第2回 倉橋由美子と翻訳の文体

 本に携わっている方は多かれ少なかれ文学的出会いというものを経験していると思います。わたしの場合、最大の「文学的出会い」は、高校二年生のときに倉橋由美子という作家を知ったことでした。

 六歳上の従姉に勧められて『暗い旅』『夢の浮橋』『聖少女』を立て続けに読み、毒をあおったような激しい衝撃を受けました。濃密な文章が、官能的な言葉が、血管に入り込んできて心臓を貫き、脳細胞を染め変えていくような感じがしました。そして、これまで読んできた数多の小説が一挙に色褪せて見えたのです。

 それまで作家に手紙を送るなどということは考えもしなかったのですが、その時ばかりは居ても立ってもいられなくなり、拙い感想文のようなものを書いて送りました。それがきっかけで十九歳の時からご自宅に伺うようになりました。「私の作品など読まなくてもいいから、古典作品を読みなさい」とよく言われましたが、その意味を理解したのはだいぶ後になってからです。

 さて、倉橋由美子が翻訳の文体にinspireされて小説を書いたことは有名です。カミュの『異邦人』を訳した窪田啓作、カフカの『変身』を訳した高橋義孝、ジュリアン・グラック『アルゴオルの城』の青柳瑞穂、ミッシェル・ビュトール『心変わり』の清水徹の文体に大きな影響を受けて初期の作品を書いたことを、倉橋自身エッセイなどで何度も明言しています。つまり初期の作品は、翻訳の文体と出会わなければ生まれることはなかったわけです。でもだからといって、倉橋の小説が外国作品の模倣の域を出ていないのかというとそんなことはまったくなくて、どの作品もオリジナリティに溢れ、みごとな世界を構築しています。「構造と文体」があれば小説は書けるという刺激的かつ挑発的なこともエッセイに書いていますが、作品を創り出すうえでもっとも大切なのが文体であると考える作家が日本には極めて少ないことを考えると、倉橋由美子は「異端」であったと痛感します。

 さて、倉橋由美子は翻訳書もたくさん出していて、最初に出したのがシェル・シルヴァスタインの『ぼくを探しに』という絵本です。シンプルな絵で表現されていてどの年代の人にも受け入れられやすい作品ですが、内容はかなり哲学的で、ロングセラーになっています。最後の翻訳作品はサン=テグジュペリの『星の王子さま』でした。『星の王子さま』はこれまで「です・ます調」で訳されていましたが、倉橋は新しく訳すにあたって「だ・である調」にしました。ここに倉橋の文学観が直截的に反映されています。

 二〇〇五年六月に六十九歳で亡くなる直前まで、倉橋は『星の王子さま』のゲラを見直していました。そのゲラを見る機会があったのですが、驚きました。朱が入っていたのはほんの数箇所だけだったのです。文章に対するこの作家の潔さを見る思いがしました。

 倉橋はダイヤモンドのように硬質な文体や贅沢な絹織物のように優雅な文体を自由に操り、幻想的で官能的な文章を書き続けました。そうした文章に酔いしれてきた身としては、いつかその文体で翻訳するという大きな野望を抱いてはいるのですが、この先その文体に合う作品に出会えるかどうかわかりません。エリオットではありませんが、be still, and wait without hope といった心境です。

 二十年以上前、まだ駆け出しだったころにルース・レンデルの『ハートストーン』という中篇小説を訳したことがあります。古い館を舞台に繰り広げられる悲劇を描いたゴシックロマンで、十六歳の少女の日記を中心にして物語が進んでいくのです。ポオとギリシア悲劇を愛し、父とincestuousな関係を築こうとしていたその主人公に、『聖少女』のような趣があったので、倉橋の文体を少しだけ意識しながら訳しました。読み返す勇気はありませんが、若気の至りでなかったことを祈るばかりです。

 そういえば今月から『精選女性随筆集』(文藝春秋刊全十二巻)というシリーズが出版されていますが、四月配本は小池真理子選『倉橋由美子』です。倉橋の鮮烈なエッセイが読めますし、わたしの拙い解説も載っていますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。

古屋美登里(ふるや みどり)。神奈川県生まれ、東京在住。著書に『女優オードリー・ヘップバーン』、訳書にジョセフ・オニール『ネザーランド』、ラッタウット・ラープチャルーンサップ『観光』、クレア・メスード『ニューヨーク・チルドレン』、エドワード・ケアリー『望楼館追想』など。

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