第二回目のエッセイをツイートしてくださった方々、ありがとうございました! 皆様の一行コメントを見ていると、「ブリッジ」だったり「リンドグレーン」だったり、はたまた「バナナ横のズラタン」だったり、それぞれに着眼点が違っていて興味深かったです。色々詰め込んだ甲斐がありました。

 さて、今回はまず謝罪から入らせていただきます。前回、脚本家出身のチッラ&ロルフ・ボリィンド夫妻の作品に出てくる頼りない主人公オリビアちゃんが“かなり年上の既婚者と付き合っている”と書きましたが、間違いでした。申し訳ありません。別のミステリシリーズに出てくる主人公フレデリカちゃんと混同しておりました。というのも、このフレデリカちゃんもかなり頼りない新人警官なのです。この作品は、リゾート地や地方都市を舞台にしているわけはなく、脚本家出身の作家さんでもないので、構成上、前回のエッセイには入れられませんでした。(だらだら書いているように見えると思いますが、一応私の中では構成があるのです……)でも秀逸な作品だったので、ついでにここで紹介させていただきます。

 著者のクリスティーナ・オールソンはこのシリーズで作家デビューする前、政治学者であり欧州安全保障協力機構(OSCE)でテロ対策を担当していました。その前はスウェーデン公安警察、スウェーデン外務省、スウェーデン国家防衛大学にて中東紛争およびEUの外交政策の専門家として勤務していたそうです。と、さらっと書いてみましたが、すごくないですかこの経歴!? 79年生まれなのでまだ三十代半ばの女性なのです。今年の初めに“本の夕べ”でお会いする機会がありました。びしっとスーツで決めたバリキャリなオンナが登場するかと思いきや、ご本人はちっちゃくて眼鏡をかけたドラえもん似の癒し系女性でした。そのギャップがまた。

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 しかし作品のほうはその職歴に見劣りしない、非常にクオリティーの高いもので、本当にこれがデビュー作かと感心してしまいました。ジャーナリストや脚本家出身の作家さんとはまた違ったテイストの、研ぎ澄まされた作品です。暴力的な描写はほとんどないのに、背筋が凍るような。こちらも来年か再来年には日本で刊行される予定ですので、お楽しみに。

 さてそれでは最終回の本題に入りましょう。

スウェーデンミステリ副読本

 スウェーデンに限らず外国の小説を読んでいると、人々の行動や発言について「えっ、そうなの?」と驚くことが少なからずあると思います。スウェーデンミステリを読んでいて日本の読者の方々が戸惑うのではないかと思う点を説明させていただきますね。

夏休み

 夏を舞台にした作品に必ず出てくる「今は夏休みだから人手が足りない……」という捜査主任のキメ台詞。翻訳ミステリ好きの皆様なら、一度は聞いたことがあると思います。スウェーデンの夏休みは五週間。さらに、そのうちの四週間を連続で(2+3週間というように分けずに)取れる権利が法律で保証されている……って、過保護にもほどがあると思いませんか?  八月に入ると天気が悪かったり、早めに夏が終わって寒くなる年もあるので、七月中の休暇は社内で熾烈な奪い合いとなります。それは普通の会社だけでなく、警察や病院という夏季休暇に入ってもらっては困るような団体でも同じこと。私の住んでいる町で唯一出産施設のある県立病院は、“夏の間は助産婦の数が足りないので、産気づいたら隣の県の病院(車で最低二時間)に行ってもらう可能性があります”というあり得ない通達が出ていました。結果的にひと夏で八人の妊婦さんが、遠くまで行く羽目になっていました。もちろん救急搬送などではなくて、自家用車で自力でたどり着いてね、という対応ですよ。日本だったら病院や県が大批判を受けるところですが、こちらでは“夏休みを取りたいのはお互い様”ということで、誰も文句を言いません。それほど“神聖なる夏休み”なのです。ちなみに私は自営業なので誰も夏休みをくれませんが。

