第1回 

 皆様こんにちは。今月の翻訳者エッセイを担当させていただく白須清美と申します。師走の慌ただしい時期ですが、どうぞお付き合いのほどよろしくお願いします。

 依頼のメールによりますと「翻訳や読書に関係したことであれば、内容、分量はまったく自由」とのことでしたので、今回は私が翻訳家になるに当たり影響を受けた本を、3回にわたってご紹介したいと思います。

 と、いうのは後付けで、実は翻訳家を志したのは社会人になってからのこと、学生時代もミステリ系のサークルに籍を置いていたものの、海外ミステリを原書でバリバリ読んでいる先輩方の足元にも及ばない状況でした。ですので「翻訳家になるに当たり」の部分は括弧でくくってお読みいただければと思います。

 さて、最初にご紹介するのはこの本です。

『怪談』(1)〜(3) 少年少女講談社文庫

 いきなり絶版本で恐縮ですが、この本のことはいつか熱く語ってみたかったので挙げさせていただきました。子供向けの怪談アンソロジーです。

 子供の頃は怖がりのくせに怖い本が大好きで、本屋へ行けば「怖い本買ってー」と親にねだり、祖母が買い与えてくれたアーサー・ランサム全集などには目もくれず怪談に読みふけっていました。中でも一番心に残っているのがこのシリーズです。ここで、特にお気に入りの第3巻の目次を紹介しましょう。

「ミイラの足」ゴーチェ/川崎竹一訳

「かべをぬける男」エーメ/川崎竹一訳

「ゲッチンゲンの床屋」ホフマン/川崎竹一訳

「おおかみ屋敷の恐怖」ブラックウッド/石上三登志訳

雨月物語から「きくの日のやくそく」上田秋成/村松定孝訳

「ダンウィッチの怪物」ラブクラフト/都筑道夫訳

 どうですこのラインナップ。子供向けなのにラブクラフトが入っている辺りに本気度を感じます。他の巻にはジェイコブズの「猿の手」やポーの「黒猫」といった定番から、ブラッドベリやクリスティまで幅広く収録されています。

 この本は書店のおじさんに勧められた記憶があるのですが、その理由が「日本の怪談より怖くないから」だった気がします。確かに「ゲッチンゲンの床屋」なんて、今読むと床屋以外にはまったく共感できない恐怖。しかしそれが子供心に怖かったのは、何といっても「ゲッチンゲン」という語感のなせるわざでしょう。単なる地名なのに、何となく不穏な響き。同じ作中に「ゾーリンゲンのかみそり」というのも出てきて、それもまた怖かった。それからも長いこと、ゾーリンゲンが刃物で有名な実在の町と知らず、ある日ウィンドーでゾーリンゲンの名前を見たときには、フィクションの世界が本物になったような不思議な気持ちがしたものです。これが岐阜県関市などだったらここまで怖くはなかったでしょう。

 そのようなきっかけで何となく海外の小説に興味を持ち、以降ポー、サキ、ビアス、さらにはブラッドベリやダールに傾倒していったのでした。そういう意味では、前回の翻訳者エッセイで北原尚彦さんが触れられていた『ドイル傑作選』のホラーものや、デイヴィッド・イーリイなどの異色作家の訳を手がけさせていただいたことは本当に嬉しく思っています。

 ということで、第1回はこの辺で。ちなみにこの『怪談』は立川の東京都立多摩図書館に2巻と3巻が(表紙カバーもそのままに!)所蔵されていますので、都内にお住まいで興味のある方は読んでみてください。私も先日久しぶりに読み返し、胸が熱くなりました。

白須 清美(しらす きよみ)山梨県生まれ、東京都在住。訳書にパトリック・クェンティン『迷走パズル』『俳優パズル』、ニコラス・ブレイク『ワンダーランドの悪意』、マイケル・イネス『霧と雪』、ローリ・フォスター『流浪のヴィーナス』、ジェフリー・アボット『処刑と拷問の事典』(共訳)など。

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