(2) ルパン危機一髪

 というわけで前回は、似非翻訳家に日頃の怠惰のバチが当たり、深夜に恐怖体験をする羽目になった話を書いた。

 あれから二週間、ようやく危機的状況のひとつを脱したところです。あっ、そうそう、一週あいだが空いたのは、何もどんづまりの末に一回落としたからではない。お盆の週ということで初めから休みの予定だったのです。念のため。

 その間に約200枚分を訳し(今回はわりと訳しやすかったからで、もちろん普通だったらそうはいかない)、ほとんど即日あがったゲラを校正して「あとがき」を仕上げ、さっそく次の作品にかかるあいだの息抜きに(と言っては読んでいただいている方々に失礼だが)こうしてこのエッセイを書いている次第だ。

 それにしても、早川書房のKさんとやる仕事は、とりわけこの《カウントダウン・サスペンス》方式になるケースが多いような気がする。うーん、なんででしょうね? ともあれここはひとつお詫びのしるしに、この場を借りて少しばかり前宣伝をさせていただきたいと思う。

 件の本というのは、表題にもあるとおりルパン。先般、NHKの海外ニュースや新聞などでも取り上げられたのでご存知の方も多いと思うが、ルブラン自作の未発表ルパン・シリーズ作品『ルパン、最後の恋』が発見され、この5月、作者の死後70年目にして初めてフランスで本になったのだ。

 いや、「発見」という言い方はややオーバーかもしれない。作品自体の存在は以前から知られていたし、内容も一部伝わっていたのだから。ただしその全体像が公にされることはなく、原稿の所在もはっきりしない時期があったらしい。

 それをルブランの孫娘であるフロランスさんが(写真を見ると、ルブランによく似ている)、自宅に保管してあった祖父の遺品のなかから見つけ出した。160枚のタイプ原稿にルブラン自筆の推敲が施されているものだが、作者がほどなく病に倒れたため、完全な仕上がりまでには至っていなかった。とはいえルブランがルパン・シリーズの最終作をどのように構想していたかは充分にうかがい知ることのできる貴重な作品だということで、フロランスさんは出版社の要請を受けて公刊を決意したというわけだ。本が発売されるや、ルパン・シリーズ70年目の《新作》とあって雑誌やテレビなどでも話題になり、ベストセラーの上位に顔を出すほどの売れ行きだったという。

 そこでさっそく邦訳を出そうという話になったのが、6月も終わりに近いころ。どうせなら早いほうがいい、9月刊で行きたいと聞いて、正直ちょっと焦りましたね。とはいえ、ルパンの未発表作品をこの手で訳せるという機会をみすみす逃すわけにはいかない。それに翻訳家にとって急ぎの仕事というのは、実は大変なことばかりではない。原稿さえなんとかあげればすぐ本にしてくれるので、ありがたい面もあるのだ。こうして「ルパン危機一髪」は始まったのだった。

 たまたまそのころ、年に2、3回書いている「ミステリマガジン」洋書案内コーナーの執筆依頼が来た。どんな本を取り上げてもかまわないのだけれど、ちょうどいいのでこの『ルパン、最後の恋』について紹介したところ、これが思わぬ反響を呼んだ。洋書案内というのは、未訳の海外ミステリ作品やミステリ周辺書などを紹介するという、「ミステリマガジン」のなかでは比較的地味なページだ。今後翻訳されるかどうかもわからない作品がほとんどだから、よほど海外ミステリの動向に興味を持っている人でなければ、あまり注意して読んでいないのではないか。わたしはもう10年以上もこの欄に書いているけれど、目立ったリアクションを受けたことはほとんどない。それでも「ミステリマガジン」がこうしたページを続けているところには、ミステリ専門誌としての心意気が感じられる。

 もっとも『ルパン、最後の恋』の場合、翻訳が決まっていたので、ざっと内容紹介をしたあとに、「早川書房ではすでに翻訳刊行が決定しているので、その全貌が明らかになるのもそう遠くはないはずだ」と締めくくっておいた。するとそれを読んだ某新聞社の記者の方から取材が入り(やっぱり、読んでいる人はちゃんといるんだ!)、「ルパン、70年ぶりの新作、9月早川書房刊」とニュースになってしまったのだ。続いて後追い記事も出たりして、けっこう色々な新聞で取り上げられたらしい。これは予想してなかったことだけに、嬉しい事態だった。ただそうなると、こっちはますます「間に合いませんでした、ごめんなさい」ではすまされなくなる。柄にもなく社会的責任(というのも大袈裟だけれども)まで感じて、なんとか今回も危機を脱しました。皆さん、ルパンの新作、ぜひ読んでください。

平岡敦(ひらおか あつし)。千葉市生まれ、東京在住。主な訳書にグランジェ『クリムゾン・リバー』、アルテ『第四の扉』、ルブラン『怪盗紳士ルパン』、ジャプリゾ『シンデレラの罠』など。

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