 というわけで、スウェーデンで犯罪を犯す予定のある方は、七月が実におすすめでございます。逆に、出産や急病、大怪我については七月を避けたほうがよさそうですね。

病院

 病院の話が出ましたので、補足説明を。スウェーデンの病院(Sjukhus)というのは基本的に県立病院で、大都市を除いては一県に一軒しかありません。県立病院にはあらゆる科があり、救急窓口もありますが、遠い人だと自宅から車で三時間くらいかかる場合もあります。一方で、地域ごとにVårdcentral(直訳すると医療センター、英語だとClinicと訳してある場合が多いかな)という施設が備えられています。体調不良の場合はまずそこを受診します。そこで精密検査や専門的な治療が必要と判断された場合だけ、病院に回してもらえるのです。スウェーデンの医療機関は完全無料ではないものの、かなり格安。なので人件費・経費はできる限り削減されていて、風邪を引いたくらいではVårdcentralでさえ診てもらえません。電話で病状を説明して予約を取るのですが、「風邪? だったら家でゆっくり寝てください。薬は薬局で買ってください」と言われてしまうのがお約束。幼い子供の場合でも「高熱が出た? それだけじゃ病院に来たって何の病気かわかりゃしません。薬局で熱さましを買って、三日以上高熱が続いたらまた連絡してください」です。親は夜も眠れずにハラハラと子供を見守り、万が一状態が急変したら救急に担ぎ込む。スウェーデンではそれが普通なのです。まあ風邪くらいならいいのですが、医者でも癌の治療をしてもらうのに一年待ち、とか、救急車呼んだけど拒否されて死んじゃったとかいう話を年に一度は新聞で読みます。福祉社会ってこんなものなのでしょうか。お金さえ出せばすぐに治療してもらえる日本やアメリカどっちがいいのでしょうね。

日焼け

 夏と言えば日焼け対策。日本では“色白は七難隠す”と言われています。日本人はやはり白人に憧れがちですし、昔だと色白というのは農作業をする必要がない上流階級というイメージがあるのでしょうか。ところがスウェーデンに来てみると“色白”はまったく自慢できることではありません。それは、お金がなくてどこにもバカンスに行けないから日焼けしてない貧乏人を意味します。北欧でかっこいいとされているのは、「私は南欧やアジアのビーチに何週間もヴァカンスに行けるほどお金持ちなのよ、おほほほ」と言わんばかりの日焼け。毎年のようにそんな風に皮膚を焼いているので、年季の入った方だとしみとほくろだらけの女性もよく見かけます。それでも誇らしげです。日本とは美的感覚が全く違いますね。日焼けサロンもたくさんあって、冬場は繁盛しています。サロンでの日焼けは異様に均一で顔中にチークを塗ったような赤っぽい感じになるという一種独特のものがありますが、真冬に顔だけ赤くしてかっこいい女を気取っている人はたくさんいます。そういえばこの“バカンス”や“日焼けサロン”の話は、『冬の生贄』に出てきましたね。登場人物の中でもとびっきりの美女とされる鑑識のカーリン。彼女を描写する単語の中に“真冬なのによく日焼けしていて”というのが出てきますが、これはスウェーデンでは最高級の賛辞なのです。

 夏、よく晴れた日に外に出ると、ご近所の家では奥さんたちがビキニ姿で芝刈りをしています。一秒も無駄にせず日焼けしようという執念の表れです。これはスウェーデンではごく一般的な“よく晴れた夏の日の風景”なんです。そのときちょうど日本から遊びに来ていた母と妹は「あら、肌寒いわね!」と言って、ユニクロのマイクロフリースを取りに戻っていました。妹なんて最近日本で流行っている健康法だとか言って靴下を三枚重ねてはいて、かなり怪しい人でした。スウェーデンでは夏に日傘をさしたり手袋をしていたら日に当たっちゃいけない皮膚病か何かだと思われるでしょうね。半径五メートル以内から人が離れていくこと間違いなしです。

コーヒーとオープン・サンドイッチとシナモン・ロール

 スウェーデンのミステリを読んで、「みんなそんなにコーヒーばっかり飲んでるの?」と驚かれた方もいるかもしれません。あれは本当です。もちろん個人差はありますが、多い人、特に昔の習慣を継承している年配の人たちは、朝起きて一杯、朝ごはんに一杯、十時のお茶に一杯、ランチ後に一杯、午後のお茶に一杯、夕食後に一杯、寝る前に一杯というコースです。

