第2回:ウッドハウスさん、130回めの誕生日おめでとう!(後篇)
(第1回はこちら)
(承前)
午前中最後、お昼ごはん前の報告者はミネソタのソプラノ歌手、マリア・ジェット。マリアは前回ミネソタ州セント・ポールで開催されたコンベンションの金曜夜のディナーでウッドハウスが作詞した歌の数々を披露し、今回は二度目の登場なのですが、わたしはこれ、報告がひと段落したところで昼食前に歌のプレゼントといった趣旨の余興があるのだとばかり思っていて、ピアノを持ち込んでいるのにどうして演壇を片付けないのかとたいへん不審でいたのですが、これは実に立派な報告であったのでした。
ウッドハウスは非常に多作な小説家でしたが、その一方、ブロードウェー黎明期のミュージカル・シーンにおいて数多くの作詞をした作詞家でもありました。もし1920年以前に亡くなっていたら、大小説家としてよりも大作詞家として歴史に名を残していただろうと言われるくらい大量の詞を書いています。今やブロードウェーの伝説となった〈プリンセス劇場〉で上演されたガイ・ボルトン脚本、P・G・ウッドハウス作詞、ジェローム・カーン作曲のいわゆる〈プリンセス・ミュージカル〉の数々によって、この三人は「アメリカのミュージカルを作った男たち」と呼ばれているのです。
ウッドハウスの作詞曲では映画『ショウボート』の挿入歌『ビル』や、映画『雲流れるままに』のタイトル曲などが有名ですが、マリアは埋もれていた作品も含めたウッドハウス作詞曲を集めたCDを録音したばかりで、そのお披露目を兼ねての演奏でした。それぞれの曲がいつどのミュージカルのためにつくられたかという成立過程に関する軽妙なトークと歌で送る30分だったのですが、一番聴衆のウケをとったのは1924年のミュージカル Sitting Pretty の幻の同名タイトル曲でしたか。この曲がボツになったのは歌手の誰にもsitが正しく発音できず、どうしてもhの音が入ってしまったため演奏不能であったから、と、まぼろしの『シッティング・プリティ』を歌って満場の失笑と喝采を得ました。
お昼をはさんで午後最初の報告はカーティス・アームストロングによる「ウッドハウスと社会主義」。カーティスはカルト映画『ナーズの逆襲』などで知られる俳優さんですが、デトロイト出身のウッドハウス・ファンということでセレブ枠でなく一協会員としての登壇。社会主義者に限らずウッドハウス作品に描かれた「〇〇主義者」たちを揶揄する箇所——『ウースター家の掟』に描かれた黒ショーツ党の独裁者ロデリック・スポードに向かってバーティーが切るかっこいい啖呵など——を、やっぱり俳優さんなのでじょうずに朗読してくれました。
続いてアメリカウッドハウス協会元会長でイギリスウッドハウス協会元会長のノーマン・マーフィーと結婚してめでたく十周年、アメリカ出身、イギリス在住のエリン・ウッジャー・マーフィーによる「アングロ・アメリカン・アングル」。大西洋を行き来して英米両国で活躍したウッドハウス作品におけるアメリカ英語とイギリス英語の扱われ方を、英米両国の朗読者を使ってプレゼン。さらに続けてエリンの愛する旦那様、ウッドハウス界の至宝ノーマン・マーフィーによる報告。
前回述べたように、わたしは世界一のノーマン・マーフィー・ファンを自称しているのですが、正直に告白するとノーマンの報告はまったく聞き取れず、何を言ってるのか一言たりともわかりませんでした。これはもちろんわたしのヒアリング能力のせいなのですが、しかしノーマンの特殊な発声と早口のせいも大きいのです。周りの人にも聞いてみたけれど、みんな何にもわからなかったと言っていたもの。しかしノーマンは存在がラブリーなので、一生懸命話しているその姿かたちその様ありようを心ゆくまで味わうのがよく、またその場にいる誰も彼もがぜんぜんわからないのに一生懸命報告を傾聴しているような顔をして礼儀正しくつきあっている、という状況をもまた深く味わうべきなのです。
とまあそんなようなわけで、一日の報告が終了し、途中はさまれた《恐るべき運営会議》において、新正副協会長が選出され次回大会は2014年にシカゴで開催されることが正式決定しました。また会議の間じゅう、ロビーでは大会運営を支えるための《ガラクタ市》が店開きしてウッドハウス・グッズや書籍が販売され、また、ボブとアンドレアの法律家夫妻のイニシアティヴにより、《ウッドハウス・レムゼンバーグ・マーカー基金》という、ロングアイランドのウッドハウスのお墓のある教会に、「ここに偉大な作家P・G・ウッドハウス眠る」と記した記念プラークを設置しようという募金活動が行われていました。ボブは自分の著書を、ノーマンは『ウッドハウスのニューヨーク/ロングアイランド』と題するオリジナル小冊子を、そしてわたしは勝田文『プリーズ、ジーヴス(1)(2)』を寄付して、売り上げをプラーク製作に使ってもらっています。このプラーク設置セレモニーは本年4月22日に盛大に執り行われる予定です。(わたしは行けるかどうかまだ未定なのですが、マンハッタンからレムゼンバーグに向かうバス中でバンジョレレをかき鳴らしてくれる要員がどうしても必要だからと、ボブから参加依頼が来ているのですよね…)
さて、充実したトークの後は、いよいよウッドハウス130歳の誕生会。例年コンベンション最終夜のパーティーというのはそれはもうたいへんなもので、なにしろコスプレナイトなのです。パーティー会場に続々と集合する人々が皆それぞれウッドハウス・スピリットのうつくしき、あるいはおもしろき扮装して談笑するこの時、お祭り気分は最高潮に達するのです。
