これまでに「三次元の男に興味はない!」だのなんだのと書いてきましたが、このゆがんだ恋愛感というか趣味はいつごろ生まれたのか、と思い返してみると、すでに中学生のころから、わたしはそんなようなことを言っていたのでした。

 偶然、書店で手にとった『シャム双生児の謎』を読んで以来、エラリー様の頭のよさにすっかり夢中になって、学校の休み時間のあいだじゅう、クィーン作品をとっかえひっかえ読みながら「エラリー様の嫁になる!」とイタいことを公言していましたよ、そういえば。

 あったんだね、三十年前から厨二病って……

 どうしてホームズでもなく、ルパンでもなく、ピンポイントでエラリー・クィーンの嫁になりたかったのか覚えていませんが、とにかくどんな難事件でも推理と消去法で犯人を捕まえる、という頭のよさに惚れてしまったのは間違いありません。

 なら、別にポワロでもいいはずなんですけどね。

 ポワロの嫁になりたいと思ったことは……ないですね。

 いまにして思えば、クィーンやホームズやルパンは、わたしにとっては、児童文学からおとな向けの本への橋渡しをしてくれた作品群でした。いまのようにラノベもなく、ようやくコバルト文庫が出てきて、児童書の次のステップの本が少しずつ増えてきた時期でした。

 たしかにクィーン作品の内容は難しいといえば難しいですが、推理小説って結局はクイズ本みたいなものですよね。

 犯人は誰だ、とか。どうやって殺した、とか。

 そういう意味では、子供にとってわかりやすいジャンルだったんだと思います。しかもクィーンは「読者への挑戦状」なんてものまでありますし(笑)。

 だから、新しいクィーン作品を買ってもらうたびに、「今度こそ犯人をあててやろう!」とわくわくしながら読んだものです。いまの子たちがコナン君を読むような感覚ですかね。

 そして、クイズ本というものは、一度読んで犯人を知ってしまうと、なかなか読み返すものではないと思うんですが、わたしはクィーンの本を何度も何度も、それこそぼろぼろになるまで読み返していました。

 EQFC(エラリー・クィーン・ファンクラブ)の例会に、クィーンの本を持参すると「それ、古本屋で買ったの?」と必ず訊かれます。

 違うよ。この醤油のしみは、肉まんを食べながら読んだ時についたの! この黄色いのはカレー! あと、誰も触りたくないくらい真っ黒なのは、全部手ずれのあとだから!

 一読して犯人を知ったあと、何度読み返しても飽きなかった理由は、やはりキャラクターが魅力的だったからですねー。

 エラリーさんはもちろんスマートな名探偵だし、お父さんのリチャード・クィーン警視は親馬鹿なすてきパパだし、警視の片腕のヴェリー部長は肉体派で頼もしいおじさんだし、ジューナはかわいいし、ニッキーはかわいいし、プラウティ先生もかわいいよ!

 そして、当時は海外旅行に行くなんて超お金持ちのすることで、もちろんインターネットもありませんでしたから、翻訳もので知る外国の文化というのが、珍しくてたまらなかったんだと思います。

 バターミルクってなに?

 リコリスキャンディっておいしいの?

 アメリカでは象牙の爪楊枝を使うの?

 パンスネってどんなもの?

 その二十年後に、バターミルクは飲みなれないと辛い、とか、リコリスキャンディは激まず……い、いや、ちょっと口にあわなかった、とか、現実を知るまで、「きっとステキな食べ物に違いないわ。おいしそー」と夢見ていました。

 こうして思い返してみると、わたしは翻訳ミステリ、というかエラリー・クィーン作品を、

1 クイズ本として、

2 大好きなキャラクターがたくさん出てくる物語として、

3 アメリカ文化を知る窓口として、

愉しんでいたわけですね。もしかすると、翻訳ミステリの愉しみ方の原点って、こんなもんかもしれないですねー。

 しかし、時は流れ、おとなになって、ある程度、自由になる時間とカネを手にいれたわたしは、翻訳ミステリの別の愉しみ方に開眼しました。

 そう。聖地めぐりのバイブルとして!

