(2)時限爆弾処理員の日常 

 前回、「ともかく努力し勉強すること」に尽きると思う、と書いた。といっても、翻訳の基本的なノウハウについては識者のみなさんが、いろいろと語ってこられたので、ぼくのような生半可な人間が口をはさむ余地は残っていない。

 ここでは、翻訳をふくむ執筆業を続けてきたなかで、遭遇したトラブルのなかから──非常にまれなトラブルにいくつも見舞われてきたんだよなあ〜(苦笑)──珍しい事例をいくつか挙げながら、「襲ってきたトラブルをどう乗り越えて、経験として次に生かしたか」についてご説明してみたい。

A) 下訳は使わない

 物書きなら誰もが痛感しているはずだが、ネット社会になってからというもの、どこの馬の骨ともつかない連中から、よく事情もわからないくせにケチをつけられるようになった。まったく訳のわからない文句もあれば、クレームをつける理由は確かにあるものの、それを勝手に拡大解釈して罵詈雑言をつらねる奴もいる。

 まあ、人の口の端にのぼるということは一種の有名税のようなものだと言えなくもないが、当事者ばかりか周辺の人間も罵るような連中もいる。

 ぼくがいままでさらされたなかで、もっとも腹が立ったのは、ネットのHP上で、有名人・著名人の粗さがしを頻繁にやってきていた、とある人物である。その人物が偶然、ぼくが関わった『<猿の惑星>隠された真実』をネタに、その冒頭の章の翻訳について「誤訳だらけで、校正もろくに仕事をしていない」といった旨の批判をしてきたのだ。

 ここで、その本の内容と分担について簡単に説明する。

 ご存じのように、<猿の惑星>という映画シリーズが1968〜1973年にあり、世界的に大ヒットし、近年、2本の新作も作られた。その最初の5本をサブカル的に読み解こうというもので、書いたのはセミプロのライター。

 翻訳は三分割し(記憶で書いているので、ぴったりこの分配率ではないはず)、

1(最初の3割)尾之上浩司

2(中盤の3・5割)本間有

3(終盤の3・5割)尾之上浩司

4(あとがきと資料編)尾之上浩司

 という構成になっている……プロの方なら、ここでちょっと妙な感触をもつのではないか。一続きになっている本の分担仕事の場合、こういうシャッフルはあまりしないはずだからだ。

 さて、この本が誕生したいきさつだが、当時、ティム・バートンの新作映画版公開が近づき、いつもお世話になっていて、<猿の惑星>の熱烈なファンでもある編集さんから「<猿の惑星>関連の本をなにか一冊出したいのですが、これを検討してもらえないか」と話があった。それが問題の本。例えて言うなら、卒論に上等な毛がはえたような代物だった。視点や切り口には見るべきものがいくつもあるが、いかにも論文といった問題提起や分析のくどい繰り返しや、おぼつかない書き方もあって(さらにかなり長い)「商品価値は75点、出す場合はくどい部分をカットしないとつらいでしょうね」と答えた。

 当時、新作<猿の惑星>関連の新刊がいくつも米英で企画され、エージェントからその売り込みとサンプルもいくつか来ていて、そちらのほうが商品価値はずっと高そうだったが、アドヴァンスも高そうで、結局、それらは見送った。いま考えると、それらは日本ではまったく訳出されなかったし、なかには本国でも未刊に終わったものもあったようで、よく考えるとちょっと怖い話である。

 さて、その後、編集部からは連絡がなく、映画の公開も近づいてきたので、この件はなしだと思っていたのだが、ある日突然、電話が入った。「ぎりぎりで悪いのだが、あの<猿の惑星>本の版権がようやく取れたので、共訳者・下訳者を動員して、4週間でなんとか原稿をあげてほしい」

 聞いた話では、編集さんは数年前に映画とは無関係に刊行されたセミプロの本なので、簡単に版権が取れると思っていたのだが、相手方がせこくふっかけてきて百ドル刻みの交渉が長引き、こんな切羽詰まった時期まで難航していたという。正直、映画公開の手前に出さなければならないタイプの本を出すには、その時点ですでにかなりつらい時期になっていたのは確かで、よその版元だったら降りるところだが、この編集さんにはそれまで良い企画をいくつもやらせてもらい、実績も出させてもらっていたので、そこで逃げるわけにはいかない。ということで、かなりヤバい仕事だったが引き受けた。