そして朝ごはんや昼ごはんやお茶のお供や軽食(つまりほぼ1日中)に親しまれているのが、smörgås。スライスしたパンにハムやチーズ、パプリカやきゅうりの輪切りを載せたオープンサンドのことです。レストランに行くと、小エビが山ほど載ったものや、バラのように巻いたスモークサーモンが載った豪華バージョンも見かけます。英語ではsandwichと訳されることが多いですが、二枚のパンで具を挟むというのはあまり一般的ではありません。読者の皆さんがそういうサンドイッチを想像するのを避けるために、私は敢えてオープンサンドイッチと訳しています。もうひとつ、日本のおにぎりのように日常に欠かせないのがbulleと呼ばれるシナモン・ロール。これはベーカリーでも売っていますが、自分で焼くのが一般的。大量に出来るので冷凍しておいて、食べたいときにオーブンで温めます。

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仕事中にbulleで一息。

 スウェーデン人はお茶をするのが大好きです。名詞としても動詞としても使えるfika(フィーカ)という単語は日常に欠かせません。例えば私の参加しているオーケストラの練習でも、フィーカ準備係というのは重要な役員の仕事ですし、税務署の所得税申告講習会に行っても美味しいフィーカが用意されています。とにかくフィーカをせずに二時間以上何かに集中するということができない人種なのです。夫の会社でも“金曜のフィーカ”という習慣があって、金曜日の朝十時はみんな仕事を中断して、全員集まってお茶をするのです。なんだか保育園での一コマのようですが、みんないい歳をした大人です。スウェーデンではフィーカを通じて社員同士のコミュニケーションを増進させるという効果もあるようです。

移民

 スウェーデン社会を語るに当たって“移民”は絶対に無視できない存在です。移民の中でも、圧倒的に多いのが難民で、スウェーデンは毎年人口の約1%もの数の難民を受け入れています。難民の出身国は様々ですが、その時代の国際情勢を色濃く反映しています。1984年から2007年の統計を見ると、旧ユーゴスラビア(現セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、マケドニア共和国、スロベニア、モンテネグロ、およびコソボ)からの難民が34%をも占めています。次いで政情不安定な中東および北アフリカの30%。特にイラクからの難民は、フセイン政権崩壊後も途絶えることがありません。ここ十年で急増したのは、ソマリアやアフガニスタンからの難民。東アフリカにあるソマリアは、91年以来無政府状態で、度重なる内戦に大干ばつが重なり、ケニアとの国境にある難民キャンプには四十五万人以上が詰め込まれているといいます。スウェーデンは、88年以来、計三万七千人ものソマリア難民を受け入れています。ソマリア人といっても日本の方にはピンとこないかと思いますが、“善きサマリヤびと”とは別ですよ! ソマリア人はきれいな丸い形の頭に、細く長い手足、くりっとした大きな丸い瞳が印象的です。黒人スーパーモデルの先駆けとなったイマン・アブドゥルマジドもソマリア人だったって、ご存知でしたか? そんな黒人女性たちが、ベールで髪を隠し、薄い素材の長いスカートの上から冬用のコートを着て、スウェーデンの雪道を歩いている光景は今や当たり前のものとなりました。どんな田舎町に行ってもイスラム系アフリカ人や、中東系、さらにはタイやベトナム系の人々が大勢住んでいます。場所によってはいわゆる白人のスウェーデン人を見かけることのほうが少ないくらいです。

 先日最寄りの小学校の見学に行ったのですが、なんと二十五カ国語もの母国語を持つ生徒が在籍すると聞いて驚きました。インターナショナルスクールではありません。ただの平凡な公立小学校です。二十五カ国語って、通訳派遣会社を立ち上げられそう!……いやいや、児童に労働をさせてはいけませんね。正直な話、私自身は二十五カ国語も挙げられるかどうかも怪しいです。みなさんはいかがですか? その中に日本語は入っていませんよ。アフガニスタンで話されるペルシャ語の一種ダリー語やタジク語、というようなマニアックな世界です。私の住んでいる町は、毎回言ってる通り、人口五万人の地方都市。そんな世界の片隅で、二十五カ国語の母国語を持つ子供たちが机を並べて勉強しているわけです。うちの子は来年小学校に上がりますが、これを“国際的な環境”と言わずしてなんと言いましょうか。私自身も地元にアルメニアやベトナム出身の知人がいますが、彼女たちは子供の頃戦争でろくに学校に行けなかったとか、命がけで小さなボートで亡命したという過去を持っています。「若い頃、独裁者に夫を殺されちゃったのよ。すごくハンサムだったのに」と今更のろける年配の同僚(キューバ出身)もいました。幼い頃にソマリヤからどこだったか中東の都市経由でスウェーデンに来た高校の生徒は、爆撃が日常だった頃の話をしてくれました。田舎に住んでいるのに、広い世界がすぐそこにあるように思える、そんな不思議な感覚です。

