第4回 リーディングの愉悦

 翻訳の一連の工程のなかでいちばん好きな作業といえば——

 断然リーディング(下読み)!

 あるときは「エージェントからおススメ本が届いてますけど、読んでみます?」、またあるときは「きっと面白いはず!」とか「なにやら面白そうな気配が……」とか編集者さんからお声がかかれば、読みかけの本をほっぽり出してでもふたつ返事で飛びついちゃう。ある日突然テキストだけが届き、あとからメールで「あ、うっかりお伝えするの忘れてました。てへ」なんて言ってくることもあるが、許す。こちらの趣味嗜好、得手不得手はばっちり把握してらっしゃる方ばかりだから、SFやポルノが送られて来る心配はない。

 はてさて今回はどんな驚きを味わわせてくれるのか、どんな手口で笑わせてくれるんだねと、期待感全開でいそいそと読みはじめるのである。

 ちゃんと数えたことはないけれど、依頼件数は年平均二十くらいか。もちろんなかには趣味に合わないものだってある。たとえ傑作・怪作にめぐり逢えても版権獲得競争に敗れ涙を呑むこともある。これは絶対に受けると思っても、編集者さんが乗ってくれないことも……。

 とまあ、わたしに関する限り、リーディングがそのまま仕事に直結することは滅多にないのだが、未知の作家や作品を知るいい機会でもあるから全然オッケーです。極端な話、とことんつまらない作品であっても、読めば何かしら得るものはあるわけで。

 読み終わって「ああ、面白かった!」で済ませられれば言うことなしだが、そこはやはりお仕事である以上、ストーリーの要約にコメントを添えたレジュメ(報告書)を作成しなくてはならない(これさえなければリーディングを専業にしたっていいくらいなんだが)。

 以前は読みながらメモったものを見直すだけでストーリーを細部まで思い出せたのに、最近は記憶装置がニワトリ並みになっているらしく、ノートとペンと付箋がリーディングには欠かせない。

 そういえばこのごろはテキストが本の形でなく、タイプ原稿やゲラをプリントアウトしただけの紙の束でどさっと届くことも多くなった(本国でも刊行前ということ)。本はやっぱり本の形じゃないと気分が乗らないとおっしゃる向きもあるかと思うが、これはこれで思う存分書き込みができるので、リーディングにはけっこう重宝する。

 ところがここからさらに進化して、「キンドルに落とせます」というメールとともに原稿が添付されてきたりすると、ハイテク音痴はもう途方に暮れるしかない。たしかにいったんテキストをキンドルに格納してしまえばどこにでも持ち歩けるし、辞書も内蔵されているし、活字も大きくできるしで便利は便利。

 でもやっぱりリーディングには分厚い紙束ですよ。紙のテキストなら、ページの前後を手早く確認できるし、蛍光ペンでがしがしマークできるし、ノートに書き込んだりコーヒーを淹れに席を立ったりしてこっちがもたもたしても、不貞腐れてスリープ状態になったりなんかしない。付箋だってぺたぺた貼りたいんだ!

 はい、ご推察の通り、青木はキンドルの便利機能をまだ十分に使いこなせておりませぬ。

 依頼されたリーディングも楽しいけれど、新しい作家や作品を発掘すべく自主的にあれこれ読み散らすのもやめられない。ネットを開けば異国の新聞雑誌の書評も読めて、世界中の読書マニアたちが発信する様々なジャンルの作品情報まで入手できる。あとは当たりをつけた本を密林ドットコムに注文するだけ。キンドルなら読みたいと思ったその場でテキストをダウンロードできてしまうのだ。こんな恵まれた環境を活用しない手はない。

 八年ほど前、『ニューヨーク・タイムズ』の書評欄で見つけたBlue BalliettのChasing Vermeerを読んで、「お、イケるかも」とちょっとその気になったことがある。

 これは、ひょんなことからフェルメールの名画盗難事件の謎を追うことになったシカゴ大付属校の中学生コンビが活躍するYA向けミステリだ。ペントミノとかいう図形パズルや暗号解読が出てくるし、隠しメッセージのある挿画も凝りに凝っていて、子供だけでなく大人も十分楽しめる。

 さらにこの物語の隠し味になっているのが、アメリカの作家で超常現象研究家のチャールズ・フォート(1874-1932)が書いたLo!という本の存在だ。これはカエルが空から大量に降ってきたり、人が忽然と消えたり、謎の飛行物体が現れたりといった世界各地で報告された不思議な事例を二十七年にわたり、過去の新聞記事からつぶさに調べ上げて大真面目に考察している、いわゆるトンデモ本というやつ。これがまたなかなかの珍本で……という話はさておき、青木はこんなふうに別の本との出会いを取り持ってくれるタイプの小説に惚れっぽい体質なんである。