 と、ここで最初の翻訳分担の話に戻るわけだが、くどい部分をカットしてもかなりの量で、サブカル系ノンフィクションということもあって調べものの時間も必要になる。一人でやるなら四ヵ月は欲しい原書だが、時間は四週間しかない。つまり助けをたのんで、どうにか乗り切るしかない。でも経験のある方ならご存知のように、すぐに協力者を見つけるのは、かなり大変な話である。運よく、前年にもアンソロジーの分担を引き受けて良い仕事をしてくださった故・本間有さんがOKをくれたので、一人でできるぎりぎりの3・5割ほどを頼むことにした。旧場に彼女に助けてもらったことは、いまでも忘れていない。

 しかし、ほかの協力者を見つけることはできなかった。一日、一日と時間は減っていく。そこで、初めて二人の下訳者を使うことにした。どちらもファンダムで知り合った帰国子女で、片方は英語の先生。もう片方はライターさんだった。二人とも翻訳仕事をしたがっていて、片方は翻訳学校に通った経験があったはずだ。この二人に3割ほど直訳でかまわないからということで、頼み込んだ。

 さて、問題は分担である。本の終盤はかなりマニアックな映画&テレビなどの事情説明とその分析で、これは末尾の資料やあとがきとも重なるので、ぼくがやらないとまずい。

 では、残りはどうする? 下訳とはいえ、初心者に本の途中を任せるのは前後の見当がつかなくて大変だろうと、冒頭を任せることにした。そして、もっとも大変な中盤を、申し訳ないがと本間さんに頼んだのである。

 ここからは要約するが、下訳者二人はよくがんばってくれて、編集部から「頭のほうだけでも先にくれ」という催促がきたので、3週間でひとまず原稿をあげてくれた。本来なら、それをぼくが原文とつきあわせて手直しするべきところだが「ゲラになってから直してくれればいい」ということで、語り口だけ自分の文章とすりあわせて、原稿をもらった当日に編集部に転送した。ゲラは、ぼくを経由せずにまず校正のほうにまわり、全面真っ赤な直しが入ってから届いた。校正の方もせいぜい数日しか時間がなかったはずで、よくがんばってくださったと思う。それにさらに赤を入れるのは混乱を招くので、赤入れをすべてOKして戻し、自分の原稿をあげて、本間さんの分もふくめ全部のゲラを組み合わせて、再校ゲラを二日で戻して、どうにかぎりぎり発売日に間に合わせることができた。本間さんの原稿も、ぼく自身の原稿も、校閲からはごくノーマルなチェックしか入らなかったのは、言うまでもない。

 世の中の人間の多くは、一冊の本の原稿に何ヵ月もかけていると思い込んでいるようだ。じっさい、ノーマルな厚さのものでも、最低二、三ヵ月はかけたいのが本音だが、いろいろな事情でそうはいかないことが多いし、映画&テレビ関連本の仕事が多い身としては、そういうギリギリの状況下で依頼され、「あと一秒でドカン!」という作業にも何度もかかわってきた。そういう仕事では、担当の編集さん、校閲さんも少ない時間でどうにかしなければならないわけで、誰もが手抜きをしているわけではないが、一定量の問題点は残る。

 この件で得た教訓は「下訳は使わないほうがいい」「時間がない状況下で、敢えて厄介な仕事には挑まないほうがいい」の2点だった。下訳者の原稿は問題点が多いのは言うまでもなく、その人探しをふくめて、想像以上に時間と手間をくうものなので、時間がないからといって安易に使っても、逆に時間を損するだけだと痛感したからである。

 余談になるが、じつは昨年「下訳を使っていいので、大急ぎでこの仕事を」という話が一件あった。それは期限からして、手助けなしには間に合わない代物だったので、一応、心当たりのあった一人に一章分ほど試訳をさせてみたのだが、予想通り逆に時間がかかることになる出来だったので、それはキャンセルにした。そして不眠不休で、自力で間に合わせた。

 ちなみに、猿の惑星本の編集さんは、その直後に異動があって現場からいったん離れられてしまったので、10年ほどご無沙汰していた。ところが一昨年、「翻訳セクションに戻ってきて、テコ入れを図っている。新しい企画も混ぜていきたいので、いくつか売れ筋の企画を出してくれないか」と連絡があった。それで昨年、3冊ほど本を作らせてもらった。そのなかに『クトゥルフ神話への招待 遊星からの物体X』というアンソロジーがある。一般の読者のレビューには好意的なものも多いが、「適当にでっちあげたような」と批判する者もいる。

