4 マイナーポエット礼讃

 自分のやるべきこと、仕事の方向性をさまざまに勘案するのはもちろん有益であるだろうが、結局は好きなものを好きにやるだけだから考えても無駄だという意見にも一面の真理はあるだろう。

 ここ数年ばかり文学史的に重要な作家を主に訳してきたのだが、元々怪奇小説、幻想小説の翻訳者であるので、そうした作家、そしてファンタジーやユーモアの作家から目を離したことはない。

 そして私から見れば、そういう作家はマイナーポエット的作家ということになる。

 怪奇もユーモアも畢竟詩性の表れなのだ。ミステリーやSFもまた私の目には詩性のべつの表れのように見える。

 連載も最後なので、今回はこれから訳そうと考えている作家、あるいは単に好きな作家について、書かせていただくとしよう。森の小径を歩くように作家や本のあいだを歩いてみようと思う。とりとめのないものになるかもしれないが。

 書影などを収録した頁を作ったので、そちらを参照しながら読むといっそう散策的な気分になるかもしれない。

http://homepage3.nifty.com/dog-and-me/mystery/mystery_1.html

 未紹介の作家あるいは紹介が十分でない作家はもちろん多い。小説誕生以来英米にはそれこそ星の数ほど作家が生まれたわけだから当然だろう。国内作家でも忘れられた作家のほうが圧倒的に多いのだから。

 商売柄、そうした日本ではあまり知られていない作家を追うことになるのだが、これがなかなか楽しい。こちらでは無名の作家(あちらでもそうだったりするが)、知られていない小説を探すのは黄金を探すような作業である。探しだした時の嬉しさもまた、それらの作家や作品が黄金であることを証しているだろう。そして黄金を独占するのは嬉しい。いいものを見つけた時の歓び、充足感。

 翻訳者やアンソロジストであることを天に感謝したくなるのはそんな時である。

 そういう作家の一人にマーティン・アームストロングがいる。 アームストロングは穏やかなユーモアが特徴のイギリス作家である。私はこの人の上品な文章で書かれた小説が非常に好きで、本の形になったものは全部集めようと思っている。蒐集ということにあまり意義を見いだせない自分にしては珍しいことかもしれない。アームストロングは意外に幅が広く、普通小説からゴーストストーリーさらにはファンタジーまで書いた。

 いまのところ翻訳の予定はないがヴァーノン・ノウルズも以前から好んでいる作家である。

 ノウルズは基本的にはファンタジー作家で、ただその空想の質は派手ではなく、文章にもアマチュア的な雰囲気がある。

 突出した作品がないので、アンソロジーなどにも採りあげにくいのだが、いずれ何らかの形で紹介できればいいと思っている。

 短篇集『二と二で五』の装幀はすべての本の装幀のなかで一番好きかもしれない。

 採りあげにくいと言えば、もう二十年ほど前から私は『東洋幻想譚』というアンソロジーの企画を温めていて、企画書を懐中に四社ほど訪れているのだが、見事にすべて玉砕している。

 作家が無名でテーマも一般的でないことを思えばしょうがないのかもしれないが、やはり残念である。万策尽きたら電子書籍という形も考慮してみたほうがいいのかもしれない。

 私が英米の東洋綺譚に興味をいだくきっかけになったのは、ユルスナールの「絵師の行方」やヴィカーズのチャーリー・チャンあたりかもしれない。

 ともかく私はいつのまにか、幻想の東洋が現れる作品であれば迷うことなく買い求めるようになった。

 東洋幻想を作品化した作家としてはフランク・オウエン、リリー・アダムズ・ベック、アーネスト・ブラマー、ドナルド・コーリーなどがいる。 

 ベックの経歴は述べておくべきだろう。彼女は京都生まれで世界中を旅した女性大衆作家である。東洋幻想譚を多く書き、日本を舞台にしたものも多い。柔術や観音が登場したりする。

 大衆性と詩性を結びつけた作家にも私は目がない。ゴーストストーリーはその範疇にはいるだろうし(恐怖と詩は従兄弟くらいではないだろうか)、アンドリュー・カルデコットやロルトなど、怪奇作家のなかでも地味な作家たちの小説を深夜に読む歓びは格別である。

 港湾地区の人々を主人公にしたウィリアム・ワイマーク・ジェイコブズの小説も楽しい。ジェイコブズの文章は決して急がない。そしてユーモアと慎ましさがあって人の情がある。

 ジェイコブズの作品はゴーストストーリー以外には訳出の機会を作ることが東洋幻想譚よりさらに難しい。何とかできないものか。まあ、出しても売れないのは目に見えているわけだが。

 参考画像のページに載せたほかの作家や作品は、文学事典には載らないような作家である。彼ら彼女らは誰かに決定的な影響を与えなかったかもしれないが、同時に誰の影響も決定的に受けていないように見える。すなわち、それがマイナーポエットであるということなのだろうか。

 写真4の右端の質素な本は、ステラ・ベンスンの長篇であるが、私はベンスンのこのファンタジーが好きでならない。イギリスの前世紀の二十年代はファンタジーの時代でもあって、多くの傑作が生まれたが、この作品『寂しい暮らし』はホープ・マーリーズの『霧の都』と並ぶ名品である。是非とも自分の手で訳したいものである。

 写真5のトロワイヤの本に収録された短篇が日本語になるのはまだ少し先だろう。フランス語の上達がまだ十分ではないのである。

『ウィアード・テールズ』とバランタイン・ブックスの画像を載せはしたが、今回のテーマにはあまり関係がないかもしれない。

 ただ、視覚面から両者が世界中の怪奇幻想ファンタジーのマニアに与えた影響は計り知れないほど大きい。

 バランタインのアダルト・ファンタジー・シリーズのペーパーバックをはじめて見た時は思わず息を飲んだものである。その絵から別世界がそのまま広がっているような気がしたのだ。

『ウィアード・テールズ』の1928年12月号のヒュー・ランキンの絵は同誌の表紙のなかで私がもっとも愛するものである。

 しかしあと十年少しで『ウィアード・テールズ』も創刊百年である。早いものである。

 予想通り、だいぶとりとめのないものになってしまった。最後に東洋幻想譚の一節でも訳そうかと思ったが、そこまでの時間はないようだ。

 一月のあいだお読み下さった方々には深く感謝したい。スペインの挨拶「神とともにゆけ」にならってこの言葉を諸氏に送りたいと思う。

「Vaya con libros interesantes(面白い書物とともにゆけ)」 

西崎憲(にしざき けん)。青森県生まれ、東京在住。訳書にチェスタトン『四人の申し分なき重罪人』、バークリー『第二の銃声』、『エドガー・アラン・ポー短篇集』『ヘミングウェイ短篇集』など。2002年にファンタジーノヴェル大賞受賞。小説に『蕃東国年代記』、『ゆみに町ガイドブック』など。近刊に『飛行士と東京の雨の森』(仮題)。音楽レーベル dog and me records 主宰。

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