翻訳という作業は、じつに大量の根気を消費する。

 想像してみてほしい。手書きでも、ワープロやパソコンを使ってでもいい。本を一冊、まるまる書き写すとしたら……ね、少しばかり根気がいりそうでしょう? そこに「翻訳」という手間を(これがまたけっこうな労力だ)加えたら、「少しばかりの根気」は一気に「相当な根気」に格上げだ。

 私はその根気が勝負の仕事をここ十数年、なかなか根気よく続けているわけだけれど、何を隠そう、子供のころは成績表でかならず「根気が足りない」と指摘されていた。だからずっと「自分は根気のない飽きっぽい人間だ」と信じていた。

 でも、この仕事を始めてからふと思った。あのころ根気を出し惜しみしたおかげで、いまこうして在庫がそこそこ潤沢に残っているのかもしれない。

 しかし、どんなことにも上には上がいる。

 たとえば、うちの猫。

 どんなおもちゃを買ってきても10秒も遊んだら飽きるのに、しかも高かったやつにかぎって3秒とかからず飽きて破壊するのに、いつもの時間が過ぎてもおやつやゴハンが出てきそうにない、あるいは飼い主が寝る支度を始めるそぶりを見せないと悟るや、たちまち根気怪獣に変身する。

 前足をきちんとそろえて正座し、何分も、何十分も、ただひたすらじっと飼い主を見つめるのだ。まばたき一つせず、身じろぎ一つせず、「ゴハンよこせ」光線だの「もう寝るぞ」ビームだのを一点集中で照射し続ける。その根気と集中力ときたら、まさに底なしだ。

 飼い主vs.飼い猫。壮絶な根気合戦。最後に笑うのは、決まって猫のほう。

 あれだけ圧力を持った視線をぎりぎりねじこまれていても、知らん顔で目の前のことに集中していられる人がいたら、ぜひとも会ってみたい。

 作家の町田康さんがどこかでこんなふうなことを書いていた——地球上の生物がいつか宇宙征服を果たすことがあったら、その生物とはきっと、底知れぬ根気を持った猫族であろう。

 言えてるかも。

池田真紀子(イケダ マキコ)

1966年東京生れ。上智大学卒業。主な訳書にディーヴァー『ロードサイド・クロス』、バゼル『死神を葬れ』、キング『トム・ゴードンに恋した少女』、パラニューク『ファイト・クラブ』、マドセン『カニバリストの告白』、アイスラー『雨の牙』など多数。

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