 単刀直入に言うと、もともとの企画は、あのコリン・ウィルソンがH・P・ラヴクラフトの「クトゥルフの呼び声」「狂気の山脈にて」という代表作二本にオマージュを捧げた、訳して文庫200ページほどにもなる小長篇The Tomb of the Old Onesを軸に、その原点の「クトゥルフの呼び声」の新訳(「狂気の山脈にて」の新訳も考えたが、分量が多いことと、よそで新訳版や漫画版が動いたので見送り)、さらに、クトゥルフ神話に属するか否かで英米では諸説あるが、ちょうど版元の系列会社で映画版が日本公開されることになった「遊星からの物体X ファーストコンタクト」の原作を組み合わせ、「極地もののクトゥルフ神話中編集」的な内容をめざしていたのである。

 しかし、昨年5月末、版権の必要なコリン・ウィルソンの小長篇について交渉が難航し、目処がたたなくなった。発売予定は7月末。またもカウントダウンがカチカチと進む。ひとまずウィルソンの翻訳をはじめていたものの、時間の猶予はあと半月ほど。版権が取れなければ、根本的に成立しない。そのとき編集さんから「代わりに埋められる、無版権で出せる作品はありませんか?」と訊かれた。さすがに経験を積んできたおかげで、今回は何かのときの対応策も用意していた。ラムジー・キャンベルの未訳作品群を時間ぎりぎりまで詰められるだけ詰めて、ファンに喜んでもらいましょう、と提案したのである。結局、半月で短編5本を訳す難行に挑むことになったものの、キャンベルの未訳作をまとめて読めたことを歓迎する読者も多く、売れ行きも良かったので、続刊が決まった(*注1)

 分量を使いすぎたので、これからは箇条書きで、ぼくが遭遇した、滅多にないようなトラブルについてご紹介しよう。

B)原書は最新のものを使うべし

 プレストン&チャイルド『レリック』は、ぼくが怪獣小説翻訳家をめざすことになった、お気に入りの本だが、いくつか心残りの部分がある。というのも、この本を翻訳するとき、編集部からはプルーフ(見本刷り)しかもらえなかったからだ。手違いで、編集部もエージェントから完本をもらえていなかったのである。エージェントは原著者側から完本をもらっていなかったという、ドミノ倒し状態の問題である。

 いまではネットで欧米からダイレクトに原書やデジタル・コンテンツが取り寄せられるが、当時はまだジュラ紀である(笑)。手紙で欧米に注文を出し、在庫や取り寄せについてやりとりし、国際郵便為替や銀行の小切手で送金し、数千円かかる航空便で一冊の本を送ってもらうには、数ヵ月かかる時代だった。ひとまず自力でアメリカの書店に完本注文を出したあとで、そのプルーフで翻訳をした。

 どんな作品であれ、日本でいうゲラにあたるプルーフには、一定量の書きなおしが行われているのがふつうである。特に近年、情報小説的な作品については、ハードカバーからペーパーバックに落ちるときにもかなりの改訂が加えられることが多い。単刀直入に言えば、校正段階になってようやく届いた完本とくらべると、「完本はプルーフよりも1割以上分量が増えていた」(汗)「丸まる削られた章、まったく新しくつけ加えられた章がいくつもあった」(大汗)「あちらこちらの文章が削られていたり、順番が入れ替わっていた」(普通)「固有名詞や造語が差し替えられていたり、造語の綴りが変更されていた」(汗)などの大幅な変更点があって、校正もかなり混乱。こちらはまえもって「プルーフで翻訳したので」と言っているにもかかわらず、「なぜ勝手に書き換えた」と変更点があるたびに何度も文句を言ってきたので、非常に腹がたったものである。

 これに近い話だが──

C)原書以外のものを使うな

 

 敬愛するリチャード・マシスンの単行本を初めて訳させてもらえることになった『奇蹟の輝き』は、個人的にとても思い入れのある作品だが、これについても心残りがある。

 この企画はいつものようにぼくが『ある日どこかで』と一緒に持ちこんだもので、企画段階で持っていた両方の原書ペーパーバック、さらに両者の合本ハードカバーは版元に提出していた。なので、手元には原書がなかった。

 版権が取れて、いざ訳すときになって編集部から送られてきたのは、原書ではなく両方の初版ハードカバーを1ページずつ(コピーではなくスキャンしたものをプリントアウトしたものだと思う)複写して、それをファイルバインダーで綴じたものだった。両方とも二十年近く絶版だったので原書の予備がなかったのだろう。それが原著者側から、それぞれ3冊ずつほど届いたので、これをベースに翻訳・編集しようという話だった。

 で、それを使ってまず『奇蹟の輝き』を訳したのだが……察しの良い方はお気づきかもしれない。原文のページが1枚抜けていたのである。それも、主人公とその妻が延々と十数ページにわたって問答を繰り返すところで、運悪くそのページが抜けても、台詞のやりとりが繋がってしまう部分だった。