『冬の生贄』のあとがきでは、移民二世の署長カリムについてかなり熱く語らせていただきました。実はこのカリム、私の住んでいるスンツヴァル出身という設定です。スンツヴァルで最も治安の悪い——といっても田舎だし大したことないのですが、新聞によくカツアゲの事件が載っているくらいで——ナックスタという地区の団地で育ったという設定です。幼い頃に家族で難民としてスウェーデンに来たクルド人。移民してきた世代というのは、スウェーデン語も話せない、宗教や習慣も気候も違う、スウェーデンでの学歴・職歴ももちろんないということで、運よく仕事に就けても、やはり最下層の仕事となってしまいます。母国では大学を出て専門職についていた方も多いでしょう。そんな苦労の中で、カリムの父親のように絶望して自殺した方もいると聞きます。一方で、嬉しいことに、カリムのように幼い頃にスウェーデンに来たり、スウェーデンで生まれた二世たちが、今活躍の場を広げているのは事実です。『冬の生贄』はそう言った意味でも、スウェーデンの現状をリアルに伝えていると思います。スポーツ界だとサッカー選手のイブラヒモビッチ、アイドル歌手やタレントも今は移民二世が大人気です。身近なところでは、うちのお隣のパパさんも、カリムと同じクルド系の方で、地元病院の外科のおえらいさん。苦労を重ねてここまで出世されたんだろうなと思わずにはいられません。先日お嬢さんの卒業パーティーで、みんな同じ顔だったのでご兄弟と思われる親戚が一同に会していたのですが、家の前に大きなベンツやBMWがずらりと並んでいました。ご兄弟もみんな首尾よく出世された模様。スウェーデンは大学まで無料なので、出身がどうであれ、やる気と能力さえあればちゃんと見返りがある社会なのです。そういう点では本当に素晴らしい社会だと思います。

保育園・学校

 スウェーデンのミステリといえば、ほとんどの場合、警察官に子供がいて「今日は自分が保育園にお迎えに行く日だからもう帰らなきゃ」みたいな話になりますよね。スウェーデンは本当に共働きが多いです。というか“専業主婦”などという優雅なカテゴリーはないんですよね。男性だけ働いて家族を養える給与体系になっていないからでしょう。

 共働き夫婦にありがたいのが、申し込んでから必ず三か月以内に保育園に入れてもらえること。さらに保育料はいちばん高い人(高収入の人)でも日本円にして二万円以内。日本で保育園探しに苦労されているご家庭のことを考えると本当にありがたい限りですよね。(このあたり、本当に日本も早急にこうなってほしいなと思います!)ミステリを読んでいると、スウェーデンでは夫婦が協力して家事と子育てをこなしている様子がよく伝わってくると思います。

 スウェーデンの子供たちは一般的に歩けるようになる一歳過ぎから保育園に入り、六歳の秋から学校に上がります。まずは“六歳児学級”とか“プレスクール”と呼ばれるものに一年通います。これは保育園と小学校の架け橋になるような存在で、机などには座らずに、遊びの雰囲気の中で数字や文字のお勉強をするような感じです。それから翌年やっと一年生が始まります。四月が新年度の日本より、年齢で言うと一年半遅いことになります。そして基礎学校が1〜9年生まで。厳密には1〜3、4〜6、7〜9年生と学校が三つに分かれていますが、基礎学校は小学校1〜6年+中学1〜3年と理解していただいていいかと思います。そして高校が3年、これは日本と同じですが、高校からすでに“理系”“社会系”“経済系”“音楽系”といった専門コースに別れているのが日本とは大きく異なる点でしょうか。ここからさらに大学や専門学校に続いていくわけですが、どこまでいっても学費は無料です。あるミステリに出てきた女性で“貧しいシングルマザーに育てられたが、音楽部を卒業してから医学部にも行き、医者をしながらバイオリニストとしても活躍している”という設定の人がいました。日本では音楽部と医学部は最もお金がかかる二大学部なので、そんな人が存在するというのは信じられないですよね。

