前回、オヤジギャグについて書き、そろそろまたオヤジギャグ満載の小説を読みたいなと思っていたら、友人が新刊を送ってくれた。ここにエッセイが載る前だったから、わたしがそう思っていたことは知らなかったはずなのに。これぞ以心伝心?

「ブラッド、今回もおやじギャグ飛ばしてがんばってます」とメモがついて送られてきた『天使のテディベア事件』は、ブラッドリーという元刑事と妻のテディベア作家アシュリーが活躍するシリーズ二作目。ブラッドは何度もくり出すオヤジギャグをまわりから完全にスルーされるという、正しいオヤジギャグの使い手だ。一作目の『嘆きのテディベア事件』がとぼけた味わいのたのしい一冊だったので、これもたのしみ。

 こうして同業者の友人の訳した本を読むと、みんな日本語が達者だなあと感心する。きっとわたしみたいに恥ずかしい思いをしたことなんかないんだろうなとわが身をかえりみて、ちょっぴり悲しくもなる。

 翻訳者にとっては誤訳も恥ずかしいことだけど、それよりもっと恥ずかしいのはまちがった日本語を使うことだ。わたしはほかの翻訳者よりこれが多い気がする。穴があったらはいりたいとよく言うが、わたしの場合、穴を掘りすぎて地下に立派なカタコンベができあがっているぐらいだ。そしてそこにはまちがった日本語が死屍累々と積み重ねられている。

 たとえばどんな? そんな傷口にウォッカ(そんな題名の小説があったな)って感じの質問に答えると……

 まだ翻訳修業中のころ、課題本の翻訳で「おくびにも出さない」という訳語を思いつき、自信満々で「お首にも出さない」と書いて提出したことがある。それについては師匠から、「こういうまちがいが一番恥ずかしい」と指摘された。これが穴の掘りはじめだったかも。「おくび」って首じゃなく、「げっぷ」のことなんだよね。

 その後、某社からはじめて訳書を出したときには、「老いさらばえる」を「老いさばらえる」と書いて直された。ン十年生きてきてずっと「老いさばらえる」だと思っていたから、直されてびっくりした。「老いさばらえるのほうが感じが出てるかもしれませんね」と編集者になぐさめられたけど、ほんと、深い穴を掘ってそこに自分を埋めたくなった。

 翻訳者になりたてのころは、自分がまちがった日本語をこれほど多く使っているなんて夢にも思っていなかったので、いちいち調べることもしなかった。訳文に対し、初校のゲラ(校正刷り)に(笑)とか、(拍手)とか、(ウケました)とか鉛筆でコメントをもらって、ウケ狙いで書いてるんじゃないのに……とシクシク泣くことも多かった。

 そんな恥ばっかりかいていて、よく翻訳つづけてるなあと自分でも思う。厚顔無恥だから? あたりです。いや、それもあるけど、英語に対してぴったりの訳語を探すその作業自体がたのしくてやめられないということもある。七転八倒するほど悩んだあげくにぴったりの訳語が見つかったときの快感は病みつきになる。ま、でも、わたしの場合、それが日本語としてまちがっていることもたまにあるわけだけど。

 そういう「ことば探し」がたのしいうちは、きっとわたしは人の迷惑をかえりみず、恥をかいて毎度穴を掘りながらも、翻訳をつづけていくんだろうなと思う。わたしにとって翻訳は、辛くてたのしい「ことば遊び」なのだ。

 さて、こういうアホな話も今回で終わりです。お付き合いありがとうございました。どこかでわたしの訳書を見かけたら、読んで日本語のまちがいを探してみてくださいね。さすがのわたしも最近はそういうまちがいを犯すことも少なくなり、あっても編集・校正の方々がきっちり直してくれるので、見つからないとは思いますが。

 越前さんから二日酔いネタ(酔っ払いネタ?)でエッセイを書いてとご依頼がありましたが、そんなもん、ニップル以上におおやけの場所では書けません。興味のある方はいっしょに飲みましょう。では。

高橋佳奈子(たかはし かなこ)。東京外国語大学ロシア語学科卒業。訳書に、ブライソン『ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー』、フェネル『犬のことばがきこえる』、コールター『夜の嵐』、クイック『オーロラ・ストーンに誘われて』など。東京都在住。

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