とある読書会で『修善寺物語』を読み、そのキャラの立ちまくりに感動して、岡本綺堂のファンになった。で、半七捕物帳を読みはじめたら、これがまたとても面白い。『筆屋の娘』なんて江戸の話なのにトリックが洋風でうっとり……。

 ですがこのコーナーは翻訳がテーマなので、岡本綺堂訳の『世界怪談名作集』を読んでみました。さすがにちょっと台詞が江戸前?(「そんなふうに言っては悪うござんすわ」)と思うところもあるけれど、訳が作品の雰囲気とマッチしたときにはたいへん味わい深い。たとえば、毒草を育てる老科学者とその美貌の娘を描いた『ラッパチーニの娘』(ホーソーン)、そのものずばりの『鏡中の美女』(マクドナルド)、コミカルな味わいの『幽霊の移転』(ストックトン)など。

 なかでもいちばん好きなのが、レオニード・アンドレーエフの『ラザルス』。イエスが甦らせたラザロ(ヨハネ伝福音書)の「その後」の話です。

 ラザルス(ラザロ)は死んで四日目に墓から這い出してきて、家に戻る。当然みんな仰天するが、本人は別に何をするでもなく、ただ家のなかに坐っている。噂はまたたく間に広まり、ときのローマ皇帝アウグスタスがぜひ会ってみたいと、ラザルスを帝都に招待する。その都入りの描写を引きます。

ラザルスはまったく無頓着に、永遠の都のローマに上陸した。人間の富や、荘厳無比の宮殿を持つローマは、あたかも巨人によって建設されたようなものであったが、ラザルスにとってはそのまばゆさも、美しさも、洗練された人生の音楽も、結局荒野の風の谺(こだま)か、砂漠の流砂の響きとしか聞こえなかった。戦車は走り、永劫の都の建設者や協力者の群れは傲然として巷をゆき、歌は唄われ、噴水や女は玉のごとくに笑い、酔える哲学者が大道に演説すれば、素面(すめん)の男は微笑をうかべて聴き、馬の蹄は医師の舗道を蹴立てて走っている。それらの中を一人の頑丈な、陰鬱な大男が沈黙と絶望の冷ややかな足取りで歩きながら、こうした人びとの心に不快と、忿怒(ふんぬ)と、なんとはなしに悩ましげな倦怠とを播(ま)いていった。ローマにおいてすら、なお悲痛な顔をしているこのラザルスを見た市民は、驚異の感に打たれて眉をひそめた。

 華やかな街と生ける屍の対比が見事です。ラザルスと対面した者は何かしら不幸になるのを知った家来たちは、皇帝に万一のことがあってはと心配するが、皇帝は怖れず、かくてラザルスの謁見となる。

 アウグスタスも最初は、友達が自分を見ているのかと思ったほどに、ラザルスの眼は実に柔かで、温良で、たましいを蕩(とろ)かすようにも感じられたのである。その眼には恐怖など宿っていないのみならず、かえってそこに現れているこころよい安息と博愛とが、皇帝には温和な主婦のごとく、慈愛ふかい姉のごとく、母のごとくにさえ感じられた。しかも、その眼の力はだんだんに強く迫ってきて、嫌がる接吻をむさぼり求めるようなその眼は皇帝の息をふさぎ、その柔かな肉体の表面には鉄の骨があらわれ、その無慈悲な環が刻一刻と締めつけてきて、眼にみえない鈍い冷たい牙が皇帝の胸に触れると、ぬるぬると心臓に喰い入っていった。

 こわ。「ぬるぬると心臓に喰い入る」って……。結末が気になるかたは、ぜひ本を読んでご確認くださいね。

 今回は綺堂先生の文章を引用したかっただけだろうって? あはは、ばれました。

加賀山卓朗(カガヤマ タクロウ)

1962年愛媛県生まれ。おもな訳書に、パーカー『盗まれた貴婦人』、ルヘイン『ミスティック・リバー』、ル・カレ『サラマンダーは炎のなかに』、ブレイク『荒ぶる血』など。

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