第2回 ホックとホームズ

 ヴァン・ダインの、というかファイロ・ヴァンスものの“新訳”に絡んでは、語りたいことがまだまだあるのですが、そういうものを書くは自分のホームページ(サイト)を作ってからにしたいと思っています。今さらHPでもないだろう、ブログやツィッターじゃないのか、と言われるかもしれませんが、ブログもツイッターもSNSもやらないというのが現在の私の方針でして……。理由は長くなるのでやめておきます。

 というわけで、今回は次の「今どんなミステリを訳しているか」です。いやまあ、『ベンスン』にはまだケリがついていないのですけれど……(汗)。

『このミス』2012年版の読者なら、今回のタイトルからすぐにわかったかもしれませんね。故エドワード・D・ホックの書いたホームズ・パスティーシュ(だけ)の短篇集、“The Sherlock Holmes Stories of Edward D. Hoch”です(以下、『ホックのホームズ』)。

 この本を今年6月に出す予定、と「我が社の隠し玉」コーナーに書かれているのですが、同じ欄にもうひとつ私の訳書がありました。そちらの本は編集者の言う「十二月公開お正月興行といきたいところ」というのがひと月ずれてしまい、顰蹙を買ったのでした(反省)……そのせいか『ホックのホームズ』のほうにも巷からの催促が(ネット上で)厳しくなっているようです。

 とはいえ、12ある収録作品のうち10作はすでに雑誌やアンソロジーに訳出されているし、その既訳を使うのだから、今度は簡単……と思うのは素人のなんとやら。新たな単行本として出す以上、他人(ひと)の訳とはいえ原文つき合わせチェックは必要ですし、自分の既訳は新たな目で見直して誤訳や不適正訳を直さねばなりません。そのうえで新たに2作品を訳すのですから、ある程度の時間はかかります。

 そうした作業をするうえで自分なりに注意しているのは、既訳のチェックに際して“シャーロッキアンの目”で見てはいけない、ということです。そういう見かたをするとたいてい、バイアスのかかった逐語単位のチェックをしてしまいますが、われわれエンタメ小説の訳者は「小説として面白く読める」ことを第一に考えるべきだと思うのです。単語がひとつ抜けているとか「ホームズものはこういう訳語を使わなくてはならない」とかいうことに神経をとがらせていると、ついつい読み手をおろそかにしてしまいがちだと……。

 ……あ、また“新訳”の問題に絡みそうなので、ここらでやめておきます。

 ところで、ホックと言えば、短篇の名手。エドと言えばジロリンタン、いや木村二郎さん。そのお付き合いの深さからも、膨大な短篇のうちかなりの数を訳していることからも、ホックは木村さんのもの、と私は思っています。ぴったりの訳だし。ただ、ホームズ・パスティーシュに関してだけは、マーティン・H・グリーンバーグなどが編むアンソロジーにホックが書き下ろすケースが増えたこともあり、私が訳す機会がこの数年で何度かありました。木村さんご自身からも、(忘年会の雑談のときなどに)なんとなく許可をいただいたようなかたちになっていましたし。だから、〈クーリエ&アイヴズ〉というホックの新たなシリーズものを『ジャーロ』に訳したときは、ある種罪悪感のようなものをおぼえました。……おかしいかな。

(そういえば、グリーンバーグも昨年亡くなってしまったのでした。EQMMにホックの短篇が載らないのもさみしいですが、グリーンバーグの編むアンソロジーにホックが書くことがもうないというのも、たまらなく残念です。)

 その木村さんが、確か2007年の忘年会でお会いしたとき、「アメリカのGryphon Booksという出版社がホックのホームズ・パスティーシュ集を出す」という情報をくださいました。調べてみると、かなり小さな(おそらくひとりでやっている)出版社であり、しかも経営者は、2005年9月の『ミステリマガジン』で私が訳出したホームズ・パスティーシュの著者、ゲアリ・ラヴィシ。驚きました。あのときはMWA賞の短編部門にノミネートされた作品として掲載したのでしたっけ。Amazon.comでは扱っていないので、直接の注文となりました。

