力に根ざしたものです。その上、ミステリ愛好家でもある氏は、まさに、ハーリ・クィンにとって、うってつけの代弁者だったのです。

(つづく)