2 尼

 尼、である。密林ともいう。

 翻訳者がリーディングを頼まれたとき、作品の評価にはもちろん自分のすぐれた洞察力と豊富な読書経験をもってあたるわけだが(ゴホゴホ)、すでに本国で発売されている作品の場合、どうしても、ちょっとだけ、ちょっとだけよ、見てしまうのが尼、すなわちアマゾンの読者レビューである。

 海の向こうの感想が自分とだいたい同じであればヨシヨシと思い、つまらなかったのに星5つがずらりと並んでいたりすると、アレ? どこかで読み違えただろうかと思ってしまう。

 ところが最近、米アマゾンの高評価レビューは金で買われたものがたくさんあると、もっぱらの評判だ。

 今年の8月末、ニューヨーク・タイムズが、著者に好意的レビューを提供するウェブサイトを2010年にたちあげた、ラザフォードという人物を取りあげた。おもに自費出版の著者を相手に、20個なら499ドル、50個なら999ドルでオンライン・レビューを書き、1ヵ月に28000ドルを稼いだという。ほどなく一人では書ききれなくなって、1レビュー15ドルで素人を雇い、ビジネスは大繁盛した。

 電子書籍で自費出版のサスペンス9冊を出したある著者は、ラザフォードから買ったレビューのおかげもあって、アマゾンでなんと百万部以上を売りあげたそうだ。しかし、翌年ラザフォードはアマゾンやグーグルから警戒されるようになり、サイトの広告を止められたり、レビューを削除されたりして、現在ビジネスは休止中とのこと。

 背景には、電子書籍の隆盛で、だれでもかんたんに自費出版ができるようになり、注目を集めたい著者の需要が多いということがあるらしい。

 この記事でもうひとつ興味深いのは、古典作品へのアマゾンの読者レビューは正直で、高評価ばかりが並ぶことはまずない、という指摘だ。

 「退屈そのもの」「凡庸」「文章がへた」——最近こういう手きびしい批評を受けた作品はなにかといえば、あの『グレート・ギャツビー』なのである(もちろん、全体を見れば星5つが多い)。

 すっかりおもしろくなって、『日はまた昇る』『深夜プラス1』『嵐が丘』などを調べてみた。ケッサクな読者レビューが目についたのは、『嵐が丘』だ。「マジ嫌い。登場人物はできるだけ早くみんな死んでほしいと思った」「いままで読んだ中でもっとも気のめいる本。これを読まなかったおかげで、齢60過ぎまで生きてこられた」

 みなさんも、お暇なとき、思いついた古典作品のレビューをのぞいてみてはいかがだろうか。

 つまり、当然ながら、星5つや4つばかりが並ぶ評価は不自然だということ。古今の名作といわれているものでさえ、読者レビューの一割は星1つだったりするのだ。現役作家の本なら、星1つや2つが適度にあるほうが、星5つや4つの中にほんとうの高評価が多いと考えられるだろう。

 だから、これからは尼様にまどわされず、自分を信じてリーディングのレジュメを書こうと、決意を新たにしたのであった(とはいっても、やっぱり見ちゃうんだけどね)。

野口百合子(のぐち ゆりこ)。神奈川県生まれ、東京都在住。最近の訳書は、C・J・ボックス『裁きの曠野』『震える山』、ウィリアム・ケント・クルーガー『希望の記憶』『闇の記憶』、サラ・スチュアート・テイラー『死者の館に』など。

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