第14回『銀塊の海』の巻
みなさんこんにちは。今年の冬は本当に寒いですね。でもやっと、もうすぐ春がやってきます! でも、うきうきしてくると同時に花粉とコンニチハ。……切ないものです。
さて、今回の課題作はハモンド・イネス『銀塊の海』です。金塊に続いて銀塊! わけもなくテンションがあがります(?)。あらすじはというと……
第二次大戦末、大量の銀塊を積んでソ連からイギリスに向かうトリッカラ号は、暴風雨に巻きこまれ、数名の生存者を残して沈没した。だが、一年後そのトリッカラ号からSOSが送信されてきたのだ! それと同時に、無実の罪で懲役刑を宣告された沈没船の生存者、バーディー伍長は脱獄をはかり、難破の現場に向かったが……! 謎をはらむ嵐の北海を舞台に、男達の凄絶な死闘がくりひろげられる! イギリス冒険小説界の重鎮、ハモンド・イネスが描いた傑作! (本のあらすじより)
この作品には、ちょっと不思議な面白さがありました。銀塊をめぐる死闘、刑務所からの脱獄、荒れ狂う海という大自然との闘い……と、派手な要素がそろっているにもかかわらず、どこか落ち着きがある作品なのです。かといって前回の『ロマノフ家の金塊』のような、重厚すぎる感じでもない。そうですね〜、あえて例えるとすれば、噛めば噛むほど味わいが増す、ス ルメみたいな作品でした(なんという例えだ)。
面白さの理由として、まず謎をはらんだ冒険小説であるということがあげられます。あらすじを読んだだけで不思議なことがいろいろ書かれていて、そそられました。沈没したはずの船からなぜかSOSが! おまけになんで生存者であるバーディーさんとやらは脱獄しようとしているのか? という、非常に謎が多い展開です。
物語は基本的にバーディーさんの一人称で語られます。1945年3月、バーティー伍長はイギリスへ帰還するため、ムルマンスク(ロシア)からトリッカラ号に乗りこみます。トリッカラ号は5千トンの貨物船で、そこには大量の銀塊が積みこまれていました。バーディーさんはなりゆきで銀塊の警備をさせられるのですが、そこで船長含む何名かのアヤシイ行動を目撃してしまいます。そして、なんと船がノルウェー近海で機雷にぶつかり沈没してしまいます!
この、何か企んでいる船長たちの「目的」が中盤以降であきらかになるのですが、そこからの盛り上がりがすごいです。敵の陰謀をなんとしても阻止するべく、船の沈没から生き残ったバーディー伍長と仲間たちはヨットで嵐の海へ旅立つのです。荒れ狂う波と闘う男たちの姿がとにかくかっこいい! もうもう、暴風雨の中を難破船まで向かう描写の、迫力のあることといったら!! これぞ冒険小説! という感じで興奮しました〜。描写がすごく丁寧で、映像が目に浮かぶような感じです。ヨットなんて乗ったこともないのに! 前に読んだ『北壁の死闘』(ボブ・ラングレー/創元推理文庫)の登攀シーンもそうでしたが、山登りとか、冒険なんてかけらもしたことがない人間にもその過酷さを伝えられるって……すごいですよねぇ。
そして『銀塊の海』、キャラクターが良いのです……!! えーと、誰の話からしようかしら。やっぱり主人公のバーディーさんでしょうか、うむ。彼のキャラクターこそが、このお話に不思議な味わいをもたらしていると思います。
この物語の主人公、バーディー伍長は根っからの海の男。彼の独白に、こんなものがあります。
「……海に出て、のびのびとした気分になっていた。あらゆる欲求不満と、四年間の軍隊生活でつちかわれた権威への服従心は、潮風に吹きとばされてしまった。足のしたで震動する生きている甲板に立ち、顔に痛いほどの海水のしぶきをかぶると、それまでにない自信を感じた」
この文章が、めちゃくちゃかっこいいなー! と心に突き刺さりました。この部分だけで、バーディーさんがどんな人間で、どのような価値観をもっているかがわかって興奮しました。だって海水かぶって自信を感じるんですよ、すごい。このような独白って、本当に海が好きで、そこで生活したことがないと出てこないと思います。それをさらっと書けてしまうイネスさん、かっこいい……! そして、この文章から得たバーディーさんのイメージは、作品を読み進めていっても裏切られることはありません。自分の経験を信じて行動し、たとえ上官の命令に背いて軍法会議にかけられることになっても、意思を貫き通すのです。彼の頑固で真面目で不器用な人格が、この作品を落ち着きのあるすばらしいものにしているのだと思います。でもでも、普段は男前なのにヒロインの前ではちょっとヘタレになっちゃうところもいいんだよなぁ……(ぼそっ)。
