第1回 永遠のヴァン・ダイン

 今月の本欄を担当する、日暮です。4回のお付き合い、よろしくお願い……したいのですが、去年の1月に連載されたピエール・アンリ・カミ・高野優さんの『初心者のためのカミ入門』第2回を待たれている方には、「ごめんなさい」です。高野さんは「第2回は来年の桜の咲く頃までに」と書かれていたのに、今月は私になってしまいました。

 私自身、カミ・ファンでして、昔々ホームズ・パロディのアンソロジーを企画したとき、“苦しいときのカミ頼み”でカミ作品を入れたこともありました(その企画は“捨てるカミあれば拾うカミあり”のはずなのに、いまだに拾われていません)。ですから、私としてもぜひ第2回を読みたいと思うのですが……まあ、とりあえず今月は私の駄文でお過ごしください。

 さて、では4回分何を書きましょうか。内容は自由? 困りました。書こうと思えば延々と書いてしまう質(たち)なので、いけませんね。昔は訳者あとがきが長くなって収拾がつかなくなることもしょっちゅうでしたし。

 たとえば、いわゆる“新訳”にまつわる話(年を経ればガソリンも腐るし、訳文も腐る)。あるいは、装丁があざとくなりあとがきがマヌケになる顛末。あるいはパロディとバカミスの話(カミがバスに乗るとバカミスになる?←なんのこっちゃ)、翻訳学校の話(教えるはずの翻訳家が教えられることになる顛末)、理系出身翻訳家と文芸翻訳の話(想像力と創造力の欠如)……きりがありません。

 そんなことを考えていたとき、ある飲み会(非業界人の会)で受けた質問が、「今どんな本を訳してるの?」でした。

 そう、これまで何百回と耳にしてきた質問であり、出版とはまったく関係のない友人・知人がなかば社交辞令として発するいつもの挨拶です。私の場合、この質問に即座に答えられないことが多いので、なんだかもったいぶった奴、と毎回思われているようです。

 なぜ即座に答えられないのか?

 ひとつには、たいていの場合並行して訳している本がいくつかあって、どれを挙げれば相手にわかりやすいだろうかと考え込んでてしまう、という問題があります。ミステリ、SF、ビジネス本、サイエンス系ノンフィクション、児童書(絵本)……。大学同期(物理学科)の連中が集まる飲み会などでは、当然、ミステリよりもサイエンス本の話をすると、わかってもらえやすいですね。

 もうひとつは、似たようなことですが、タイトルだけではわかりにくいので、どうやって手短かに説明したらいいかと考え込んでしまうこと。まあ、これには私の頭がたいていアルコールで鈍っているという問題も影響していますが。

 そこで、この4回は目下私が訳している(これから訳す予定の)本にまつわる話と、その関連書について、(支障のない範囲で)書いてみようと思います。ある意味、自分のためにでもあるということで。もちろん、ここは翻ミスのサイトなので、広義のミステリに入らないものは除きます。

 前置きが長くなりました(いつものことでスミマセン)。

 第1回はヴァン・ダインの『ベンスン殺人事件』新訳(創元推理文庫刊行予定)です。

 ……あ、とっくの昔に出てなきゃいけないのに、なんていう突っ込みはご遠慮くださいね(苦笑)。私も忸怩たる思いというか、いろいろ複雑な気持ちに悩まされてるんですから。

 作品と作家自体に関しては、このサイトを読まれている方には説明の必要はないでしょう。ある程度ミステリやエンタメ小説を日ごろ読んでいる友人たちにとっても、“ファイロ・ヴァンスもの”は、すぐにわかる古典のようです。しかも、意外なところで「ヴァン・ダインは大昔読んだきりなので懐かしい。また読みたい」という声を聞くこともあります。たとえば、前述の物理科同期生など、ある程度年輩の層に多いようですね。ホームズものやクリスティ、クイーンほどではないにしても、その浸透度、知名度はなかなかのようです。したがって、これについては「今何訳してる?」への答は比較的容易というわけです。

