その1 いろいろな出会い

 こんにちは。

 今月のこの欄を担当することになりました青木悦子です。これから四回、よろしくお付き合いください。

 さて、唐突ですが、これを読んでいる方で、新聞や本やテレビで見聞きした、気に入ったり何か引っかかったりする言葉やフレーズを意識的に記憶したり、書き留めておく方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?

 わたしの場合、思い返してみるとかなり幼少の頃からこの種の癖があります。人の会話の言葉、ラジオやテレビから流れてきた言葉、字が読めるようになってからは新聞や本で見た言葉、そういう言葉を拾ってきては頭の引き出しに入れておいたり(※ただし容量は小さい)、ノートに書き写しておいたり、手近な紙にとりあえずメモっておいたり。

 メモの癖はいまでもあり、何かでアンテナに引っかかった言葉をぱぱっと書き留めておくのですが、無精なので、そこらへんにほうっておく。よって、机の上にはもはやいつのものとも知れぬメモが散乱。ためしにいま放置されていたメモを一枚拾って見てみると──

“芸人に うまいも下手も なかりけり 行く先々の 水に合わねば/江戸時代の幇間の歌”

とありました。何でしょうこれ。いつメモしたのか、何から書きとったのかもおぼえていません。でも、うまいこと言いますね。うんうんとうなずいて、そのあとにちょっと哀感が残る。

 ではもう一枚。

“ネリヤカナヤ/奄美かどこかの伝説の楽園”

 これは何となくおぼえています。あぁそうだ、NHKが昔やっていた「しゃべり場」という若者同士のトーク番組で出た言葉ですね。語感がよかったので、メモっておいたのでした。

 こんなふうに昔から、気に入った言葉を書き留めては、ときどき読み返したり、おぼえているものは頭の中から引っぱり出したりしていました。いまも同じようなことをしています。なので、何かのひょうしにそういうものがぽこっ、ぽこっ、と浮かんできてしまう。きれいな言葉、胸をつかれる言葉、なぜか忘れられない言葉、ワクワクドキドキする言葉。電車の中で吊り皮につかまりながら、ひとり宙を見てニマニマしているわたしを見たら、たぶんそういうことのさいちゅうなのだと思ってもらえれば九割は当たり。わたしにとって、言葉は何よりもまず、楽しくてワクワクするものなのです。

 言葉って面白い、ということを何となく知ったのは、やはり家族のおかげでしょうか。といっても、うちの家族はごくごく普通の一般ピープルなので、薫陶を受けたなんてものではなく、むしろそのてんでんばらばらな好みゆえの多様さに影響されたというほうが正しいかもしれません。

 たとえば父は、西行の「願わくば 花の下にて春死なん その如月の 望月のころ」などと風流な歌を吟じてみせたその口で、「今までは 人のことかと 思うたに おれが死ぬとは こいつあたまらん」といった戯歌を娘に教えこむ。母は母で、女学生時代に少女歌劇に熱をあげていたもので、家事をしながらモーツァルトのオペラ「♪恋のなやみ〜 知るや〜きみ〜♪」などを歌っていましたが、ときおりエノケンの「♪ベアトリ姐ちゃん〜 まだ寝んねかい♪」なんかもまじっていました。浅草の出の祖父母は落語やお笑い番組が好きで(♪あ〜あ、ヤんな〜っちゃった、あ〜ンあンあ、オドロいた〜♪)、時代劇もよく見ていましたし(「あっしにゃあ、かかわりのねぇこって」「このお方をどなたと心得る、恐れ多くもさきの副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ!」)、同居していた叔父はアニメ『巨人の星』のファンという具合(「やあ、星くん!」「左門豊作は○○ですたい!」)。いわば、いろいろな時代のいろいろな言葉が飛びかっていた家でした。子ども心に、そういう言葉の変幻自在さが面白かったんだと思います。

 はっきり言葉の面白さに目覚めたのは、たしか小学生のときに読み、いまだにあちこちソラで言える、井上ひさし作『ブンとフン』です。これは、売れない小説家のフン先生と、その作品から飛び出してきた何でも盗める四次元大泥棒のブンの物語で、ストーリーの奇抜さもさることながら、全編、言葉と遊んでころげまわっているような小説です。

「声はすれども姿は見えぬ ほんにおまえは屁のような」

「アン汁よりイモが安し」

「犬が西向きゃ 尾は東 馬が西向きゃ 尾は地べた」

「盗めども盗めども わが暮らし 楽にならざる じっと手を見る」

「サイザーンス サイザンス  おミュージックはサンサーンス ドレスはパリのハイセンス ダンナは東大出ておりヤンス」

……などなど、いま読んでも耳に心地よく、かつ、キレのあるリズムと言葉のオンパレード。あとからあとからあふれるイメージの奔流、それでいて小学生にも何となくわかる、笑いの陰にひそませてある一片の毒。もうページをめくるたびにワクワク、ドキドキ。わたしは『ブンとフン』を何度も何度も読み返し、笑いころげ、ときどきちょっと考え、決定的に言葉の中毒となりました。そして、このときのようなワクワクを探して、どんぶらこと言葉の海を漂流しているうちに、いつのまにやら翻訳家。人生、何があるかわからないものです。いやほんと。

 次回からは、その言葉の海で出会ったワクワクたちをご紹介しようと思います。それではまた来週。

青木 悦子(あおき えつこ)東京出身&在住。本とクラシックとブライスを偏愛し、別腹でマンガ中毒。翻訳ミステリー東東京読書会の世話人。主な訳書:マイクル・コリータ『冷たい川が呼ぶ』『夜を希(ねが)う』、J・D・ロブ〈イヴ&ローク・シリーズ〉、ジェシー・ハンター『よい子はみんな天国へ』など。ツイッターアカウントは@hoodusagi

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