ドイツミステリへの招待状 その3

 今年はおかげさまで、フェルディナント・フォン・シーラッハ『犯罪』がいろいろなところで評価され、ありがたいことだと思っています。第2短篇集『罪悪』は来年2月の出版を目指して作業を進めています。

 『犯罪』と『罪悪』はちょうど合わせ鏡のような構成になっています。『犯罪』はまだシーラッハ・ワールドの半身でしかありません。両者がどんな対応関係かというと……それは読んでのお楽しみとしますが、それぞれの短篇集のエピグラフくらいは紹介してもいいでしょう。

 「私たちが物語ることのできる現実は、現実そのものではない」『犯罪』

   vs

 「物事をあるがままに」『罪悪』

 さあ、ここにみなさんはどのような合わせ鏡を見るでしょうか。

 出典はそれぞれハイゼンベルクとアリストテレス。しかもアリストテレスの引用はもうすこし長いフレーズの一節(=副文)です。その主文に気づいたとき、ぼくは『犯罪』のリンゴのときと同じように戦慄しました。

 『犯罪』は11の短篇からなります。それぞれに有機的につながっているので、そのなかからベストを選ぶのは難しいです。でもぼくの心につねにひっかかっているのは「チェロ」かもしれません。ぼくが長く児童文学にこだわっていることとも関係があるでしょう。「チェロ」は子どもの心情を深くえぐっているからです。

 そしてこの短篇のもうひとつ感動的なところは、人間の究極の記憶が音楽にあることを描いている点にもあるでしょう。事故で記憶障害を起こした「弟」は、姉を「姉」と認識できなくなりますが、彼女の弾くチェロにだけは反応します。しかしそこからがふたりの壮絶な愛の物語になるのですが……。

 人間は自分の思いを伝えるためにさまざまな芸術・文化を生みだしてきました。なかでもとくにわたしたちの魂を揺さぶるのは音楽のような気がします。

 2010年にシーラッハさんにはじめて会ったとき、ぼくは彼のiPhoneにダウンロードされているある曲を聴かされました。ふだん翻訳するときはどんな風にしているかとシーラッハさんに訊かれ、作品ごとにテーマ曲を決めてそのリズムで翻訳していると答えると、じつは自分も同じように音楽を聴きながら文章を書いているといって、その曲を聴かせてもらったのです。

 それは、バッハの”無伴奏チェロ組曲”でした。「チェロ」を読まれた方なら、「あっ」と思うでしょう。しかも、パブロ・カザルス、ヨーヨー・マと名盤は数あれど、『犯罪』と合わせて聴くならジャン・ワンだ、とシーラッハさんは力説しました。ぼくがそのCDを翻訳の伴にしたことはいうまでもありません。

 ぼくが今年、東京創元社から翻訳出版した他の2作、フレドゥン・キアンプール『この世の涯てまで、よろしく』とラルフ・イーザウ『緋色の楽譜』もともに音楽をテーマにしています。ペルシア人とドイツ人のハーフであるキアンプールは、本業がピアニスト。『この世の涯てまで、よろしく』では1949年に死んだ音楽家が幽霊となって1999年の「現代」に蘇ったことから事件が発生します。ただし、音楽家が音楽への愛を込めて書いたこの作品は、ミステリというよりは音楽小説の趣が強いです。ぼくも「あとがき」で、この作品を音楽小説の系譜に位置づけてみました。その「あとがき」の冒頭に掲げたのが次の言葉です。

  音楽だけは世界語であって

  翻訳される必要がない

  そこでは魂が魂に語りかける

 この言葉を遺したベルトルト・アウエルバッハについては「あとがき」に記しましたので、興味のある方はお読みください。じつはこの言葉を、ぼくは『緋色の楽譜』の「あとがき」の最後にもう一度掲げています。今年生誕200年を迎えるフランツ・リストへのオマージュともいえるこの作品は、共通感覚を持ったピアニストが、その能力を持った者にしか見えないリストのメッセージに接し、古くから続く「力の音」をめぐる陰謀に巻き込まれていくという奇想天外な物語です。個人的には、音楽にとどまらない、いろいろな絆をこの2作に感じていて、その気持ちをアウエルバッハの言葉に託しました。

 さて、音楽の力はぼくの翻訳作業にとって重要なものです。たいていの場合、作品の世界観や、登場人物たちの性格などにあわせてテーマ曲のようなものを決めて翻訳をします。長編の翻訳であいだに長いインターバルがあっても、決めた音楽を聴きながら訳すと登場人物の息づかいがすぐ自分の中にもどってくるのです。

 先回も書きましたが、今はフォルカー・クッチャーの「ゲレオン・ラート事件簿」シリーズ(仮題)の翻訳に取りかかっています。当時流行った音楽をいろいろ集めて聴いているのはもちろんのことですが、既刊3巻のテーマ曲はすでに決まっています。各巻のエピグラフとして歌詞が引用されているからです。そのラインナップを見れば、この作品が過去の歴史を描きながら非常に現代的な感性と筆致でつづられていることがわかるしょう。

 ちなみに第1巻「びしょ濡れの魚」(仮題)はローリングストーンズの“You can’t always get what you want”。第2巻「もの云わぬ死者」(仮題)はナイン・インチ・ネイルズの“Hurt”。そして第3巻「ゴールドスティン」(仮題)はボブ・ディランの“追憶のハイウェイ61”。「神はアブラハムにいった。我がために息子を殺せ」というフレーズではじまるあれです。「聖書」における人類最古の殺人未遂事件とこのシリーズを結ぶ、スリリングで切ないユダヤ人殺し屋エイブラハム・ゴールドスティンの物語です。ああ、早くみなさんに読んでもらいたい。がんばります。

酒寄進一(さかより しんいち)。1958年生まれ。ドイツ文学翻訳家。和光大学教授。主な訳書に、イーザウ《ネシャン・サーガ》シリーズ、《ミラート年代記》シリーズ、『銀の感覚』、『緋色の楽譜』、コルドン『ベルリン 1919』『ベルリン 1933』『ベルリン 1945』、ブレヒト『三文オペラ』、ヴェデキント『春のめざめ——子どもたちの悲劇』、キアンプール『この世の涯てまで、よろしく』、フォン・シーラッハ『犯罪』など。

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