スウェーデン人の結婚観

 北欧といえばsambo(サンボ)と呼ばれる同棲婚が多いことでも有名ですよね。英語ではフィアンセと訳されることがありますが、日本語の“婚約者”とはだいぶニュアンスが違うように思います。籍は入れていないけど、既婚の夫婦と同じように子供を作り、家を購入し、親戚づきあいをしている人がほとんどです。相手が外国人でもサンボだと言えばスウェーデン居住許可が下りるし、社会的にも既婚カップルと同じ権利があると言われています。が、このあたりわりと微妙でして、スティーグ・ラーソンのサンボだったエヴァさんは、二十年も連れ添って夫婦同然だったのに巨額の印税はラーソンの親兄弟に渡ったらしく、“サンボの人はそのへんのこと気を付けたほうがいいですよ”というような本を出版していました。私は法律のことはよくわかりませんが、厳密に言うと正式に結婚しているカップルとは違うのかもしれません。

 自分の周囲を見渡してみると、例えば保育園のクラスの親で、籍を入れてる人と入れてない人は半々くらいでしょうか。スウェーデンでは夫婦別姓も一般的なので、ご夫婦のフルネームを見ただけでは籍を入れているかどうかはわかりません。でも、ご本人たちが「うちの夫(もしくは妻)が」と言うか「うちの彼(もしくは彼女)が」と言うかで明白です。もう何年も一緒に暮らしていて家も買って子供もいるのに、それでもかたくなに「うちの彼が」と言うの聞くと、そこに何か本人のこだわりがあるんだろうなと感じます。何十年もサンボとして暮らしてきて、子供も三人いて、五十代で突然結婚式を挙げる(籍を入れる)カップルもいます。一方で、若くでちゃんと結婚したかと思えば、すぐに離婚するカップルも。サンボで子供がいて、別れてしまうカップルもたくさんいます。要は結婚していなくても世間体は悪くないし、何も不都合がない社会なのです。そうすると今度は逆に「じゃあなぜ結婚するの?」という疑問がわいてきますよね。長い間スウェーデンに関わってきましたが、スウェーデン人の結婚観は私の中でいまだに謎です。

離婚したあとどうなるか

 離婚率の高さでも有名なスウェーデン。再度保育園のクラスを眺めまわしてみますと、二歳で入園した時点ですでに親が別れている子が二人いました。その後もぽつぽつと何組か……。やはり日本と比べるとだいぶ離婚率(未入籍のカップルも含め)は高いように思います。特に、子供がいても離婚するカップルの多さには驚きますね。離婚後のライフスタイルというのは、日本とはずいぶん異なります。基本的に子供たちは一週間交代で父親そして母親と一緒に暮らします。なので養育費の支払いというものは生じません。仕事の都合や父母の家が遠い場合などは、平日は母親と、週末は父親とというパターンもあります。もっと遠い場合は、普段は母親と暮らし、夏休みはずっと父親と、というのもあります。とにかく、なるべく両親ともと同じだけ一緒に過ごせる環境が子供にとって一番いいという考え方なのです。ミステリを読んでいても、子供と一緒に暮らす一週間を慌ただしく過ごす登場人物の姿がよく出てくると思います。一方で、子供のいない一週間は残業や婚活(サンボ活?)に励めるというメリットもあります。私の周りのシングルマザーおよびシングルファーザーたちも、軒並み別れて一年くらいで次のパートナーを見つけて幸せにやってます。こうやって子連れ再婚してまた子供ができて……と大家族が増えていくのです。で、またまた別れたり。あ、カミラ・レックベリはまさにこのパターンですね。二人子供がいる同志で再婚して、一人子供を作り、最近離婚していました。でも大丈夫、きっとすぐに次が見つかります。生涯現役!なスウェーデン人ですから。

百万戸計画の団地と十九世紀末の邸宅 

 スウェーデンの建築についてもやはり『冬の生贄』のあとがきで熱弁をふるいましたが、とにかく家を素敵にすることにこだわるスウェーデン人。女性でもファッションよりインテリアにこだわる人が多いですね。ファッション雑誌の数よりインテリア雑誌の数のほうがずっと多いし、新聞でもいちいち季節ごとに“秋のインテリアのトレンド”とか特集を組んでいるほど。季節が変わるたびにカーテンやクッションカバーを買い替えてなんていられない、と私は思うのですが。日本人が身に着けている服のブランドやスタイルで自分を表現するように、スウェーデン人は住んでいる家やインテリアが自分のアイデンティティーのようです。

