第8回

 さて、出版における海外と日本のちがいを見てきましたが、それ以外にも大きなちがいといえば、エージェント制度でしょうか。

 文芸エージェントは、最近ではボイルドエッグズとそれにつづくアップルシード・エージェンシーの活躍などにより、日本でも認知度があがってきているのではないかと思います。それ以前に、プロ野球選手のメジャー・リーグ移籍で「エージェント」という存在が知られるようになったかもしれませんね。

 文芸エージェントという職業は、19世紀後半に誕生したと言われています。

 場所は英国、ロンドン。版元との手つづきや交渉がわずらわしい、とボヤく作家に、同席していた弁護士が、じゃあ、そういう仕事を肩代わりしてやるよ、と持ちかけたとか。報酬はいくらにしようか? うーん、収入の10%ってとこかな、と、わりといい加減に決まった、云々。えーと、これはどこかで耳にした伝説にすぎないので、信用しないでくださいね。

 ただ、当時の英国では、本を出せるのは上流階級の人間にかぎられていて、そういう貴族たちは自分の所領で執筆をしていたため、中央にある出版社とは連絡を取りにくい状況にあり、代理人が必要だったという事情があったようです。

 というわけで、エージェントのおもな仕事は、出版社との交渉や事務作業を代行し、著者が執筆に専念できる環境を整えることです。

 書くほうにとっては、雑事にわずらわされずに自分の仕事に没頭できるのですから、10%ぐらい払ってもじゅうぶんなのでしょう。

 出版社側から見ても、質のよい原稿をきちんと届けてもらえるし、事務手つづきも円滑に進められるのですから、ありがたい存在です。

 こういうと、エージェントは煩雑な作業ばかり引き受ける裏方にすぎず、魅力のないものに思われるかもしれません。

 しかし、エージェントには重要な機能があります。それは、新人の発掘です。

 作家志望者が自分の原稿を出版してもらいたいと考えた場合、まず接触するのがエージェントです。売りこみ用の書類や作品をエージェントに送付し、読んでもらうのです。出版社に送る場合もあるのでしょうが、大手の版元ほど、自分たちでは投稿原稿は相手にせず、エージェント経由で作品を選ぶ傾向が強いようです。

 ですから、エージェントには素人からの原稿が日々送りつけられてきます。ご想像のとおり、そのほとんどはクズだそうですが、そのなかから真の才能を見つけだし、大作家に育てあげるのが、エージェントの夢であり、ロマンであるわけです。

 送られてきた原稿のなかで、これはいい、と思うものがあれば、その著者に連絡を取ります。こうして、作家志望者はエージェントのクライアントになります。

 エージェントは、作品について助言や指示をして、原稿をよりよいものへ修正させます。実力のある著者を見つけ、その作品の質を向上させられるか。エージェントの力量が試されるわけです。

 著者と二人三脚で満足できる作品に仕上げたら、出版社への売りこみです。この作品が適合しそうな会社や、こういった作品を好む編集者を選んで紹介していくのですから、数多くの出版社との長年の付きあいが必要です。

 そして、晴れて契約となれば、エージェントはすこしでもいい条件を引き出さなければなりません。複数の出版社が手をあげ、よりよい条件を出す版元へ落札させることも望めるかもしれません。

 金の話になるとちょっと生臭く思えるかもしれませんが、エージェントは著者のために働くのですから、有利な交渉をするのも当然の仕事なのです。

 エージェントなしでこのようなデビューにこぎつけるのは、なかなかたいへんでしょう。本が出たあと、作家を大切に育てていくのも、またエージェントの仕事です。

 この作家がベストセラーを連発するようになれば、エージェントには富も名声ももたらされることになります。

 こういった成功をおさめるためには、エージェントにはさまざまな才能が必要です。作品を見ぬき、よりよい内容に磨きあげる文学的な素養と経験が必要であり、出版社との深く広いパイプが必要であり、契約を有利に運ぶ交渉能力も必要です。

 質の高い作品を届けられなければ、出版社からの信用を失ってしまいます。また、版元との契約が不満足なものであれば、クライアントを失ってしまうのです。

 こんな話をするよりも、エージェントについて知っていただくなら、デブラ・ギンズバーグ『匿名投稿』(中井京子訳、扶桑社海外文庫)がおすすめです。書店員からエージェントに転職したヒロインが、『プラダを着た悪魔』さながらの強烈な上司のもとで持ち前の能力を発揮していくのですが、自分をモデルにしているとしか思えない不可解な原稿が送られてくるようになり、やがて作中の自分は殺人に巻きこまれていく……という、ミステリー仕立ての業界小説。宣伝めいて恐縮ですが、本が生まれる現場の幸福感を伝えてくれるすてきな作品で、愛書家にはたまらないと思います。

 業界小説といえば、本ができるまでの裏側を描いた、オリヴィア・ゴールドスミス『ザ・ベストセラー』(安藤由紀子訳、文春文庫)という傑作もありましたね。

扶桑社T

扶桑社ミステリーというB級文庫のなかで、SFホラーやノワール発掘といった、さらにB級路線を担当。その陰で編集した翻訳セルフヘルプで、ミステリーの数百倍の稼ぎをあげてしまう。現在は編集の現場を離れ、余裕ができた時間で扶桑社ミステリー・ブログを更新中。ツイッターアカウントは@TomitaKentaro

●扶桑社ミステリー通信

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