今年の翻訳ミステリー大賞の投票では、ダニエル・ウォレス『ミスター・セバスチャンとサーカスから消えた男の話』を1位に推しました。ふだん翻訳小説をあまり手にしないかたにもぜひ読んでもらいたい、ぜったいに愉しめると思ったので。
サーカスの魅力、というのもある。それもいまどきのクリーンでアスレティックでスーパーゴージャスなやつではなく、ニワトリ女や猿男や人間針山が出てくる世界。
そんなサーカスから、ヘンリーという魔術師がいなくなる。そしてサーカスの団員たちが、消えたヘンリーについて、それぞれに知る物語を語りはじめる。その一つひとつに味がある。ちょっとジョン・アーヴィングの小説を思い出します。
ヘンリーの数奇な人生も読ませる(ディテールがうまい!)けれど、なんと言ってもすばらしいのは、各人の「語り」です。個人的には、この彩り豊かな語りに浸れるなら、筋などはどうでもいいくらい。たとえば、次の呼びこみの名調子——
ようこそ! サーカスショウへ、ひとときの休息を求めてお越しくださいました。さても悲しく凡庸な現実が、どこからともなく小鳥の現われる場所に、はたまた帽子のなかで兎が暮らす場所に変わるこの世界へ。ここには、みなさんがなにをお考えになっているか、なにをお考えになろうとしているか、どのカードをお選びになろうとしているか、さらにさらに、旦那さんが何故(なにゆえ)、何回、奥さんを騙くらかしたか、そんなことまで当てられる男がおります。
続きが読みたくなりませんか? 「固まった女」が語るダークな愛の物語とか、サム・スペードふう(?)の私立探偵が出てくるところとか、好きだなあ。幼いころ魔法で消された、ヘンリーの妹をめぐる真相にも驚いた。
さて最後に、「語り」と言えばこちら。
私たちは壁ぎわのテーブルについて坐った。私はマグに注いだ濃いコーヒーを、彼はいつものアイリッシュ・ウィスキーの十二年ものを飲んだ。そのウィスキーのボトルは、近頃では珍しくなったコルクの栓で、ラベルを剥がせば、洒落たデカンターにでもなりそうだった。ミックは、そのウィスキーをカット・グラスのタンブラーで飲んだ。そのタンブラーはウォーターフォード・グラスのようだったが、それがなんであれ、酒場で普通に出されるグラスより、ずっと上等なものであることだけはまちがいなかった。十二年もののアイリッシュ・ウィスキー同様、そのグラスもミック個人の専用だった。
「実はおとといの晩も来たんだ」と私は言った。
「バークから聞いたよ」
古今東西、私にとって酒場のシーンでこれを越えるものはない。出典はローレンス・ブロック『倒錯の舞踏』で、アル中探偵のマット・スカダーが、朋友のミック・バルーと飲んでいる。といってもスカダーは禁酒中なので、酒すら飲んでいない。
何がいいって、「何もしていない」ところがいい。話をしたければする。したくなければしない。もとよりブロックは、いつも見かける猫がいなくなったことぐらいで10ページも20ページも読ませる「語り」の名手だけど、この章は絶品じゃないかな。
やがて朝が来て、ふたりは教会に出かける。ミックは血のついた肉屋のエプロンをつけて。
礼拝の形式はごく普通のものだった。私は礼拝用の冊子に書かれているとおりに従い、まわりを見習い、みんなが立てば立ち、ひざまずけばひざまずき、みんなに合わせて決められた応答をした。が、若い司祭が聖餅(ホスチア)のウェファースを与え始めても、私とミックはそれをもらう列には並ばなかった。見たかぎり、ほかの礼拝者は全員祭壇のまえまで出て、聖体を拝領していた。
外に出るとミックが言った。「おい、見ろよ」
雪が降っていた。大きな雪片が空から漂い落ちてきていた。私たちが教会の中にはいったすぐあとに降り始めたようだった。教会の石段にも歩道にもすでにうっすらと積もっていた。
「さあ、行こう」とミックは言った。「家まで送るよ」
なぜ彼らは聖餅をもらわないのか。シリーズを読めばわかります。
私見ではマット・スカダーものこそ「田口節」の真骨頂、都はるみの涙の連絡船、石川さゆりの天城越え……読んでみてください。
加賀山卓朗(カガヤマ タクロウ)
1962年愛媛県生まれ。おもな訳書に、パーカー『盗まれた貴婦人』、ルヘイン『ミスティック・リバー』、ル・カレ『サラマンダーは炎のなかに』、ブレイク『荒ぶる血』など。