 まずは打診をと思い、たまたま別件で会うことになっていた編集者さんにこの本を見せ、さらっと内容を説明したのだけれど、その場ではあまり興味を示してもらえなかった。ここでめげずにレジュメを書いて、あちこちの出版社にばらまくくらいの営業力があればよかったのだが……横着なところもまた青木の体質なもので。

 しばらくして、これがヴィレッジブックスから『フェルメールの暗号』のタイトルで単行本が出たときはしてやられたと思ったが、読んでみたらこれがすごくいい。訳すのが面倒そうだと思っていた暗号解読の箇所もすっきり見事にクリアされていて、「そうか、こうやればいいのか」と感心することしきり。いい訳者に恵まれて本も喜んでいるに違いない。物語もよくできているし、翻訳する際のそうした工夫を知るうえでも読んで損のない一冊です(いま出ている文庫版では残念ながら挿画はなし)。

 そんな横着者が珍しく行動を起こしてやらせてもらったのが、スーザン・カンデルの『E・S・ガードナーへの手紙』『少女探偵の肖像』だった(持ち込み先は長いおつきあいのある東京創元社)。それだけに愛着のあるシリーズなのだが、売れ行きのほうがいまひとつぱっとせず……。

 これはヴィンテージ・ファッションをこよなく愛するバツイチの伝記作家シシー・カルーソーが活躍するシリーズもののコージー・ミステリ。毎回、過去のミステリ作家の評伝を書き進めている最中に、(お約束通り)なぜか殺人事件に出くわし、(これまたお約束通り)仕事そっちのけで捜査に首を突っこんでいく素人探偵ものである。一冊目はペリー・メイスン・シリーズの原作者としておなじみのE・S・ガードナー、二冊目はナンシー・ドルー・シリーズのキャロリン・キーンに絡んだ事件をシシーが追っていく。

 このシリーズの魅力は、なんといっても往年のミステリ作家たちにまつわる逸話や彼らが残した作品群を作中に巧みに織り込んでいる点にある。彼らの作品はまさに時を超えていまなお輝きを失わないヴィンテージものというわけ。

 貧乏ライターにも関わらず、往年の有名デザイナーが手がけた高価なドレスやファッション小物になけなしの金をはたいてしまうというトホホな設定も、ヴィンテージ好きというシシーのキャラを際立たせる愉快にして重要なポイントで——あらら、思いっきり営業モード?

 ミステリとしての出来栄えは、まあそこそこと言うかなんと言うか……むにゃむにゃ。でもね、作中に別の本が絡んでくる小説をこよなく愛する青木としては、そういう些事はどうでもいいのである(きっぱり)。

 このシリーズはさらにダシ—ル・ハメット、アガサ・クリスティと続くのだが、なにせ先にも触れたような事情もあり、邦訳は前述の二作で止まったまま。かえすがえすも口惜しい。おバカなミステリを楽しみながら、ミステリ界の大御所たちの作品を改めて読み直すきっかけにもなるというのに、ああもったいない!

 たしかに第一作は、ガードナーの知名度が昔ほどでないところがキビシイと言えば言える。テレビドラマの人気シリーズ『ペリー・メイスン』は知っていても、それとガードナーの名前がぱっと結びつく人はそう多くないだろうし、彼の膨大な数にのぼる法廷ミステリ作品のほとんどがすでに絶版なんだもの。

 その点二作目にはまだ希望の光がなくもない。実は『少女探偵の肖像』の刊行の二年前に、同じ版元が本家本元のナンシー・ドルー・ミステリの刊行を開始(第一弾は『古時計の秘密』)、いまもシリーズは順調に巻を重ねているのである。ここはひとまずそちらで売り上げを伸ばしていただき、その収益のおこぼれをこちらの続刊実現に回していただく——な〜んて虫のいいことを考えているわけでして。

 実はこれから取りかかる仕事も、もとをただせば東京創元社に数年前に持ち込み、粘りに粘ってゴーサインをいただいた小説だ。作者はケイト・アトキンソン。すでにウィットブレッド賞受賞作『博物館の裏庭で』が新潮クレストブックスから出ているのでご存知の方も多いと思うが、わたしが目をつけたのは探偵ジャクソン・ブロディを軸に据えたミステリ・シリーズのほう。昨年すでにBBCがこれをドラマ化し、英国推理作家協会から最優秀ドラマ賞をもらっている。

 もっとも同作家のいささか風変わりな短篇集Not the End of the Worldを担当編集者殿から押しつけられ(!)、まずはこちらを先にお目にかける予定なので、ブロディ・シリーズのほうは少し先になりそうですが、楽しみにお待ちいただければ幸いです。

 そういえばケイト・モートンの新作原稿もそろそろ届くらしいし……ああ、早く読みたい。面白いといいな!