 ロンドンに旅行する前に、いろいろな友達に”ロンドンのおすすめ観光スポット”を訊いたら「あんまりない」「ビッグベンとテムズ河」「一日で見終わる」と口々に言われて終了だったのですが、そんなことはないぞ。

 ホームズ博物館に行って、小説に出てくる場所を回って、ピーター卿ゆかりのホテルを見に行って、ローストビーフ食べて、クリスティが滞在したホテルでお茶して、スコットランドヤードの前で写真撮って、なんてやってたら、何日あっても足りないじゃないですか。

(ちなみにクリスティのブラウンズホテルのティールームは、9割が日本人だったので、情緒はいまいちでした。トイレがとてもゴージャスだったのが、よい思い出)

 しかも、いまあげたのは初級コースで、もっともっと濃いコースを追求しようと思えば、時間なんていくらあっても足りないし。

 おまけに歴史ミステリも好きなわたしは、ロンドン塔だの古いお城だので、同行者を無視して何時間でもトリップできてしまうし。

 そして、翻訳家なんてやってると、自分の訳している本についてかなり深いことまで調べるので、「実際にここに行ってみたい」「これを食べてみたい」というネタを、仕事をしながらいくらでも見つけられるのが役得だったりします。

 ただ、わたしの趣味は妙に偏っていまして。

「時間があったらテートギャラリーに行こう!」と思ったのは、美術品が見たかったからではありません。

 そこがかの悪名高きミルバンク監獄の跡地だからです!

「うーむ。あと、恐怖のホースマンガーレイン監獄の跡地にも行きたいが、むかしの地図と照らし合わせてみると、特になにもない広場みたいだし……」

 ミステリファンではない同行者をだましてつれていけるのは、テートギャラリーが精一杯だな、と地図にぐりぐりとしるしをつけて、いざロンドンに行ってみれば、うっかりハロッズでクマを買うのに夢中になっていたせいで、時間切れになりましたが。うう、テディベアの破壊力つよし。

 まあ、次回のおたのしみとして、このネタはとっておこう。

 とりあえず、めざす監獄の跡地にはいけなかったものの、やはり監獄として使われていたロンドン塔に行った時には、「おおお、ここから囚人を入れていたのか」「あの部屋に監禁されていたのか」「本物の監獄の石の階段だ!」と興奮しまくっていました。

 霊感のないわたしに怖いものはない。

 直前に『半身』、『荊の城』を訳したばかりだったので、存分に監獄を満喫できたのですが、読んでくればよかった、と後悔したのは『時の娘』です。おおむかしに一応、読んだ記憶はあるものの、何ひとつ覚えておらず、ロンドン塔のイヤホンガイドを聞いても歴史の教科書の記述をうっすら思い出した程度で、こう、もっと、臨場感というか、あまりぴんとこなかったのが残念。

 これはもうリベンジで、ロンドン塔とテートギャラリーに行くべく、再びロンドンに飛ぶしかない!

 それにロンドンには、あのとてもすてきなリチャード・アーミテージ氏がいらっしゃるんですよ!(美形RA氏は新ミス・マープルの『無実はさいなむ』にもご出演です)

 もしかすると、道端でばったり会って、サインなんかもらえちゃったりするかもしれないじゃないですか! ああ、まかりまちがってハグされちゃったらどうしよう。

 それにそれに、あの馬に乗ったガイ・オブ・ギズボーンのフィギュアだって買えるかもしれないし(まだ欲しいのか)。

 それは冗談ですが(説得力ないですかね)、こんな翻訳ミステリ小説聖地めぐりツアーの愉しさを教えてくれたのは、若竹七海さんの『英国ミステリ道中ひざくりげ』です。

 ロンドン旅行では、この本を参考にあちこち回ったりしました。次に旅行するまでに、ここでとりあげられているミステリをもっと読んでおきたいです。

 翻訳ミステリをたくさん読むと、海外旅行がとても楽しくなりますよ! おいしいレストランとか、実在の場所がわりと多いので、ガイドブックとしても使えますし。

 おお、いままでアホなことばかり書いてきたのに、最終回はわりとまともな締めになったわ。

 というわけで(なにが?)、今回でわたしのへろへろエッセイはおしまいでございます。いままで呆れながらも読んでくださって、どうもありがとうございました。

中村有希(ナカムラ ユキ)

1968年生まれ。1990年東京外国語大学卒。英米文学翻訳家。

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