 どういう家に住むのが憧れかというと、最高峰はミステリにもよく出てくるsekelskiftetsvillaです。直訳すると“世紀の変わり目ごろの邸宅”で、昔からある言葉なので二十世紀と二十一世紀の変わり目ではなく、十九世紀と二十世紀の変わり目、つまり1800年代末から1900年代初頭にかけて建てられた邸宅のことです。築百年ちょっとという感じでしょうか。今現在居住可能な個人邸宅の中で、最も由緒正しいものになるのでしょうね。『冬の生贄』に出てくる、誰もが羨む暮らしをしているカーリンはもちろんこういう邸宅に住んでいます。

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うちの近所にある邸宅。カーリンの住んでいる家はこんな感じかな……。

 こういう邸宅にもれなくついてくるSnickarglädje(直訳すると“大工職人の悦び”)という単語もよく小説に出てきますね。これはこういった美しい模様に仕立てた木の装飾のことです。

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 ちょうど先週、私が執筆させていただいたスウェーデンのお宅取材本が発売されました。地元のお友達や有名なインテリアブロガーさんのお宅を取材したものですが、まさに“世紀の変わり目ごろの邸宅”も出てきますよ。家具もその頃のもので揃えている方もいるし、もっと現代的なお宅にお住まいの方も出てきます。スウェーデン人の家の中って実際にはどんな風なんだろう?とビジュアルで見てみたい方は、是非本屋で手に取ってみて下さいね。

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 一方で署長カリムが育ったような悲惨な団地の代表格がMiljonprogrammet(百万戸計画)と呼ばれる団地。これもよく色々な小説に出てくるので説明しておきたいと思います。都市部の人口増加が激しかったため、1965年〜1975年にその名の通りスウェーデン全体で百万戸の住宅を増やそうという政策でした。当時はスウェーデン人のために建てられたのですが、間取りが六十平米程度と現代のスウェーデン人のライフスタイルには小さすぎます。代わりに今は難民をそこを押し込んでいるわけです。悲惨な団地と言ってもそこはスウェーデンですから不潔な感じではありません。カリムが育った設定になっているナックスタの団地はこんな感じ。意外にきれいですよね。でも、この地区に行くと白人はほとんど見かけません。

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同じ町なのに。写真は国営ラジオ局のニュース記事よりお借りしました。

今後刊行予定の訳書の話

 さて、今回でこちらのエッセイも最終回ということで、少しだけ年内刊行予定の自分の訳書の話をさせていただこうと思います。

『天使の死んだ夏』(東京創元社)

 まずは『冬の生贄』の続きの『天使の死んだ夏』が十月か十一月ごろに刊行となります。一巻目の『冬の生贄』では嫌になるほど寒い冬のお話でしたが、二巻目は今度は暑くて嫌になる夏の話です。今年の猛暑を生き延びた日本の皆様は、秋になってまで暑い話は読みたくない!と思われるかもしれませんが、まあそういわずにぜひ。「スウェーデン人はそのくらいで暑いと愚痴るのかよ!」と罵るくらいの勢いで読んでいただきたいです。ただ、スウェーデンの暑い夏というのは日本と大きく異なる点がふたつあります。ひとつは元々クーラーというものがあまり普及していないので、ちょっと暑くなると大変だということです。私の住んでいる中部スウェーデンあたりだと、病院やオフィスにはありますが、個人宅にクーラーはほぼないといってもいいでしょう。レストランやバスの窓は羽目殺しになっていて開かないし、個人宅は回転窓が多いので全開にはなりません。それでクーラーがないので、温室状態です。暑い日は外の日陰にいたほうがよっぽどましですね。さらに、スウェーデンは元々日本より湿度が低く降水量も少ないため、夏場に暑い日が続くと森林火災の可能性が出てきます。『天使の死んだ夏』でも、リンショーピン郊外で発生した森林火災を必死で消火しつつ、ストーリーが進んで行きます。

 ちょこっとだけあらすじを紹介しますと、リンショーピンの街のど真ん中にある緑地公園で、レイプされ記憶を失った少女が発見されるのです。先日の旅行で緑地公園に行ってみましたが、想像通りきれいな公園でした。