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 その後ホックが2008年1月に急死し、同年3月発売の『ミステリマガジン』5月号で追悼特集が組まれたことは、憶えているでしょうか。このときはまだこの『ホックのホームズ』が出ていなかったので(刊行は2008年8月)、追悼特集には収録作品のリストだけ載せておきました。

 ところが、9月になって本が届いてみると、またびっくり。どうみても同人誌のようなつくりで、小口は波打ったり斜めに切られたりしているし、印刷も紙に対して完全に傾いている……つまり、手作業で製本して斜めになったところへ小口をカッターで切った、というような本なのです。見返しの遊びに使っている紙は、どピンク。目がくらくらしてきます。これで20ドル? おいおい……

 とは思ったものの、やはり貴重な12篇がおさまり、しかも生前のホックによる序文があるのですから、文句は言えません。そのころにはゲアリとも個人的にメールをやりとりし、刊行前の新作原稿などを送ってもらっていたのですから。

 ゲアリのあとがきによれば、ホックは編集作業の最終段階にきたところで(完本を見ることなく)亡くなったそうですが、表紙の絵は気に入ってくれたとか。……う〜む。ほんとかなぁ。なんというか、自費出版によくあるような表紙なんですよね。

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 そうそう、その自費出版の功罪。これもいつか自分のHPで書きたいテーマなのですが、去年夏の『ミステリーズ!』では、「紙幅がないので」そのうちまた、ということになったのでした。

 英語圏の国では、個人でもタイプライターなどで版下をつくりやすかったせいで、もともと日本より自費出版がしやすかったのだと思います。それがネット上のオンデマンド出版社や「あなたの原稿を本にします」企業の出現により爆発的に増え、Amazon.comなどが流通させてくれることが、さらに拍車をかけているようです。数年前からこのお手軽出版によるホームズ関係書が増えていたのですが、去年から今年にかけて、さらに雨後の竹の子状態。同人誌以下のレベルの作品でも、思いついたらパスティーシュを本にできるのですから。

 近年米英で刊行されるホームズ関係書(フィクションおよびノンフィクション)は、通常の商業出版社のもので年間20〜30冊といったところですが、去年の自費出版およびそれに近い(あやしい)本を含めた数は、倍近くになります。聞いたことのない版元だなと思って出版社名で検索すると、自費出版のサイトだったり、著者個人の出版社だったり。本来の出版と自費出版の両方をやっている企業の場合は、「限りなくグレー」ということになります。

 で、何が言いたいかというと、1)企画会議を経ないから内容のひどいものでも出せ、2)それがプロ編集者のチェックなしに出せ、3)こちらとしては内容を見ずに買うしかないケースも多いので……届いてみたら読むに堪えないパスティーシュだったり、誤字脱字・論理ミスのオンパレードだったりが繰り返される、ということです。

 これはまあ、ホームズ関係に限らないのでしょうね。それに編集者不在の問題は、これから日本でも多くなっていく電子出版においても、作家が自分で電子本を作るような場合には問題になるでしょう。すでにそれに気づいて発言している作家さんもいるようです。

 もちろん、私は自費出版本がすべてだめだなどと言っているわけではありません。商業ベースにのらないせいで出せない、優れた内容の本はあるわけで、それが日の目を見て結果的に読者のためになるのなら、こんなにいいことはないでしょう。同人誌だろうが自費出版だろうが、すばらしいパスティーシュはあります。問題は玉石混淆の状態でどうセレクトするか……かたっぱしから買っていくだけの資金(無駄金?)があれば、苦労はしないわけです。

 そういえば、どうみても自費出版の作品で、Amazon.comの読者評がやたらに高得点なケースが多いのは、どういうわけなんでしょうね。やはり友人知人によるやらせなのでしょうか。

 またしても話題がそれてしまいました。今週も消化不足かなぁ……。

 あ、ひとつだけ。ゲアリとは、ようやく今年の1月に会って話ができました。まったく予期せぬ出会いでお互いびっくりという一方、エンタメ・ペーパーバックやパルプ誌のものすごいコレクターにしては気さくな男という感じで、ほっとしたものでした。

日暮雅通(ひぐらし まさみち)。千葉市生まれ、東京在住。主な訳書にコナン・ドイル『新訳シャーロック・ホームズ全集』、ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』、サマースケイル『最初の刑事』スタシャワー他『コナン・ドイル書簡集』など。

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