 ジョン・ラフリー著『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』(清野泉訳、国書刊行会)の巻末にある邦訳リスト(おそらく藤原さん作成ですよね?)によれば、『ベンスン殺人事件』の初訳は、1930年の平林初之輔訳(春陽堂)と松本正雄訳(平凡社)の2冊。ただ、1950年に出た延原謙訳の『ベンスン殺人事件』(新樹社〈ぶらっく叢書〉)にある訳者後記を見ると、この平林訳について「省略が相當甚だしいうへ、第二十五章が全部省いてある」と書かれてあります。ということは、全訳は延原さんの1950年が最初なのか……。私は古典ミステリ研究者でないのでよくわかりませんが、いずれにせよ現在手に入る、そして多くの方が読んできたファイロ・ヴァンスは、創元推理文庫の井上勇訳でしょう。

 お持ちの方はご存知のように、この井上訳が初めて創元推理文庫版で出たのは、1959年(その前の1957年に同社の〈世界推理小説全集〉に入っています)。文庫化のとき、あるいは文庫の重版時に、ある程度の改訂はあったはずですが、ほとんどの部分は今から50年以上前の翻訳であると思われます。

 そのあたりが難しい……。どう難しいかというと、古い訳で馴染んだ読者の多い作品を、同じ文庫で新たな訳をするとなると、私の新訳とのギャップがかなり大きくなるからです。何年かごとにいろいろな訳者が“新訳”をつくってきたホームズものでさえ、新潮文庫の延原訳を懐かしむ人から、私の訳文はよくけなされる、というか違和感を憶えるという感想をちょうだいすることが多いのです。かつて集英社文庫で『僧正殺人事件』を訳したときも、亡くなった都筑道夫さんに苦言を呈されました。古い名訳があれば新訳などいらないのだ、と。もちろん、その中で指摘された不適切な訳語は、もっともだと思えたので、その後の創元版で直しました。

 私自身、ホームズものの延原さん訳は名調子だと思いますし、多少の誤訳や省略があっても、小説(エンタメ)として面白く読めるといういちばんの目的にかなったものだとも思います。ひるがえって自分の訳は、名調子だなどとはとても言えないものの、ごく普通の読者の方から、「読みやすかった」と言われるときが無上の喜びであることは、確かです。昔ながらの調子を求める人にとって読みやすいものと、現代の読者にとって読みやすいもの、その両方が共存できる状態が、理想ではないかとも思うわけで、これはミステリに限らず、サリンジャーにしろ星の王子様にしろ、同じではないかと……。

 それに対して、ひとつひとつの訳語にこだわり“誤訳”を指摘する方もいらっしゃるわけですが、「フィクションにおいて絶対的に正しい訳語というのはあるのか」という問題を含めて、話を進めると長くなりすぎますので、ここではやめておきます。

 前述の『別名S・S・ヴァン・ダイン』は、予想に反して(失礼)とても面白い本でした。原書を買ったときに見たネット上の書評(感想)に、ファイロ・ヴァンスの生みの親としての側面はあまり描かれていないとあったことから、拾い読み程度で置いてあったのです。ところが、訳書を読んでみると、これが面白い。時代背景もさることながら、やはりエキセントリックな人物の波乱の生涯は興味深い……そういうことを再認識したのでした。ネットの紹介文の信頼度が低いという問題より、たとえそれが正しい内容であっても、自分が読んでみるまで予断は禁物、ということも、再認識させられたわけであります。

 以上、「今何訳してる?」の第1回は『ベンスン殺人事件』でしたが、実は『カナリア殺人事件』も並行作業で少しずつ進めていることもご報告しておきましょう。いつも顔を見るたびに「ファイロ・ヴァンスものの次は出ないのか?」という友人たちの追求に対処するためでもあります。

 あ、蛇足ですが、ミステリアス・ブックショップのオットー・ペンズラーが1999年に書いた資料によると、状態が良くカバージャケット付きの“The Benson Murder Case”初版本は、市場価格(2012/03/05 08:21時点)1万ドルだそうです(ふぅ)。十年以上たった今の値段はわかりませんが、うちにあるカバーなしボロボロ本は、10ドル程度でした。

日暮雅通(ひぐらし まさみち)。千葉市生まれ、東京在住。主な訳書にコナン・ドイル『新訳シャーロック・ホームズ全集』、ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』、サマースケイル『最初の刑事』スタシャワー他『コナン・ドイル書簡集』など。

●AmazonJPで日暮雅通さんの著書をさがす●

■月替わり翻訳者エッセイ バックナンバー