第12回

 前回は、海外の出版社が書店に対してどのように新刊のプロモーションをするかをお話ししました。

 翻訳出版のセールスも、おなじ要領で行なわれます。むしろ、じっさいに現物を仕入れる自国の書店への働きかけよりも、早いうちから進みます。翻訳権売買は、権利者にとって重要なビジネスなのです。

 最初にもたらされるのは、どんな著者がどんなテーマで本を書くことになりました、というアナウンスです。

 この段階では、出版社と著者とのあいだで契約が結ばれた、ということにすぎないのですが、注目度が高いものであれば、それだけでも翻訳出版をする決断ができる場合があります。

 たとえば、世界的な著名人の回想録などですね(アメリカ大統領の自伝とか)。「この人が書くならそれだけでも出す価値がある」というレベルの企画でないと、こうはいきません。

 ふつうは、もうすこし内容がわかる書類が提示されます。これは「プロポーザル」と呼ばれます。著者が「こんな内容を書きます」としてまとめたレポート and/or 目次構成案です。中味が把握できる資料ですから、すくなくともA4原稿10ページ以上の分量はほしいところです。

 つまり、まだ原稿は書かれていないわけですが、テーマと著者によっては、この段階でも翻訳権を取得する場合があります。とくに、定評のある著者の場合などは、早いうちに契約してしまうことも多いでしょう。

 ただ、そうはいっても、本というのはじっさいに書かれてみないとなんともいえないところがあります。とくに、小説はそうですね。ストーリーだけ聞いたらおもしろそうだったのに、読んでみたらつまらなかった、なんてことは、ふだんの読書でもありますよね。シノプシスだけでは伝わらない雰囲気・文体・書きっぷりなどによって、印象はまったくちがってしまいます。むしろ、そこが作家の個性なわけですが。したがって、フィクションの場合は、原稿が書きあがるのを待つほうがいいでしょう。

 というわけで、プロポーザルで権利を取るのはノンフィクション作品が大半です。もちろんノンフィクションの場合だって文章が大事なのは当然ですが、それでも作品中で描かれる事実内容が重要ですから、それだけで決め手になります。ビジネスものなどもそうですね。

 プロポーザルでフィクションを買うとしたら、よほど高名な作家にかぎられます。

 つぎの段階は、完成原稿です。

 著者が書いた原稿が、そのまま送られてくるのです。

 いまでは、WORDやpdfのデータがeメールで送られてくるのがふつうになりましたが、むかしは「タイプ原稿」と呼ばれていて、文字どおりタイプライター(電子タイプライターなんてのもありました)で打った原稿のコピーがドンと郵送されてきたものです。作家本人の息づかいが感じられ、生々しかったですけどね。

 ただし、これはまだ著者が完成させた原稿にすぎず、このあと編集の過程で、多かれ少なかれ修正が入ることになります。それでも、作品全体を把握するには、これでじゅうぶん。翻訳出版についても判断できるようになります。

 そのあとが「ゲラ」ないし「プルーフ」です。

 前回も触れましたが、著者の原稿を、出版社のほうで活字組みしたものが、ゲラです。たんにデータを打ちだした原稿よりは読みやすくなってはいますが、これもまだ紙の束なので、扱いにくいですよね。

 そこで、ゲラを簡易製本して書籍の形にしたのが、プルーフです。商品ではありませんから、紙の質や糊づけもよくなかったりしますが、それでも持ち運びしやすいし、格段に読みやすい。ついでにいうと、出版業界にしか出まわらないので、ちょっとしたコレクターズ・アイテムといえるかもしれません(笑)。そういえば以前、神保町の洋書古書店で、プルーフがどっさりならんでいるのを見たことがあります。さだめし、どこかの翻訳エージェントが、不要になったものを……

 さて、ここまでくると、あとは本国でじっさいに本が出てしまいますので、話は簡単です。

 完成した書籍を「完本」などと呼びますが、こうなると、もはや編集や校正で内容が変わる心配はないので、安心です(重版のたびに内容に手を入れる作家もいますが、これは例外)。

 また、完本を見れば、カバーに付されたキャッチコピーやシノプシスから、出版社がこの作品をどのように売ろうとしているかもわかります。

 発売されれば市場での売れ行きも把握できますので、翻訳出版の可能性について、より判断しやすくなります。

 以上が、本ができるまでの流れですが、ともかく、本国で力を入れている作品ほど、セールスの開始も早いし、プレッシャーも強くなります。

 力を入れているということは、じっさいに本国で発売されるとベストセラーになる可能性も高いわけです。そうなると、評判を聞きつけた国内のほかの出版社が翻訳権を買おうとアプローチしてきて、競争がはげしくなることが予想されます。そこで、いい本であれば、他の相手が参入してこないうちに翻訳権を押さえようと、いきおい早めに動くことになるわけです。

 いっぽう、翻訳権を売ろうとしている本国の出版社やエージェントの側も、なるべく早く契約を決めようとします。収入を確実にしようということもありますし、著者へアピールして、おぼえをよくすることも期待できます(「がんばって日本に売りました、読者が増えますよ!」)。翻訳権が売れれば、それを材料に他の国へも営業がかけやすくなります(「日本の出版社がすでに買っているのですから、中味は保証つきです!」)。

 このように、売る側と買う側のたがいの利益が一致して、翻訳出版ビジネスは進んでいくわけです。

 いかがでしょう。これだけ早いうちからプロモーションが行なわれているんです。日本の出版界では、ちょっと考えられないことですね。

 では、そもそもそういった新作は、どのようにして出版社に紹介されるのでしょうか。その重要な場が「ブックフェア」なのですが、それについては、また次回に。

扶桑社T

扶桑社ミステリーというB級文庫のなかで、SFホラーやノワール発掘といった、さらにB級路線を担当。その陰で編集した翻訳セルフヘルプで、ミステリーの数百倍の稼ぎをあげてしまう。現在は編集の現場を離れ、余裕ができた時間で扶桑社ミステリー・ブログを更新中。ツイッターアカウントは@TomitaKentaro

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