第4回 訳文は腐るか?

 今回が担当分の最終回ですが、なんだか某誌の「我が社の隠し玉」みたいになってきました(笑)。いや、“現在進行形”の仕事が多いのは当然自慢になりませんし、むしろ同時進行により質が落ちているんじゃないかというお叱りを受けそうです。「おまえには手塚治虫のような才能があるというのか!」なんてね。ほかにもある“現在進行形”の本はミステリ以外の分野ですので、ここに書けなくてよかったかも……(苦笑)。

 ただ、ひとつの作品を完全に訳し終わるまでほかの仕事はできないという人がいる一方、フィクションとノンフィクションを並行作業で訳すのなら気分転換ができるという人もいると思います。私の場合は後者に近いのですが、ものによっては頭の切り替えに苦労する場合があることも確かです。

 ともあれ、純粋な現在進行形のお話は、これくらいにしておきましょう。今回は少し先の仕事について、いくつか書いておきます。……あくまでも「少し」ですよ。あまり先のことは一種の企業秘密というか、出版社の企画を漏らすことにもつながるので、遠慮しておかなければ。これは、かつて著作権エージェントで働いていたころに染みついた倫理観です。

 その前にひとつ。初回にちょっと触れた、「年を経ればガソリンも腐るし、訳文も腐る」というテーマについて書いておきましょう(実は今回の中身はこれがメインなのですが)。

「腐る」というのは、時代に合わなくなる(時代が変わることで不適切な訳語や表現が多くなる)ことと、訳者本人が改訂したくなることの、両方の意味をもっています。初回でとりあげたファイロ・ヴァンスものの井上勇訳は50年以上前のものですから、確かに2012年の読者が読むと違和感をおぼえる部分がかなりあり、私自身も新訳の必要性を感じてきました。

 一方、井上さんご自身は、シリーズ最後(12作目)の訳本『ウインター殺人事件』のあとがきで、当時の日本語の崩壊により自分の訳文が(一作目から最終作までのあいだで)変化したことを指摘したあと、「いずれ、日本語がいちおう定着すれば、そのさい、また改訳を試み、少なくとも十年くらいの生命のある翻訳にしておきたいが、それは百年、河清を待つにひとしいかも知れない」と書いています。一作目の『ベンスン』に着手したのは1956年正月、『ウインター』の訳を完了したのが1961年末ともありますから、丸6年間の作業だったわけです。

「十年くらいの生命のある翻訳にしておきたい」というからには、前述の「訳者本人が改訂したくなる」ケースでもあるわけですが、自分の訳を改訂しても10年くらいしかもたない、と井上さんは考えていたのでしょうか。

 ちなみに、井上さんが亡くなったのは1985年。Wikipedia日本語版には、「経歴の中期と言うべき、50年代後半から60年代前半の約10年間は、年平均10冊以上という極めて速いペースで訳書を刊行した」とあります。

 私自身、自分の訳文が何年で「腐る」のかはわかりません。もちろんジャンルによって、あるいはその作品がもともと“古典”なのかどうかによって、違うでしょう。時代がどう変わっていくかも、わかりませんし。

 このあたりは初回に書いたことにもつながってくるわけです。

 逆に、腐らないというか、腐りにくい訳文もあると思います。時代がすっかり変わってしまっても通用する文章。読み継がれ、訳文そのものが“古典”になっていくケース。

 先日、翻訳学校でヴァンス・シリーズのいくつかを取り上げ、チェッキング・リサーチ(自分が訳すのでなく、既訳の文章と原文を照らしてチェックする、編集者や校閲者の作業に近い勉強)をしたことがありました。そこで発見したのが、古い訳でも表記を新しくするだけで今も通用する、むしろその後の時代の訳文よりみごとな場合もある、ということです。特に、井上訳より古い延原謙訳の『ベンスン殺人事件』(新樹社ぶらっく選書、1950年)や、宇野利泰訳の『巨龍(ドラゴン)殺人事件』(別冊宝石、1954年)は、60年後の目で見てもみごとな文章でした。もちろん、あの時代らしい意訳や単語の選び方はあるものの、「腐る」どころか現代の生徒にとってお手本となるような部分も多かったのです。

 つまり、年月がたったからといって必ずしも「腐る」わけではないし、かといって古い訳文がすべて何十年も通用するわけではない……まあ、当たり前の結論でしょうか。古い名訳があれば新訳などいらないというのも、いささか乱暴な考えだと言わざるを得ません。

 先日、子供向けの本に載せるホームズものの翻訳をテーマにした座談会に出たのですが、そのときに同意を得たのは、「古典名作(ホームズもの)の翻訳はたくさんあっていい、いろいろな訳者の翻訳を読める日本人読者は世界でいちばん幸せなのではないか」という結論でした。まあ、できればホームズものにしろそのパスティーシュにしろ、コミックにしろ、ホームズとその時代をきちんとわかっている人に訳してほしいものですが……。

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 話を戻して、「少し先」の仕事について。

 ファイロ・ヴァンスのシリーズは全12作で、『ベンスン』が出てもまだ2作。当然次は『カナリア殺人事件』、そして次は……と続きます。

 キャロル・ネルソン・ダグラスのホームズ・パスティーシュ(アイリーン・シリーズ)は、二作目の“The Adventuress”(ハードカバー刊行時のタイトルは“Good Morning, Irene”)。三作目までは出すわけですが、いつになるかなぁ……。

 ノン・シリーズでは、クトゥルー神話の世界限定で各作家が書き下ろしたホームズ・パスティーシュ集、“Shadows Over Baker Street”(ed. by Michael Reaves and John Pelan)。これはなんと、夏来健次さんとの共訳です。

 ……あれ、以上は全部東京創元社の仕事ですね。おかしい。他社の仕事もしているはずなのに。近未来(?)のミステリの仕事で、しかもすでに予定されているものに限ると、こういうことになってしまうのかも。

 あるいは、「今何を読んでいるか」というテーマのほうがよかったでしょうか。ジョン・ル・カレの息子ニック・ハーカウェイの第二作“Angelmaker”(今度は犯罪もの)とか、女流の新星Lyndsay Fayeがニューヨーク市警の黎明期を舞台にしたミステリ“The Gods of Gotham”とか……。

 最後は駆け足でしたが、またどこかでお目にかかれればうれしいです。

日暮雅通(ひぐらし まさみち)。千葉市生まれ、東京在住。主な訳書にコナン・ドイル『新訳シャーロック・ホームズ全集』、ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』、サマースケイル『最初の刑事』スタシャワー他『コナン・ドイル書簡集』など。

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