第3回 ジェラルディン・ブルックスをめぐるあれこれ

 読むぶんにはとくに問題なくさらりと読めるのに、いざ訳そうとするととても日本語にしづらいテキスト、というのがあります(あくまで当社比です)。ジョー・R・ランズデールの文章がそうでした(短篇をいくつか訳したことがあるだけですが)。ローレンス・ブロックにもちょっとそういうところがあるかも(短篇をいくつか…以下同文)。

 しかしジェラルディン・ブルックスのMarchはまた特別でした。正確には、読みやすくすらなかった……リーディング(翻訳出版が決まるまえの段階での下読み)ではなく、もともと翻訳のご依頼をいただける前提で読んでみてくださいと渡された本でしたが、初読時、とくに最初の四章を過ぎるあたりまでかなり時間がかかったように記憶しています。

 そしてそれは訳しはじめてからもおなじでした。

 もちろん、チョロイと思った作家なんていままでひとりもいません。書き手にはそれぞれに癖があります。文章のリズムとか。語彙の偏りとか。特定の単語について、辞書にはぱきっと出てこないけれどどう考えても毎回この意味で使っている、というような言葉の使い方をする書き手もいる。そういった癖をつかむまで、だいたい出だしから三分の一くらい(ときには半分くらい)は思うようにスピードがあがらない。それに、あとで見なおしたときに書きなおしたくなるのもたいてい時間のかかった出だしです。

 それにしても。ここまで難産だったのはMarchが初めて(最初で最後だといいけれど)。何しろ、朝から晩までPCに向かっているのに1ページくらいしか進まない。いやあな汗ばかりが流れ、ぜんぜん指が動かない。これはあれだ、テキストに負けている……。

 いやしかし、負けっぱなしではいられない、どこまで食いさがれるのか——と思ったときに、特効薬などないのですよね。当然いろいろな方法で周辺情報を集めたりはするわけですが、結局は原文と対峙するしかない。頭に絵が浮かぶまで、何度でも繰り返しテキストを読むしかない。

 そうやって、後半には少しスピードもあがり(出だしの10倍速くらい)、なんとかかんとかできあがったのが『マーチ家の父——もうひとつの若草物語』の単行本でした。おかげさまで重版、先日、文庫本にもなりました。重版も文庫化も、自分にとってはこれが初めてでした。

 サブタイトルから想像のつくとおり、本書は不朽の名作の設定をそのままに、その名作にない部分を埋めるように描かれた、四姉妹の父と母の物語です。単行本刊行当初から、「マーチ、ダメ男」「父、ムカツク」などなど(おもに読んでくれた友人から)容赦のない感想を聞かされてきましたが、今回文庫化作業の際に見なおして改めて思いました。そういう感想を持つというのもまた、ブルックスの手のひらの上の出来事なのですよ。お楽しみいただければ幸いです。

 この著者の本はもう一冊訳しています。Year of Wondersというタイトルの、ブルックスの小説第一作。こちらは少し事情がちがい、選定段階から関わっています。『マーチ家の父』刊行後にリーディングのご依頼を受けました。

 一読、悩む。さてどうしよう。推すべきか、推さざるべきか。自分はすごく好きだが、ちょっと地味ではなかろうか。中世イギリスの名もない寒村の話である。そこでペスト渦に翻弄された村人たちの話である。

 しかし、人々がいかに死にいかに生きたかが描かれるなかに、この著者特有の人を観察する“眼”がよく表われているし、最後にはちょっとしたサプライズもあるし、やはり日の目を見ないのはもったいないのではないか。

 その後、紆余曲折の末、こちらは『灰色の季節をこえて』という単行本になりました。

 これは楽しい仕事でした。主人公で語り手のアンナの“声”は比較的聞きとりやすかった。

 著者自身が朗読するオーディオブックが入手できたのも大きかったかもしれません。数ページ訳すごとに朗読を聞きながら見なおし、違和感を覚えた部分を書きなおす、という作業を繰り返しました。

 さて。ジェラルディン・ブルックスといえば、ほんとうはいちばん有名なのは『古書の来歴』。第二回翻訳ミステリー大賞受賞作でもあり、こちらもこの四月に文庫化されたばかりです。さらに、じつは未訳の長篇小説がひとつあるのですが、これについてはまた次回、少しだけ触れることにいたしましょう。

高山真由美(たかやま まゆみ)。東京生まれ、千葉県在住。訳書に、ジェラルディン・ブルックス『マーチ家の父——もうひとつの若草物語』『灰色の季節をこえて』、アッティカ・ロック『黒き水のうねり』、ヨリス・ライエンダイク『こうして世界は誤解する』(共訳)など。ツイッターアカウント @mayu_tak

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