第9回

 震災お見舞い申しあげます。

 余震のつづく、東京都港区海岸1丁目のビル7階にある扶桑社からお送りします。

 前回、エージェント制度のなかでどのように新人がデビューするかを見てきました。

 いまとなっては著名な作家も、はじめはエージェントから断わられつづけ、デビューまで長い時間がかかった、という話をよく聞きます。じつは才能があるのに埋もれたままの人も、現にいるかもしれません。

 エージェントの側に立ってみれば、山のように送られてくる素人作品のなかから真の才能を見いだすのはたいへんです。だからこそ、やりがいのある仕事だともいえるのでしょう。

 いっぽうで、ヴァニティ・プレス(vanity press)の問題があります。

 聞きなれない言葉かもしれませんが、これは、著者自身に資金を出させて本を作る、いわゆる自費出版ビジネスのこと。

 エージェントに作品を買ってもらえない人のなかには、金を出しても自分の作品を本にしたい、という人たちも存在します。あるいは、そんな手はずを踏まなくても、ともかく本を出したいという人もいます。そんな人たちを相手にした商売です。

 ヴァニティ・プレスと、通常の出版とをくらべてみましょう。

 出版は本来、リスクを背負っています。著者にアドバンスを払い、紙を調達し、印刷し、製本し、宣伝し、流通に乗せ...というように、相当な先行投資をしているのです。

 そのため、本が売れなければ、大きな損失となります。そこで肝になるのは、商品となる出版物の質です。よい作品を、売れる本に作りあげられなければ、投資を回収できず、会社が存続できなくなります。

 このリスクがあるからこそ、エージェントを介して、成功する確率が高い良質な作品を得ようとするわけです。

 これに対し、ヴァニティ・プレスは、著者から提供された資金で、本の製作費をまかない、会社の利潤を出します。

 つまり、出版社側にはリスクがないわけです。手がたく、確実な仕事といえますね。

 もちろん、著者は自力では本を作れませんから、納得ずくで金を出して、本作を依頼しているのです。両者のあいだでは、例の「ウィン=ウィン」のビジネスが成立しているわけです。

(ウンベルト・エーコ『フーコーの振り子』(藤村昌昭訳、文春文庫)で描かれていたのが、この手のヴァニティ・プレスです)

 しかし、まさにそこが問題なのです。

 出版においては、よい本を作り、うまく売れるかぎりは先行投資を回収できますが、作品の選択を誤ったり、編集や販売が悪かったりすれば、本が売れず、損失となります。そもそもこのリスクを引き受けるところに、出版は成り立っているのです。

 作品を見きわめ、適正なパッケージに作り、人びとの潜在的な読書欲を喚起する——そうです、出版とは、リスクを前提としたプロフェッショナルな仕事なのです。プロでなければ早晩破綻をきたしてしまうシステムなのです。

 しかも、そうやって世に送りだした本は、読者の人生に影響をあたえることすらあるのですから、格別です。

 ヴァニティ・プレスは、この、出版というビジネスの根本の部分を回避しています。

 それに、作品の内容を問わないという面もあります。金を出してくれる著者の意向がいちばんですから、中味がどうあれ、なんでも本にするし、しなければなりません。

 くわえて、著者によっては、作品のブラッシュ・アップも満足になされないでしょう。

 さらに、できた本が売れるかどうかも、それほど問題ではありません。

 ヴァニティ・プレスとオーソドックスな出版とでは、最終的には似たような本ができあがるとしても、根本的にちがうのです。

 英米では、作家たちの側に、ヴァニティ・プレスに対する拒否反応が強いようです。「自分の作品を本にしたい」という書き手の思いにつけこむビジネスと捉えているからでしょう。

(「ヴァニティ・プレス」という呼びかたからして、「著者の虚栄心(ヴァニティ)による出版」という批判がふくまれています)

 最近の例では、数年前のハーレクイン社の問題があげられます。

 ハーレクインにはロマンス作家志望者から大量の原稿が持ちこまれるようですが、そのうちボツにした原稿について、自費出版に対応すると発表したのです。

 つまり、自分たちでリスクを負う出版には値いしない作品だけれど、金を出すなら本にしてあげる、というわけです。しかも、そのための専用のレーベル「ハーレクイン・ホライズン」を起ちあげたのです。

 自費出版とはいえ、「ハーレクイン」の名を冠して自分の本を出せるわけですから、ロマンス好きには魅力的。商売としては、いいところを突いています。

 しかし、これにはアメリカロマンス作家協会が猛反発。ロマンス作家とハーレクインが対立するという、ファン泣かせの事態になりました。さらには、MWA、SFWAも共闘することに。

(詳細は→ http://www.fusosha.co.jp/romanceblog/2009/12/post_70.html

 もちろん、ヴァニティ・プレスでも、良質な本は出るかもしれません。じっさい、自費出版の作品が評判になり、大手版元が契約して出版する、というようなこともあります。

 しかし、基本的には、作品を見きわめるエージェントというプロがいて、そのメガネにかなって練りあげられたものが、さらにプロの出版社によって本にされるのだ、という共通認識があるようです。だからこそ、読むにたる作品が出版されるというわけです。

 もっとも、最近では電子書籍によって自前での出版が容易になり、そういった作品が人気を得るようにもなりました。ですが、この場合も、エージェントおよび出版社というプロの手が入っていないということには、かわりありません。

 誤解のないようにいえば、上記のようなことを根拠に、自費出版や電子書籍がダメだと言いたいわけではありません。

 むしろいまは、プロフェッショナルな手順をあえて踏まない出版の道が整備され、変質を迫られていると考えるべきなのでしょう。

扶桑社T

扶桑社ミステリーというB級文庫のなかで、SFホラーやノワール発掘といった、さらにB級路線を担当。その陰で編集した翻訳セルフヘルプで、ミステリーの数百倍の稼ぎをあげてしまう。現在は編集の現場を離れ、余裕ができた時間で扶桑社ミステリー・ブログを更新中。ツイッターアカウントは@TomitaKentaro

●扶桑社ミステリー通信

http://www.fusosha.co.jp/mysteryblog/

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