ところでこのコスチュームには賞が出ます。自慢をするようで恐縮ですが、わたしは過去2大会連続入賞(ちなみに第一回目は〈とても役に立つ仲間賞〉、二回目は〈甘美と光明振り撒き賞〉でした!)を誇る身の上で、今回は自ら上げてしまった高いハードルを越えるアイディアが出ないで長らくくるしんでいたのです。それで何になったかは恥ずかしいので秘密にして結果のみをお知らせしますと、さいわい入賞して無事〈ジーヴスの悪夢〉部門2位を獲得しました。ちなみに同部門1位はレオナルド・ゴールドスタインで、彼は「ピンクの羽根飾りのついた青いアルペン帽」、「藤紫色のシャツ」、「深紅のカマーバンド」、「白いメスジャケット」、「紫色の靴下」、「イートン校色のスパッツ」そして「口ひげ」すべてを身につけてジーヴスの悪夢を一身に体現してみせたのでした。
わたしとおなじく三大会連続受賞のジョン・グレアムは、四年前は「牛」、二年前は「ブランド名ウッドハウスの靴」今大会は「イッケナム卿ことフレッド伯父さんご愛用のジョアユーズの浴用スポンジ」という荒業の連続でみたび栄冠を獲得しました。今回基金集めで大活躍したボブとアンドレア夫妻は、「驚くべき帽子の謎」の大きい帽子を背の小さいだんな様が、小さい帽子を背の高い奥様がかぶってのオシドリ夫婦ぶりで拍手喝采。前回大会を主催したミネソタのクリス・ファウラー姉妹は奥方様と奥方様付メイドが入れ替わる長編 French Leaves のトレント姉妹を演じ、ディナー中に頻繁に衣装を着替えてはだいぶ酔いのまわった参加者たちに自分はまぼろしを見ているのだろうかと感じさせて見事受賞。たいへんレベルの高いコスチューム大賞でした。
念のため申し添えておきますと、パーティーでは参加者全員が仮装するわけではなく、ドレスや礼服(やっぱり仮装かなあ)、30年代フラッパー風ドレス(やっぱり仮装ですね)姿もたくさん目につきます。ロシアから一人参加のマーシャ・レヴェデヴァは、エレガントなドレスに女帝ブタ、エンプレス・オヴ・ブランディングズを染め抜いたショールをふわりと羽織って(やっぱり仮装ですか)たいへん麗しかったです。
あとクイズの入賞者発表も。今回わたしは無念ながら解答できなかったのですが、高難度のウッドハウス・クイズが毎回出題され、勝者は晴れて表彰されて次回出題者となる栄光を手にするのです。ぜったい優勝するぞと自信満々でいた今回初参加、オランダウッドハウス協会会長のピーター・ニューヴェンハイゼンが前評判通りの優勝でした。クリケットの賞も出ました。最優秀投手、クリケット精神、そしてベスト・ドレッサー部門それぞれの受賞者が表彰されました。
ディナー・テーブルの各席には「プラム、130回目の誕生日おめでとう!」と書かれたシャンパン・グラスが置かれ、中央テーブルにはたくさんのロウソクが点された大きなバースデーケーキが(このケーキ制作中には、パティシエが「130歳の誕生日を迎えるとはいったい何者?」とたいへん驚いたそうです)。グラスを掲げ、みんなで「ハッピーバースデー・プラム!」と乾杯しました。他にもいろいろなことがあったのですが酩酊していてあまり憶えていないのです。おいしい料理をたくさん食べてたくさん飲んでたくさんふざけてたくさん笑って、にぎやかに狂騒の一夜は更けていったのでした。(ホテル内一室にて深夜過ぎまでシャンペン二次会あり)。
翌朝は別れのブランチと涙のサヨナラ。昨夜の不品行はみんな済んだことにしてみんな教会でオルガンが弾けるくらいに真っ当で真っ正直な顔をしてテーブルを囲んで談笑しました。ブランチ会場では通称 NEWTS、すなわちイモリこと〈ニュー・イングランド・ティンガミー・ソサエティ〉(ウッドハウス協会ニュー・イングランド支部です)の皆さんによる寸劇『ピッカリング・モーター・クラブ』の上演がありました。ハゲ親爺のカツラをかぶっておなかに枕を入れて縦じまの背広を着て太い葉巻をくゆらせるアメリカの百万長者役をエリン・マーフィーが、牧師役を本当の退職カトリック神父ウェンデル・ヴェリルが演じる、仮装ナイトの続きのような気もしないではない、やっぱりふざけたひとときでありました。
しかしそうこうする間にも、フライトの時間だからと別れを告げる仲間あり。会場各所で別れの握手とハグとキスが交わされ、それぞれがそれぞれの場所に戻らなければならない涙のサヨナラが近づいてきて、「二年後にシカゴで会おうね」と、さみしいけれどまたの再会を誓い合い、涙の別れとなったのでした。
ところでわたしはその晩ロサンゼルスに移動し、今大会をもって米国ウッドハウス協会の副会長に就任してしまったカレン・ショッティング弁護士のお宅にご厄介になって、カレンといっしょにハリウッド時代のウッドハウスの家々を歩く〈ハリウッド・ウッドハウス・ウォーク〉をしてしまいました。その話とニューヨークお墓参り報告は次回とその次ということで。ではまた来週も、よろしくお願いいたします。
〔第3回につづく〕
森村たまき(もりむら たまき) |
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1964生まれ。中央大学法学研究科博士後期課程修了、刑事法専攻。国書刊行会より〈ウッドハウス・コレクション〉、〈ウッドハウス・スペシャル〉刊行中。ジーヴス・シリーズ最終巻『ジーヴスとねこさらい』が刊行されたばかりです。ツイッター・アカウントは @morimuratamaki です。 |