第10回「自白を引き出すアメリカ流「落とし」の達人の活躍を描く「クローザー」

 確か、前にも書いたと思うのですが、アメリカの地上波テレビドラマは、毎年9月に新シーズンが始まって翌年の5月に終わります。つまり、6〜8月のあいだはお休み中なわけです。

 「夏はどこか外に出かけてきなさい」という文化的な伝統が背後にあるということですが(学生はもちろん、勤め人もサバティカル(長期休暇)をとることが多いらしい)、ヒットした番組は延々と何年も放送するというアメリカのテレビにおいては、この数ヶ月の「お休み」は、出演者やスタッフの休養はもちろん、番組のマイナーチェンジや新機軸の仕込みなどの期間として、有効に機能しているようです。

 もっとも、視聴者のほうの実態としては、夏のあいだ中、ずーっとふらふらしていられる人なんて所詮は少数派なわけで、たいていの人は「あー、テレビつまらん」とか言って過ごしてるわけ。

 そこに目をつけたのがケーブルテレビ局。元々予算も少なく、話数も少ない(地上波局のドラマが1シーズン20〜25話なのに対して、ケーブル局のドラマは1シーズン10〜13話が基本)ドラマを、夏休み期間中に放送して、地上波に対抗しようとしてるんですね。

 ケーブル局のドラマは、物量では地上波のドラマに圧倒されていますが、地上波よりも小さなマスのお客さんを相手に、自由に作品を作ることができるため、内容がより過激だったりシリアスだったりしており、作品としての評価が非常に高いものが続出しています。

 その証拠に、エミー賞(テレビ界のアカデミー賞みたいなもの)の候補作品を、近年ではケーブル局のドラマがほとんど独占しかねない勢いなのです。

 そんなケーブル局オリジナルのドラマの中から今回は、日本でもすでに紹介が進んでいる刑事ドラマ「クローザー」を取り上げたいと思います。

「クローザー」の主人公ブレンダ・リー・ジョンソンは、ロス市警に新設された殺人特捜班のチーフとして、アメリカ南部のアトランタからやってきた40代の勝ち気な女性。

 抜群の推理力を持つのはもちろんのこと、彼女の強烈な才能は、番組タイトルでもある「クローザー」としての能力にあります。これは、犯人の自白を引き出して捜査を終了させる(だからクローザー=終了させる者と呼ばれる)、日本で言えば「落とし」の才能のこと。ただし、情に訴えたりひたすら粘ったりする描写が多い日本の刑事ものの「落とし」と、ブレンダの尋問テクニックはまさに正反対。論理性と意外性に満ちた罠を仕掛け、犯人を追いつめていくのです。

 このドラマがおもしろいのは、ミステリとしてのおもしろさ(犯人の意外性、そしてブレンダが犯人に仕掛ける罠の意外性)はもちろんのこと、ブレンダを始めとする登場人物たちの人間くささにあります。

 ブレンダはものすごく頭が切れるわりに、一方で情にもろく、怒りっぽくて気分屋で、いつも年齢を気にしているくせに、甘いものに目がなくて食べるのをやめられない、愛すべき「困ったちゃん」な人だし、上司も部下たちもひと癖もふた癖もある連中ばかり。

 彼らが、徐々にチームとして結束を強めていくところも、シリーズの見どころの一つです。

 白人のプロベンザとフリン、黒人のガブリエルとダニエルズ(こちらは女性)、アジア系のタオにヒスパニック系のサンチェスと、人種が見事にばらついているところも、人種のるつぼであるロサンゼルスらしいところ。

 さて、ロス市警と言えば、映画「チェンジリング」、ワッツ暴動、ロドニー・キング殴打事件、ロス暴動等、警官の不正と人種差別が過去に何度もクローズアップされ、イメージが悪いことこのうえありません。

 その反動もあって、近年では雇用基準が厳格化、警官の数が他の大都市と比べて明らかに不足しているといいます。

 ちなみに、ウィキペディアの記述によれば、現在のロス市警の人種分布は、白人がおよそ46%、ヒスパニック系が33%、アフリカ系が14%、アジア系および南太平洋諸国出身者が7%程(2008年1月現在)なんだとか。「クローザー」のメンバー構成とは比率がちょっと違いますね(笑)。1/3がヒスパニックというのも、ロサンゼルスらしいです。

 ところで、ロス市警の警官たちが登場する現代ミステリと言えば、前にご紹介したジョゼフ・ウォンボーの『ハリウッド警察25時』等の諸作、それに言わずと知れたマイクル・コナリーの「ボッシュ」シリーズなどがあります。

 ですが、今回ご紹介したいのは、あえてそれらではなく、ロサンゼルスの街の描写が一際リアルな作家夫妻の作品なのでした。

 それは、ジョナサン・ケラーマンの「アレックス・デラウェア」シリーズと、フェイ・ケラーマンの「リナ&デッカー」シリーズです。

 ロサンゼルスで生まれ育ったユダヤ人という経歴を持つこの夫婦は、どちらも自らの生まれや育ちを作品に存分に盛り込むことで、作品のリアリティを高めています。

 特に、フェイの「リナ&デッカー」シリーズは、アメリカにおけるユダヤ教徒(=異教徒)のアイデンティティの在り方という、日本人から見ても大変興味のある(しかも、あまりわかっていない)問題が中心テーマとなっているところが、実におもしろいのでした。

 また、ジョナサンのほうの「アレックス・デラウェア」シリーズは、心理学を用いた異常心理ものスリラーの先駆けの一つとでも言うべき作品(1作目は1985年発表)で、臨床心理学者でもあるジョナサンの専門知識が縦横に用いられていて、説得力が高いのが売りです。

 一方で、両シリーズとも主要登場人物がロス市警の警察官(「アレックス・デラウェア」シリーズは主人公の親友がゲイの刑事、「リナ&デッカー」シリーズは主人公の一人デッカーが刑事)であり、彼らの捜査活動を通して、ロサンゼルスに住むさまざまな人種や階層の人々の暮らしぶりがリアルに描かれているところも良いのです。

 中でも、登場人物たちが街の中を移動しているときの描写など、ロサンゼルスに住んでいる人には、彼らがだいたいどのあたりにいて、何を見ているのかがわかるようになっていて、そこがストーリーのリアルさを増しているように思います。

 妙に大仰な描写で街を「神格化」したりするようなこともなく、ありのままのロサンゼルスの姿を描いているところも非常に好感が持てます。

 これほど、ロサンゼルスという街に密着した(ま、時々は他のところに旅行に行ったりもしますけどね)ミステリもなかなかないのではないでしょうか。

 ちなみに、この夫婦の息子であるジェッシー・ケラーマンも、最近ミステリを書き始めてて、順調に著作数を増やしています。いやー、ものすごい一家ですなー(ちなみに、日本語版ウィキペディアでは「長女ジェシー」ということになってますが、れっきとした男です。ロバート・B・パーカーのキャラ、警察署長ジェッシー・ストーンと同じで、男の名前なんですよね>Jesse)。

 ジョナサンのほうは『マーダー・プラン』(2000)、フェイのほうは『蛇の歯』(1997)までしか訳出されていませんが、シリーズはどちらもたくさん出ていますし、シリーズ外作品の中には夫婦で共作したものもあったりするので、ぜひとも日本語で読みたいところですが……、この二人、日本じゃあんまり人気ないのかなあ? おもしろいんだけどなあ。