 このトラブルは、マシスンのマニアの読者からアマゾンに指摘が載せられて、初めて気づいた。翻訳中、師匠格の方からイギリス版のハードカバーをもらったのだが、途中からそちらで訳すというのも問題なので、それはやらなかったのが悔やまれる

 おそらく原著者側がスキャンしたときに、このページを抜かしたのだろう。編集・校正も同様にファイルされたものを使ったので、誰も気づきようがなく、完全犯罪(汗)が成立してしまったわけである。

 かなり長くなってしまったので、これくらいにするが、普通ではなかなかないような特異なトラブルに遭遇したことがけっこう多い。ふりかえってみると、70冊ほどの本を作ってきたなかで、共著者・共訳者のいるものが20冊あまり。そのうち昨年の『シャーロック・ホームズの最強クイズ』以外は、どれも「3〜4週間で間に合わせてくれ」と頼まれたものばかりである。そして、助けを探す手間暇を考えると、その多くは報われないものが多く、何かあると軸になる者にクレームが返ってくる。

 訳書ではないが、以前、角川ホラー文庫で『ホラー・ガイドブック』というガイド本を編纂したことがある。当初、日本編と海外編2冊という話だったのが、執筆途中で1冊にまとめろ、という話に変わるなど、かなり紆余曲折があった本だが、いちばん困ったのが、丸まる一章分頼んだある人物が締め切りを半年あまりやぶり(途中から交代させるわけにもいかなくなってしまったので)、発売が大幅に遅れた点だ。すでに全体のページ数や台割が固定されているなか、この締め切りやぶりの困ったちゃん(笑)がいつ原稿をくれるかだけでなく、こちらの依頼通りの分量でくれるかどうかもあやしく、1ページ単位でいろんな人に外注していた細かい原稿のうち、まだあがっていないもの数十ページについてキャンセルさせてもらい、いざというときのページの調整ができるよう余裕を確保した。

 結局、その人の原稿が入ったあとですぐに刊行することになり、ページ調整用の細かい原稿すべてを、ぼくが2日ほどで書かなければならなくなった。そのため、いくつも大きなミスが残ってしまったのである(自分でも何を書いているのかわからないような、厳しい状況だったことは憶えている)。

 いままで共同で仕事をしたことがある方ならご存知のように、ぼくはまず手伝いを打診するときに、支払面の条件を細かく提示する。基本はやっただけの分量・比率で山分けである。そして、なにがあってもそれを変更したりはしない。だから、いまでは協力者が多くなったと自負しているのだが、そのぶん、最後に損をすることも少なくない。『ホラー・ガイドブック』の場合、遅れたこともあって、最終的な部数は当初の半分に減らされてしまった。そして、ぼくの担当分と、ほかの共著者の担当分の比率は、ちょうど50:50。この本に関しては企画から実現まで年単位の時間がかかったけれど、個人的には収入ゼロで、経費分の赤字が残っただけだった。

 共同で作った20冊ほどのうち、赤字本が半分あまり。こういうこともあるけれど、センスの優れた識者の方々と大勢で本を作ることは楽しいし、残りの10冊には売れに売れた本も多いので、今後も機会があればトライし続けるつもりである。

(注釈)

*1

『クトゥルフ神話への招待』が好評だったおかげで、『クトゥルフ神話への招待2』にゴーサインが出た。

 おかげで、懸案だったコリン・ウィルソンの小長篇も収録できることになったが、ぼくは体調が悪いのとスケジュールの都合で降りて、増田まもる氏にお願いした(残念無念・涙)。

 さらに、ブライアン・ラムレイの中編“The Taint”(やはりラヴクラフトの代表作の後日談的な一本)を立花圭一氏&森瀬繚氏の強力チームに(ラムレイ翻訳で実績のある夏来氏に最初に打診したのだが、スケジュールがひどく混んでいるとのことでピンチヒッター)依頼。

 そして、ぼくがラムジー・キャンベルの未訳作品という、3作家構成を踏襲し、今春、扶桑社ミステリーから刊行予定なので、乞うご期待!

尾之上 浩司◇(おのうえ・こうじ)東京都大田区出身・神奈川県在住。怪獣小説翻訳家・メディア評論家。主な訳書にリチャード・マシスン作品『ある日どこかで』『奇蹟の輝き』(創元推理文庫)『アイ・アム・レジェンド』『リアル・スティール』(ハヤカワ文庫NV)。さらに、カークマン&ボナンジンガ『ウォーキング・デッド ガバナーの誕生』(角川文庫)、キャンベルほか『クトゥルフ神話への招待』(扶桑社ミステリー)など多数あり。

●AmazonJPで尾之上浩司さんの著書をさがす●

■月替わり翻訳者エッセイ バックナンバー