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 写真を撮ってたら、リスと目が合いました。街のど真ん中なのに、それほど自然豊かなのですね。『天使の死んだ夏』でも似たようなシーンがありました。そっちはもっと大きな動物でしたが……。

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 被害者が見つかったのはこの東屋のあたりという設定です。

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 被害者の代わりに自分が入ってみました。

 そしてモーリンとゼケが出動!というわけです。二巻目は一巻目よりかなりハラハラさせられる展開です。さらにモーリンと元夫の関係、あの既婚者二人がなんだかただならぬ雰囲気に!、など人間関係からも目が離せません。

本作品ではまた様々な背景を持った移民の方々が出てきますので、本エッセイの移民の欄を読んで面白いと思ってくださった方は、ぜひ『天使の死んだ夏』も読んでみて下さいね。内戦で家族を失った女性の回想は、私も読んでは泣き、訳しては泣き、初校で泣き、最終校で泣き、と大変でした。

『ノーベルの遺志(仮)』(東京創元社)

 続きまして、十二月十日のノーベル賞晩餐会に間に合うよう刊行すべく頑張りましょうと出版社さんと誓い合っているのが、『ノーベルの遺志』(タイトルはまだ決定ではありません)。前回のエッセイでもお話したように、ノーベル賞晩餐会で暗殺事件が起きるという出だしです。

 ノーベル賞晩餐会というのは、国王一家も臨席し、テレビで生中継される、スウェーデンで最も華やかなイベントです。誰がシェフを務めるか、メニューの内容はもちろんのこと、王妃やプリンセスたちのドレスも毎年タブロイド紙をにぎわせます。最近は日本人が受賞することが多いので、テレビでその風景をご覧になった方も多いでしょうか。

<青の間>での晩餐会の風景

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新聞社ダーゲンズ・ニーヒエテルのニュース記事よりお借りしました。

 その後に二階の<黄金の間>に移動してダンス。壁は黄金のモザイクが貼られていて、金ぴかです。

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 ここでダンスを踊っていたノーベル賞選考委員会の委員長の女性と医学生理学賞受賞者が、美女殺し屋に撃たれるのです! 取材でそこに居合わせた主人公のアニカは、事件に巻き込まれることになるのです。

 殺し屋はイブニングドレスを着て招待客を装って会場に潜入するのですが、正面入り口を入って<青の間>にたどり着いたときに“六角星の下で立ち止まった”という記述がああります。

 その瞬間、彼女の目の前にはこんな視界が広がっていたかと思います。

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 しかし、六角星って何のことだろう……と思って、グーグルで会場の画像検索をしてみるも、よくわかりませんでした。先日の旅行で市庁舎に行ってみて、やっと謎が解けました!

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 天井に六角星の模様がいっぱい!

「なるほどこれか!」とわかった瞬間、何とも言えない満足感に包まれました。この六角星はストーリーとはまったく関係ありませんが、確信のない訳が印刷されてしまうのは嫌ですものね。

 さて、私がこの作品を好きな理由は、悪役が魅力的なこと。アメリカ人美女の殺し屋なのですが、常にスウェーデンのことを「これでも首都か、このクソ田舎」「ここは北極かよ」「ファ*ク、シ*ト!」と英語で罵っていて可愛いんですね。だけどやることは酷いんですよ。冷血で優秀な殺し屋ですからね。彼女がいるからこそ、エンディングも堪えられないんです。

 この作品は、まだスウェーデンミステリ界を男性作家だけが牛耳っていた1998年に、彗星のごとく現れた女性作家リサ・マークルンドによるものです。デビュー作の『爆殺魔 ザ・ボンバー』でスウェーデン推理小説アカデミー新人賞とポロニ章を同時受賞し、いきなりベストセラー作家に上り詰めました。それが、マークルンド本人と同じタブロイド紙の女性記者を主人公にしたシリーズの一作目で、実は日本でも2002年に講談社文庫から刊行されています。しかし北欧ミステリブームが起こる前だったこともあり、日本では残念ならが後が続かなかったようです。スウェーデンでは今九作目まで出ているのにもったいないなあと思った私は、六作目の『ノーベルの遺志』を紹介させていただき、このたびめでたく東京創元社さんから刊行されることになりました! 色々調べていると、講談社さんは書籍業界に北欧ブームが来る前に、スウェーデンの作品をいくつも刊行してらっしゃるのですよね。その素晴らしいお目利きに、敬意を表したいと思います。最近の版権の売れ行きを見ていても、いくつも話題作を購入していらっしゃる。日本で刊行される来年以降に乞うご期待ですよ。

