このところ、世界的にDVの被害報告が増えているのだという。長期にわたる自粛によるストレス、仕事が減ったことによる生活不安、このような状況のなか人々の外出が著しく減ったことが要因だとされている。こう書くと当然、新型コロナウイルスとの関連で考えてしまうが、この問題、実はコロナ禍によって突如夫が豹変したというよりも、以前からDV問題を抱えていた夫婦が、コロナの影響で長時間ともに過ごすことを余儀なくされたことによって、これまでより長く、数多く暴力をふるわれることになったという事例がかなり多いのではないかと考えている。コロナ禍によって警察や行政の対応がしにくくなっているというのも要因としてあるのかもしれない。

 ポーランドでは年間七十万~百万人の女性が家庭内で暴力を受けていると推定され、そのうち週に三人のペースで亡くなっているという。

 これは、レミギウシュ・ムルス『あの日に消えたエヴァ』(佐々木申子訳 小学館文庫)の、大矢博子さんによる解説からの引用である。ポーランドの人口はおよそ四千万人弱。その中の七十万~百万人がDV被害に遭っているというのだからかなり深刻だ。ちなみに日本では、年間十一万件以上の相談件数があるということだが(2019年 内閣府男女共同参画局統計による)、これとは別に警察への相談件数が八万件以上あることを考えると、被害総数は年間で二十万件を超えると推定できる。そしてこれらの数字にあがってこない、声なき被害者がまだまだたくさんいるであろうことも、私たちは知っておくべきだと思う。

 このようなことを踏まえたうえでまず言っておきたいのは、『あの日に消えたエヴァ』という作品が、DVを扱ったミステリーとしては極めて異色であるということだ。

 以前から行きつけのパブで、ヴェルネルは小学校のころから片時も離れることのなかったエヴァにプロポーズする。しかしその直後、二人は同じ店にいた五人の男たちに暴行を受け、エヴァはヴェルネルの目の前でレイプされてしまう。エヴァを助けようとあがくヴェルネルだったが、暴漢の一撃で気を失ってしまい、気づいた時にはエヴァも暴漢も姿を消してしまっていた。

 それから十年、エヴァの行方も暴漢たちの身元もまったくわからない状態が続き、ヴェルネルはその喪失感から大学も辞めてしまい、アルバイトでほそぼそと生計を立てていた。そんな折、親友のブリツキがヴェルネルに見せたのは、Facebookにアップされている、野外ライブ会場と思しき画像だった。そこにエヴァの姿が写っていたのである。その後、エヴァの所在を突き止めるために、ブリツキは調査会社に依頼することを進言。ヴェルネルもそれに同意する。がその矢先、二人がブリツキの部屋で酔いつぶれた夜に、ブリツキは血まみれの死体となっていた。殺人の容疑をかけられながらも、一人でエヴァの行方を探し始めたヴェルネルは、チャットを通じて調査会社の担当者とやり取りをすることとなる。

 物語は、エヴァの失踪と親友の殺害というふたつの謎を軸に、ヴェルネルの視点と調査会社の調査員カサンドラ・レイマンの視点を交互に描くことで進んでいく。しかしカサンドラが、夫であり調査会社の社長でもあるロベルトから日常的に暴力をふるわれていることが明らかになると、その方向性は意外さを帯びてくる。

 エヴァの失踪という謎に、逃亡サスペンスやタイムリミットサスペンスの要素も加わり、まさに巻置く能わずのおもしろさなのは言うまでもないのだが、後半では驚愕の展開が待ち受けていて、この常軌を逸したツイストぶりにはもうひれ伏すしかない。ミステリー小説に「騙されたい」「驚きたい」を求めている向きには必読の作品だ。読み逃しのないように。

 ところで、エヴァが目撃された「野外ライブ会場」というのはフー・ファイターズのライブ会場なのだが、佐竹裕さんによる当サイトの連載「ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く」第60回では、このフー・ファイターズに絡めて本作が紹介されているので、そちらもぜひお読みいただきたい。

 以降では、上のほうで記した「DVを扱ったミステリーとしては極めて異色」という部分について触れておきたい。可能な限りネタを割らないよう書いたつもりだが、気になる方は本作をお読みになるまでこの先は読まないでおくことをお勧めする。※以下、念のため改行を入れておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 DVをテーマにした小説や映画、ドラマは数多くあり、その結末もさまざまだが、ことミステリーにおいては、報いの対象としてDVを扱っているというのが特徴である。DV加害者には、その罪に対するなんらかの報いがあり、被害者は救済されるというのが重要で、そうでなければ読む側のカタルシスも得られない。

 その報いは「加害者の死」として描かれることも多く、これはとりも直さず、DV被害者の完全な救済が、加害者の完全な不在によってしかもたらされないということを示唆している。本作でも、加害者であるロベルトが繰り返しカサンドラを痛めつける一方で、その都度反省する様子を描く。そうすることで、この事実を強調しているように見える。

 しかし『あの日に消えたエヴァ』という作品は、自らが強調したこの事実に対して、最後の最後に一石を投じる。

 加害者の完全な不在をもってしても被害者の完全な救済が約束されない場合、被害者はどのようにしてこの地獄から逃れようとするのか。本作のテーマはこの部分にある。《常軌を逸したツイスト》によって導かれた結論は、私たちにとって必ずしも受け入れられるものではないかもしれない。しかしこのことは、現実におけるDV問題ともつながってくるのである。

 当たり前の話だが現実においては、ミステリー小説のごとく「加害者の完全な不在=死」など望むべくもない。ということはつまり、DV被害者が完全な救済に至る道のりはとても困難だということだ。ムルスが真に伝えたいのはこのことである。警察に相談してもシェルターにかくまわれても、いつまた暴力を受けるかわからないという被害者の不安は完全に消えることはない。ムルスは、本作の結末を通してこの事実を読者に突きつける。ポーランドにおける被害推計の数字は、この問題がまさにまったなしであることを示唆しているが、このコロナ禍においては、全世界的に、誰もが真剣に考えなければならない問題でもあるのだ。

 ミステリー小説にしてはちょっとしつこいほどに繰り返される苛烈なDVの様子、物語全体として見ればいささかバランスを欠くほどの過剰な描写も、ポーランドにおける家庭内暴力防止キャンペーンに大使として参加したという著者の経歴からすれば、むしろ必然であると言えるだろう。

 ミステリーとしてのおもしろさと、社会問題に直結した重厚なテーマの双方を兼ね備えた本作が、より多くの人に読まれることを願うと同時に、より多くの人に語り合われることを期待している。たとえば読書会などで。

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。