そう、そしてこの作品、ヒロインもすばらしいのです!!!(机を叩く) トリッカラ号に乗りこむ、謎の美女、ジェニファー・ソレル。彼女はイギリス人なのですが、フランスでつかまってしまい、3年間もワルシャワで収容所生活を送っていました。彼女にどれだけ辛いことがあったのかはわかりません。ただ、以下のような描写があります。
「……親戚の人たちに会いに、よくフランスへ行ったんですが、三回目にルアンでつかまりました。しばらくしてから、ワルシャワの近くの収容所へ送られました」彼女は小さく笑った。かわいた、陰気な笑い方だった。「だから、わたしは寒さを感じないんです」
この文章もガツン! ときました。あ〜もう、「寒さを感じない」というひと言に、私なんぞには想像もつかないような苦労が隠されているかと思うと……! 具体的に何があったのかは、一切語られません。でもこういうさらりとしたひと言から、さまざまなことを想像させられてしまいます。というわけで、読めば読むほど味が出る、スルメのような作品なのです。
ジェニファーさんは特に後半で活躍します。彼女も海が好きで、勇敢で強い人です。バーディー伍長とのロマンスも控えめだけどいいんだよなぁ(うっとり)。ヒロインの活躍に注目です! しかし! この作品、主人公とヒロインだけじゃなくて、敵も良いのです!
さて、冒険小説といえば、やっぱり「敵」「ライバル」の存在は重要でしょう。今回の敵(のボス)はトリッカラ号の船長ハルジーさん。この人が、またもやとんでもないキャラクターなんですよ!! 芸がなくて恐縮ですが、またもや本文を引用させていただきます。船長がどのような人かというと……。
「それだよ——シェークスピアだ。それがやつの聖書なんだ。ブリッジや自分の部屋で、一日中どなっている。命令にまぜて科白をどなるんで、新参の船員にゃ、何を言ってるのかわからねぇ。(中略)もうひとつの特徴は、そのときの自分の気分に合った科白を選ぶことだ。けさはハムレットだった。おめえ、ハムレット知ってるだろ。ハムレットのときは心配はねえ——(中略)だがよ、マクベスのときは気をつけなきゃいけねえ」
もう、この部分読んだときは大爆笑でしたね! シェークスピア! なんでやねん! おまけにハムレットはよくてもマクベスには気をつけろっていう助言がおかしいですよね〜。そりゃ確かに! と笑いのツボに入りました。まぁ、イギリス人なら普通にみんな読んでいるのかもしれませんが、粗野な海の男からハムレットとかマクベスの名前が出るだけで、妙なおかしみを感じてしまいました。おまけにこの船長の設定、なんとなく作ったのかと思いきや、後でちゃんと理由が判明して驚きました(笑)。悪いことをしているきちんとした(?)悪役なんですが、とにかくシェークスピアに全部持っていかれました。インパクトのある敵でしたなぁ。
ダートムアの監獄からの脱出行もはらはらして読み応えがあったし、バーディー伍長の仲間のバートさんのキャラクターも良い感じ。語りたいことは山ほどあるのですが、あんまり長くてもアレなのでこのあたりでやめておきます。とても面白かったですし、300ページちょっとでさくっと読めますので、未読の方はぜひぜひ挑戦してみてください!
【北上次郎のひとこと】 |
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ハモンド・イネスの『銀塊の海』は1948年に書かれた小説である。なんと64年前に書かれた作品だ。にもかかわらず、現代の読者にも気にいっていただけるとは嬉しい。冒険小説の核のようなものが、イネスの作品にはあるからだろうか。イギリスの冒険小説作家の中で、イネスほど自然を描いた作家はいないのである。キャラクターや構成やストーリーなどももちろん重要な要素だが、イネスの作品が古びない理由はそこにこそあるような気がする。 |