 梅雨の晴れ間、いつものように愛車のペダルをせっせとこいで池袋へ。

 自宅から池袋までのルートはいたって単純、広いバス通りをひたすらまっすぐ走るだけ。悲しいかな、途中、本屋が一軒もない(ブック○フだけはしっかりある)。

 十二年前に越してきたときにはあった自宅近くの個人経営の本屋さんは七年前に店をたたんでしまったし、有楽町線に乗るときに利用していた駅前の本屋さんも廃業してすでに二年、そこはいまクリーニング屋になっている。

 自宅から歩いてすぐのところに日大医学部のキャンパスがあるが、正門周辺には本屋もなければ古本屋もない。需要がない? ここの学生は本を読まんのか? 『チーム・バチスタの栄光』はどうした!? 『白い巨塔』は!? って、それより医学書はどうなんだっ!!!

 はい、気を鎮めて最後の釣果のご報告(リハビリ湯治がいつの間にやら渓流釣り。元気になった証拠である)。

○円城塔『バナナ剥きには最適の日々』早川書房

 言わずと知れた最新芥川賞作家の受賞第一作の短編集。『オブ・ザ・ベースボール』のじつに馬鹿馬鹿しいシチュエーションがかもしだす不条理な笑いを、この新刊で再び味わうことができるのか?『私のいない高校』で三島由紀夫賞をとった青木淳悟の諸作もそうだが、「なんだこりゃ」と言いつつ惹かれるのはなぜ? このおふたりの思考回路には興味津々なんである。 

○多和田葉子『雲をつかむ話』講談社

 彼女の書くものを読むと決まって、翻訳(言葉)をめぐる思念が棘のように刺さってくる。これにチクッとやられると、わたしの鈍った言語中枢にビビッと電流が走る。これってけっこう快感。わたしってマゾ?

○中村邦生『転落譚』水声社

 以前、文庫版『ロコス亭』の書評を書いてくださった鴻巣友季子さんが、その同じ誌面で取り上げていた小説。「ある小説から作中人物が現実へ転げ落ち、帰る場所を探して古今東西の名作の中をさ迷うという、なんとも楽しい世界文学めぐりの小説」とくれば、俄然読みたくなるじゃありませんか。すぐさま購入リスト入りしたものの、なぜか(正直に言おう、お値段お高めゆえ)買いそびれていた。今回は迷いなし。

○パオロ・バチガルビ『第六ポンプ』中原尚哉・金子浩訳 早川ポケミス

 積読中の『ねじまき少女』に挑む前に、まずは短編で脳内筋トレをしておこうと購入。それはそうと、このエッセイの二回目で購入報告をしたBD『アンカル』だが、読み進むうちに登場人物たちの相関図が頭のなかでぐるんぐるんと渦を巻き……湯あたりどころか溺れかけちょります。

○若島正『乱視読者のSF講義』国書刊行会

 ならばSFなるものを基礎から学んでやろうではないか。

○ヨハン・テオリン『冬の灯台が語るとき』三角和代訳 早川ポケミス

 北欧ミステリはミレニアム三部作と、カミラ・レックバリの『氷姫』、ヘニング・マンケルの『背後の足音』を読んだきり。何かないかなと平台に目をやれば、山と山の狭間にこれを発見(つまり売れてるってことね)。タイトルがカッコいい。残酷でないことを祈りつつ。

○ジョルジュ・ペレック『さまざまな空間』塩塚秀一郎訳 水声社

 同作家の邦訳『煙滅』は、eをいっさい用いないで書かれた仏語原典に倣い、「い段」を含む日本語をいっさい使わずに訳した超絶技巧の労作。これまた「なんだこりゃ」の系譜に属する奇書である。今回買ったのはエッセイとも違う、空間をめぐる思索の断章のようなもの。同じ創作集団ウリポに属するレーモン・クノーの『文体練習』もそうだったが、これも眠りにつく前に拾い読みする一冊になってもらいましょう。

 以上、〆て税込壱萬四仟九百拾円也。

 八十五円の足が出たが、枠内にそこそこおさめられたのは、日頃スーパーで鍛えた主婦の勘てやつ? 

 あ、「がっちり買いまショー」なら失格じゃん。

 プルーストさま、あなたの超大作もちゃんと読むからね!

 というわけで、青木が担当した月替わり翻訳者エッセイも今回が最終回。

 四回にわたりおつきあいくださった皆様、ありがとうございました。

青木純子(あおき じゅんこ)。7月10日生まれ。蟹座。0型。東京都在住。主な訳書:フェリペ・アルファウ『ロコス亭』、クリストファー・バックリー『ニコチン・ウォーズ』、ローレンス・ノーフォーク『ジョン・ランプリエールの辞書』、B・S・ジョンソン『老人ホーム』、アンドルー・クルミ—『ミスター・ミー』、ギルバート・アデア『閉じた本』、ケイト・モートン『忘れられた花園』(以上東京創元社刊)、マリーナ・レヴィツカ『おっぱいとトラクター』(集英社文庫)など。

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