4月某日

 食料品の買い出しを兼ねて、いつもとは逆に都心方向へ二駅の書店へ。いい天気なので自転車で行くことにする。最近はよほど大量の買物をするのでない限り、車は使わず、徒歩か自転車で用を足すことにしている。ガソリンは高騰したし、限りある油を燃すよりたっぷりある自分の脂を燃したほうがいいことだし。今日のルートは川沿いを走る道で、途中から歩行者・自転車専用道となり、帰りは正面に富士山が見えて、サイクリング気分が味わえる。ところが今日も風が強い。偏西風の影響とか言うが、今年は強風の日が多い。正面から吹きつけられるとちっとも自転車が進まず、サイクリング気分とはいかない。

 アジサイや紅葉の名所でもある不動尊の前を抜けて駅ビル内の書店へ。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が平台2箇所に山積みになっている。奥付を見ると6刷。今日はこれ1冊にして、1階のスーパーマーケットへ。日常の買物がわたしの担当になってから久しいので、いまではどの店のどの列になにがあるかはもうだいたいわかるから、時間はかからない。最初のうちは買物袋から長ネギなどが突き出ていると恥ずかしかったがもう気にならない。今日も自転車の前籠から洗いゴボウが飛び出ている。暑くなったので脱いだウィンドブレイカーをそこに引っかけてみるといい具合。途中ベンチで一服し、買ったばかりの本を開いてみるが、日差しが強すぎて読めない。強風のなかペダルを漕いで帰宅。

 今日の本。村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋 ¥1785)

 4月某日

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』読みおわる。村上作品は短編集を昔1冊読んだきりで、長編はこれが初めて。深読みはしないし(できないし)、これまでの作品との比較もできないが、ふつうに読んで面白かった。親しい仲間たちから疎外され心に傷を負った多崎つくるが変身していく過程と、その後の静かな生活の描写には心地よさをおぼえた。疎外の原因を明かされてみるとちょっと肩すかしをくったような気分だが、著者の書きたいことはそこではないということだろう。先に読んだ書評には“いつもの村上調の歯の浮くようなスノッブな会話“とあった。いわゆる翻訳調の会話のことだろうが、それほど気にならなかった。村上訳の『さよなら、愛しい人』を読んだときは、会話がそっけないなという印象で、話者は誰だろう、と戸惑う箇所もあったが。

 4月某日

 一駅先の例の本屋へ。ここでは翻訳物は棚一段の半分しかない。その貴重なスペースに『無罪』と並んで、今年度の翻訳ミステリー大賞の候補作『湿地』があるのに気づいていたので、今日はそれを買う。

 アイスランド・ミステリーはこれまで『魔女遊戯』を読んだだけ。『魔女遊戯』はおどろどろしい雰囲気と調査員(だったか)の女性と、弁護士(だったか)のドイツ人男性のからみがおもしろかった記憶がある。『湿地』も暗い話だが、その暗さが、じめじめ感がいい。次々と意外な事実を出して引っぱってゆく手法に乗せられて一息に読む。

 今日の本。アーナルデュル・インドリダソン、柳沢由実子訳『湿地』(東京創元社 ¥1785)

 5月某日

 世間は連休で、市中心部の駅前で古本市を開催中というので電車で出かける。

 駅前ロータリーから延びる500メートルほどの歩行者専用道に古本屋の屋台(と言うのか、ワゴンと言うのか)がつらなっている。目当てのものがあるわけでもないので、行きは列の左側を、帰りは右側をぶらぶら歩く。圧倒的に多いのは文庫と新書。書店へ行くと、この膨大な新刊書を誰が読むのだろうか、と思うが、どこまでも続く古本の列を見ていると、人はこんなにも本を読むのか、と思ってしまう。野平健一『矢来町半世紀』(新潮社、平成4年刊)が目にとまった。著者は「週刊新潮」編集長として名前を知っていたが、太宰治、三島由紀夫の担当者時代の回想も含まれているとあるので買う。700円。古本屋は引き取るときにはいやな顔しかしないのに、売るとなるといい値段をつけるものだ。これはけっこう美本だが。もちろんここでは図書カードでなく現金払い。

 駅までもどり、最上階近くにある大型書店へ。なにを買うと決めていたわけではないが、講談社文芸文庫の新刊、安岡章太郎『犬をえらばば』をまず買う。もう一冊と思い、近所の本屋では品切れだった朝井リョウ『何者』を。歩き疲れたので帰宅。

 今日の本。安岡章太郎『犬をえらばば』(講談社文芸文庫 ¥1365)、朝井リョウ『何者』(新潮社 ¥1575)

