悩み多き翻訳者の災難 第4回 エヴァン・バーチの巻

 ここまで、私の翻訳ミステリライフ(?)をホームズ、マープル、ケラーとともに振り返ってきたが、きょうは私自身の訳書、ジョージ・ハラの『悩み多き哲学者の災難』の主人公、エヴァン・バーチについて書かせてもらおう。

 大学で哲学を教えるエヴァンは、女子高生失踪事件との関与を疑われて警察に連行される。刑事から、少女が姿を消した公園の駐車場で彼の車を見た者がいると言われるが、その時間、自分がどこで何をしていたか、エヴァンはまったく思いだすことができない。その後の捜査で、彼と少女のあいだには接点があったことが判明するが、それについてもほとんど忘れている。そうこうするうちに同僚や教え子、さらには妻や双子の息子たちにまで疑惑の目を向けられるようになり……とまあそんな話で、必ずしもミステリとは言えない部分もあるが、刑事との“哲学的な”やりとりや平凡な日常に潜むサスペンスは、まちがいなくこの作品の読みどころになっている。

 エヴァンが女子高生の失踪に関わっているかどうかはさておき、このご時世、われわれもいつ警察に連れていかれるか、わかったものではない。テレビドラマの被疑者は電気スタンドの裸電球に照らされた小部屋に閉じ込められて“鬼のなんとか”と“仏のかんとか”に問い質されるのがお約束になっているが、気弱なうえに軽い閉所恐怖症の私がそんな状況に耐えられるはずはない。せめてカツ丼がふるまわれるまでは……と思っているが、なんでも、警察官が取調べ中に被疑者の便宜を図ることは固く禁じられていて、缶コーヒー1本買いあたえても問題になるのだとか。ああ、私はいったい何を励みにがんばればいいのだろう?

 エヴァンにとって、もうひとつのサスペンスは妻のエレン。夫の“哲学的な”言い訳に苛立ちをつのらせたエレンは、やがてヒステリーを起こすことになるが、そのおそろしさがただごとではない。そういえば私の友人に自他ともに認める鬼嫁がいて、夫婦でテレビを観ているときにリモコンを取ろうと軽く身じろぎをすると、そのたびに夫がビクッと身をすくめるのだとか。鬼嫁の夫にとっては、火曜といわず、毎日がサスペンス劇場なのかもしれない。

 そういったサスペンスの原点にあるのが、エヴァンの記憶の曖昧さということになるが、昨今の私にとっては、それも他人事ではない。話をしていて人の名前が出てこないなんてことはしょっちゅうだが、先日、ふとした拍子に忘れていた名前を思いだしたので、友人にメールで知らせようとしたところ、なんと、その人の話をしたのがどの友人だったかが記憶から抹消されていてびっくり。ついにここまで来たかと愕然としたが、話はそこで終わりではない。さんざん考えてなんとか友人の特定に成功したものの、そのときにはまた有名人の名前を忘れていて……ああ、この悪循環はいったいいつまでつづくのだろう?

 訳者が言うのもなんだが、ひさしぶりで読みなおした『悩み多き〜』は、このようにいろいろなことを考えさせられるおもしろい小説だった。そう、とてもおもしろかったのだが、いまならもっとおもしろく訳せるのに、といささか悔しくなったのもまた事実——

——というわけで、悩んでも、悩んでも、悩み足りない翻訳者の馬鹿話は本日をもって終了。長らくのおつきあい、ありがとうございました。

対馬妙(つしま たえ)。1960年東京生まれ。おもな訳書に、スタカート『探偵レオナルド・ダ・ヴィンチ』、ハラ『悩み多き哲学者の災難』、ハート『死の散歩道』など。

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