ひとつのテーマにこだわり、同じテーマで繰り返し物語を書く作家は多い。キャロル・オコンネルにも、そういったこだわりのテーマがある。ひとつは、罪の意識を抱いた子供と、その子供に(長い年月の後に)もたらされる救い、というテーマだ。マロリー・シリーズにも、『クリスマスに少女は還る』にも、『愛おしい骨』にも、そのテーマは現れる。
そして、オコンネルのもうひとつのこだわりのテーマは、「死んだ人間は死んだ人間?」という問題だと思う。
「死体は死体、死んだ人間は死んだ人間」——そう言い切り、霊魂の不滅をきっぱり否定するのは、ニューヨーク市警の刑事、キャシー・マロリーだ。幼いころ、孤独で過酷な路上生活を送ってきた彼女は、社会通念とも道徳とも宗教とも無縁。その心は壊れていて、喜怒哀楽で言えば、怒りくらいしか表現できない。彼女にとって「殺人は最高のゲーム」だ。
盗みとゴミ漁りに明け暮れた路上生活時代、マロリーのたよりは、闘い、逃げ、生き延びる自らの能力のみだった。当然ながら、彼女は自分を救ってくれる神様だの奇跡だのは信じていない。
では、街を彷徨う孤独な壊れた子供は、なぜ刑事になるに至ったのか。
ある日のこと、小さなキャシーは車上荒らしの最中、ずっと彼女を追い回していた〈おまわり〉についにつかまってしまう。この〈おまわり〉が、後にキャシーの養父となる刑事、ルイ・マーコヴィッツである。
その日は妻の誕生日であり、マーコヴィッツは早く家に帰りたかった。そこで、とりあえず捕らえた子供を家に連れていった。すると、子供のない妻のヘレンは、その浮浪児を自分へのプレゼントだと勘違いする。子供のほうも、なぜかヘレンをひと目で愛するようになる。こうしてキャシーは、マーコヴィッツ家で大切に育てられることになり、ルイ・マーコヴィッツとキャシーとのあいだには、実の親子をも超える強い絆が生まれる。そして成長したキャシーは、マーコヴィッツと同じく警官となったのだ。
実は、このマーコヴィッツという刑事、シリーズ第一作の『氷の天使』の冒頭ではすでに死んでいる。連続殺人事件の犯人に迫っていたマーコヴィッツの非業の死が、シリーズの幕開けなのである。
ところが、物語が進むにつれ、また、シリーズが進むにつれ、最初から死んでいるこの刑事にどんどん命が吹きこまれていく。人望ある有能な刑事。あらゆる人を魅了する笑顔の持ち主。太った体で軽やかに踊るダンスの愛好家。ジャズとB級西部劇のファン。「手に負えないワル」である小さなキャシーを「この地球上の五十億の人間の誰よりも」愛する父親。そんなマーコヴィッツの姿が、マロリーの回想や友人たちの昔語りから生き生きと浮かび上がってくる。
オコンネルの作品では、多くの場合、すでに死んでいる人間がものすごいパワーと存在感を見せる。たとえば、『アマンダの影』では、マロリーの友人チャールズが殺人事件の被害者アマンダの再生に挑戦し、最後に彼女はチャールズに話しかけるまでになる。そして『魔術師の夜』では、天才マジシャン、マラカイの死んだ妻ルイーザが、姿も声もないまま絶えず彼のかたわらにいて、タバコを吸い、ワインを飲み、ポーカーに興じる。
「死んだ人間は死んだ人間」と断ずるマロリーもまた、いつもマーコヴィッツの幻に導かれ、彼とともに事件を解決していく。彼女は、マーコヴィッツの残したメモをたよりに事件を再現し、常に彼ならばどう考えるかを思い描きながら行動する。また、マーコヴィッツの友人たちも、娘のことが心配で死んでも死にきれない彼がいまもまだあたりをうろうろしているのをしばしば感じるのだ。
『氷の天使』は、老女連続殺人とその捜査を描くミステリだ。しかしこの小説は、父と娘の物語、死者が生者を見守る物語とも読める。
オコンネルは、グロテスクなものや歪んだ世界をドライに描くことが多い。その小説には、残酷な流血シーンもある。ヒロインのマロリーの捜査手法も、強引で荒っぽく横暴だ。しかしオコンネルのそうしたハードな小説には、必ず、逝った者と残された者の強い結びつきによって生まれる美しい物語が潜んでいる。そして登場人物たちは、奇跡など、霊魂の不滅など信じないと言いながら、ときに死者によって、また、奇跡によって救われる。それが霊なのか幻なのか、奇跡なのか偶然や人為なのかは、常に微妙なのだけれども。
『氷の天使』の幕切れのシーンは印象的だ。養父の最後の事件を終結させ、夕暮れの街にたたずむマロリーが、胸の内で「さよなら、マーコヴィッツ」とつぶやくと、偶然にもすぐそばで車の防犯アラームが鳴りだし、驚いた鳩の群れが樹上からどっと舞い立つ。ビルの屋根を越え、闇へとのまれていく彼らを、マロリーは驚きの目で見送る。
このラスト・シーンは、『クリスマスに少女は還る』のラスト・シーンとぴったり重なり合う。『氷の天使』では、霊魂の不滅を信じないマロリーが、マーコヴィッツの魂の飛翔を目にする。そして『クリスマスに少女は還る』では、信仰心を失った神父が、ひとりの母親に束の間希望を与える神の小さな奇跡を目にするのだ。
務台夏子(ムタイ ナツコ)
英米文学翻訳家。訳書にオコンネル『クリスマスに少女は還る』『愛おしい骨』、デュ・モーリア『鳥』『レイチェル』、マクロイ『殺す者と殺される者』、キングズバリー『ペニーフット・ホテル受難の日』などがある。