 5月某日

『犬をえらばば』読了。これは安岡家がはじめて飼った犬、コンタの話。このころ“第三の新人”と呼ばれた作家たちのあいだで犬を飼うことがはやったようで、犬を通した文壇交友録でもある。コンタが死んだときに書かれたエッセイが、『日本の名随筆76 犬』(江藤淳編、作品社、1989年刊)におさめられている「コンタの上に雪ふりつもる」。本書ではそのコンタの若いころが描かれている。雄犬であるコンタの発情期の様子を描いた「交尾」は、コンタが隣家の雌犬のにおいに悶々とする様がおかしくてならず、家内にも読ませてみたが、べつに面白がりもしなかった。コンタは純白の紀州犬だが、わが家の飼い犬も白いので、よく紀州犬かとか、北海道犬かと散歩中にきかれるが、純粋の雑種。体色、尻尾の巻き方、目の形から、柴犬とスピッツの雑種かと思っていたが、あるいは紀州犬がはいっているのかもしれない。この犬の前に飼ったのが白と黒のパンダ柄の雑種。これは長女が小学校5年のとき、友達の家からまだ生まれたてをもらってきて以来、17年半生き、最後はボケて、介護でさんざん苦労させた末に死んだ。それから1年半ほどして、飼いはじめたのがいまの犬。飼うなら今度も子犬のときから、それも雑種を、と決めていたが、いまはどこかの家の床下で犬が子を産む時代ではないので、つてをたどって、静岡の動物愛護団体が母子ともに保護したなかの一匹をもらってきた。この犬の最大の長所は、しごくおだやかで、まったくと言っていいほど吠えないこと(反面気が小さく、家々をまわる電気、ガス、水道の検針員が苦手で、その声を聞きつけると、シェルターにさせている台所わきの物入れか2階の押入れへ逃げこんでしまう)。室内外犬として、自由にさせているが、近頃はほとんど家内のベッドの上で寝そべっている。わたしがふざけて枕にしようが、尻尾や耳をひっぱろうが怒りもせず、体温のあるぬいぐるみみたいなもので、ペットとしては申し分ない。でももう12歳になったので、あとどれぐらいのつきあいだろう。

『何者』自分より若い人間が書いたものは信用しない、と誰かが言っていたそうで、たしかにそれは言えるなと思ったが、この年齢になってそんなことを言っているとどんどん読むものがなくなってしまうと気づいた。そこでこの1冊。しかし、就活の実態はよくわかったものの、若者言葉が醸し出す、ちまちま感にはどうもついていけない。それにしても、就活というのは採られるほうにとっても採るほうにとっても、労力ばかりかかってあまり生産的ではないように思えるのだが。

 5月某日

 今日は例の書店にめずらしく探す本があった。ハーマン・メルヴィル、飯野友幸訳『ビリー・バッド』(光文社古典新訳文庫、¥920)。これは7月に文藝春秋より刊行予定のスコット・トゥロー『出訴期限』に収録されるトゥロー氏が選んだミステリー・ベスト10冊なるリスト中に『ビリー・バッド』が含まれており、氏の簡単なコメントを訳さなくてはならないので、付け焼刃の勉強をするため。ついでに新書の売場で、“英雄ダビデと巨人戦士の一騎討ちは史実なのか?”というオビの文句につられて、長谷川修一『聖書考古学』(中公新書、¥882)を。さらについでに、『新明解国語辞典』(三省堂、¥2940)。これは今年、高校へはいった孫娘が、授業で先生が新解さんの語義解釈を紹介したのが面白かった、と言っていたので、図書カードをありがたく使わせていただいて、彼女へプレゼント。

 5月某日

 翻訳ミステリー大賞受賞者は来年度の選考にくわわることになっているそうなので、買物ついでに例の本屋で創元、早川の文庫から翻訳ミステリーを探す。今年度の候補作も並んでいるが、次年度のものでなくてはならないので、ハヤカワ・ミステリ文庫5月刊の、エリザベス・ヘインズ、小田川佳子訳『もっとも暗い場所へ』(¥1092)を選ぶ。

 5月某日

『もっとも暗い場所へ』は当たりだった。恋人の執拗なDVにあいつづける女性の話だが、それだけを600ページ近く書いて飽きさせない。なぜそんな男から逃げられないのか、という疑問が生じないよう、うまく人物設定がなされている。主人公の女性は強迫神経症を患うことになるが、綿々とくり返されるその描写が気にならないのは、訳文から徹底して主語を省いたのが一因だろう。原文に主語がないとは考えられないので、訳者の工夫だろうが、成功している。

 ということで、今回は8冊で¥12344円。前回と合わせても10冊、金額はまだ¥15000に満たない。

二宮 磬(にのみや けい)静岡県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。英米文学翻訳家。主な訳書に、スコット・トゥロー『無罪 INNOCENT』『われらが父たちの掟』『囮弁護士』、グラント・ジャーキンス『いたって明解な殺人』、ロバート・R・マキャモン『少年時代』『魔女は夜ささやく』ほか多数。


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