 この『ノーベルの遺志』は、アニカを主人公にしたシリーズの六作目になります。ミステリとしては作品ごとに独立したストーリーですが、アニカの私生活は全巻通してつながっていきます。この『ノーベルの遺志』を読んで下さる方には、五巻目までのアニカの境遇を説明しておきたいと思います。タブロイド紙の敏腕記者アニカは、背が高くてハンサムで仕事もできる夫トーマスとの間に長男(六巻目では六歳児学級に通う)と長女(保育園に通う)がいます。子供のことは心から愛してるけど、仕事も自分の一部のように愛してるアニカ。でも楽しいだけの仕事ではありません。スクープの奪い合いが熾烈なタブロイド紙業界は、女だから子供がいるからって一切手加減はしてもらえない世界。しかも何の因果かアニカは毎回事件に巻き込まれ、命が危なくなる。まあそれはミステリの主人公だからしょうがないか。『ノーベルの遺志』のひとつ前の作品、『赤い狼』では、70年代の学生運動活動家の事件を追いかけていて、やはり危うく死ぬ直前でした。それも二回くらい。主人公だから死なないんですけどね。結果的に、何百億円という大金を見つけてしまいます。警察に届けるアニカですが、落とし主が死んでしまっていたので、半年後にその10%が拾い主であるアニカの懐というか銀行口座に転がり込んできました。そんな非現実的な話に、読者である私は戸惑ってしまったわけですが、実はこのお金が『ノーベルの遺志』の中で「なるほどそうきたか」と思わせる展開につながっていきます。

 さらにもうひとつ、『赤い狼』で大事件が起きます。それは夫トーマスが若い女と浮気するんです!! シリーズを読んでいるうちに自分とアニカを一体化していた私は、本当にショックでした。「男ってやつはまったく……」としか言えません。そこからが大変です。アニカの逆上ぶりといったら! こちらがあきれるくらいの復讐を計画します。浮気や復讐の詳細は、万が一『赤い狼』が翻訳された場合のことを念頭に置いてここには書きませんが、『ノーベルの遺志』を読み始めるに当たって、前巻で“夫が浮気した”ことは念頭に置いておいてくださいね。

 私は女だからかもしれませんが、このシリーズはスウェーデンのミステリの中で一番好きな作品です。女として、妻として、働く母親として人生を模索するアニカの姿は本当に共感できます。スウェーデンの女性でこのシリーズを読んでない人のほうが少ないのではないかと思うほどです。現代の女性の必読書ではないでしょうか。男女平等のイメージが強いスウェーデンですが、意外と家庭では亭主関白な男性もいるし、どう考えても相容れない非常識な姑もいるし、日本の読者の方にも必ずや共感していただけると思います。

最後に

 三回も私の長文にお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。世界の隅っこで一人寂しくパソコンに向かっている可哀想なやつの際限なきたわごとだと思っていただければ幸いです。

 今ちょうど、ちゃんと自分のHPを作ろうと思っているところです。完成しましたら、またそちらのほうでミステリ最新情報や、作家さんの講演会の報告、スウェーデンの暮らしについてお伝えしていくつもりです。今回書ききれなかったことがまだまだあります。リーディングして面白かったけど、まだ版権が決まっていないという大人の事情で今回は紹介できなかったタイトルもありますし、リンドグレーンのテーマパークの写真やら、訳書のトリビアやら、昨日ちょうど9月末のヨーテボリ・ブックフェアのチケットも予約しましたので、そういったこともレポートしたいと思います。スウェーデンのEbookやそれ以上に普及しているオーディオブックの話も書きたかったな。とりあえずはツイッターをフォローしていただければ、HPが出来上がり次第そちらでお知らせいたします。

 この秋はヘニング・マンケルの新作が一番の話題作らしきスウェーデンより。

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久山葉子(くやま ようこ)西宮市出身。スウェーデンの田舎町より日本へミステリを紹介中。主な訳書:ランプソス&スヴァンベリ『生き抜いた私 サダム・フセインに蹂躙され続けた30年間の告白』、モンス・カッレントフト『冬の生贄』 ツイッターアカウントは@yokokuyama

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