第11回「捨て身の高校教師が悪の道にずぶずぶとはまり込んでいく、
黒い笑いに満ちたドラマ『ブレイキング・バッド』」
前回、「最近のエミー賞はケーブルテレビ局製作のドラマが強い」というような話を書きましたが、先日のエミー賞授賞式でも、コメディやリアリティショーはともかく、ドラマ部門は連ドラもテレビムービーもやっぱりケーブル局が強かったです。
特にドラマシリーズ部門は、ここ数年「マッドメン」と「ブレイキング・バッド」が圧倒的な強さを誇っていて、今年もバンバン賞を取りまくっていましたが、そんな中、前回紹介した「クローザー」で、主演のキーラ・セジウィックが主演女優賞を取ったのは、ファンとしては大変嬉しい出来事でした。
というわけで今回は、エミー賞取りまくりで、批評家からも視聴者からも大人気のブラックなドラマ「ブレイキング・バッド」を紹介したいと思います。
このドラマの主人公、ウォルター・ホワイトは平凡な高校の化学教師。妊娠中の奥さんと身体麻痺の長男を抱え、教師の薄給でつましく暮らしている普通のオジサンでした。
ところがある日、彼は末期の肺がんだと宣告されてしまいます。余命は2年。家族も含めて誰にも打ち明けないまま、一人悩みに悩んだ彼は、残された家族に充分なお金を残すため、とんでもないことを始めてしまいます。
それは、覚醒剤の精製と販売。つまり、麻薬の密造及び密売という重犯罪に手を染めてしまうのです。
かつての教え子で、今は街でちんけな麻薬の売人をしていた若者を見つけて仲間にすると、化学教師として身につけていた知識をフル活用してメタンフェタミンを製造、相棒である若者のツテを使って売りさばき始めます。
ところが、家族の今後のために必要な額を稼ぐだけ(その額を緻密に計算しちゃうところが、理科の先生というか、小市民というか)、と思って始めたものの、街の麻薬売買を仕切るギャングとの交渉から、次々に事態は悪い方へ転がり始め、二人は思いも寄らない悪の深みへとはまり込んでいってしまうのでした。
生き残るためには、非情な悪党に徹するしかない。警察の追求を逃れ、金の匂いに群がってくる悪党たちを退けていくうち、高校教師と街のチンピラのコンビは、徐々に大物のワルへと、本人の意志と関係なく変貌していってしまいます……。
なんたって恐いのは、最初はただの冴えないオジサンだった主人公が、がんの進行と抗がん剤の投与のおかげで、みるみる頭髪が抜け、やせこけていきながら、どんどん悪人顔に変貌していくところ。主役を演じるブライアン・クランストンの鬼気迫る演技はまさに見もので、3年連続でエミー賞のドラマシリーズ部門主演男優賞を受賞しているのも当然だと思えてしまいます。
困っちゃうのは、このドラマ、他に類を見ない感じで、似たようなミステリ小説がなかなか思い浮かばないんですよね。
『悪党パーカー』シリーズ、もしくは『リプリー』シリーズ、はたまた『ハンニバル・レクター』モノのような根っからの悪人の話でもないし、カトリーヌ・アルレーの悪女ものみたいなどシリアスでもなければ、『ドートマンダー』シリーズみたいなコメディでもないという、なんとも分類のしようのない、一種独特な感じがすごいわけですが、逆に言うとオリジナルすぎて、同じような作品がなかなかないのです。
あえて言うならスコット・スミスの『シンプル・プラン』をもっとブラックで乾いた笑いで包んだようなというか、もしくはコーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』からあの恐るべき殺人鬼アントン・シガーを抜き去ったようなというか。
うーん、違うな。なんせ、「ブレイキング・バッド」の主人公たちは、今もまだ現在進行形で悪の泥沼でもがきまくってて、どんな形でエンディングを迎えるのか、まだ全然見えてこないですし。
伝わるかどうか自分でも自信がないのですが、言い方を変えると、起こってる事件そのものはムチャクチャ過激なのに、その周辺に「日常」をべたーっと塗り込めちゃうことで、物語につきものの「劇的な何か」を極力排除してるんですよ>「ブレイキング・バッド」。
論より証拠。日本でもちょうどDVDが出始めているので、どれくらい独特の犯罪ドラマなのか、ぜひとも自分の目でご確認ください。