27歳にして早逝していったアーティストたち「27クラブ」について、そのネーミングの由来に関わる人物が、ポスト・グランジ・バンドの中でも最も人気の高かったニルヴァーナの中心人物カート・コバーンの遺族だったことは、前回すでに言及させていただいた。
 コバーンの自殺で中心人物を失い解散したニルヴァーナだったけれど、ドラマーのデイヴ・グロールが中心となって新たにロック・バンドを結成。それがフー・ファイターズだ。グロールのワンマン的な構想でスタートし幾度もメンバー・チェンジを繰り返しながら、グラミー賞では最優秀ロック・アルバム賞を4度も受賞。超一流の人気バンドへと昇りつめた。
 そんなメジャー・バンドのコンサート会場で写真に映り込んでいたファンの女性が、10年も前に行方知れずとなってしまっていた主人公の元婚約者だった……というのが、ポーランドの人気ミステリー作家レミギウシュ・ムルスの『あの日に消えたエヴァNieodnaleziona)』(2018年)。本邦初紹介となる作家によるものだけれど、この作品、とんでもない怪作だった。


 帯の惹句 “もう少し早く彼女にプロポーズしていたなら、あんなことにはならなかった――”というのは、確かに間違っていないんだけど、これは物語全体の100分の1も語っていない。とはいえ、その先に想像もできない展開がいくつも待ち受けているため、この、ほんの序章にすぎない部分しか宣伝文句に使えないというのも、よーく理解できる。

 その惹句が匂わせているように、物語の序盤、主人公の青年ダミアンが恋人のエヴァにプロポーズをした直後、彼女が暴漢たちに襲われて目の前で集団レイプされてしまい、自身も殴打され意識を失った彼の前からエヴァは姿を消す。犯人グループの正体もわからず、彼女の行方は杳として知れず。なんと10年もの歳月が流れてしまったある日、親友のアダムから、フェイスブック上でエヴァらしき女性の写真を見つけたと知らされる。フー・ファイターズの大ファンでもあるアダムが、コンサート会場で見かけたのに見失ってしまった女の子の写真をフェイスブックで探していたところ、その写真に行き当たったというのだ。
 画像には、フー・ファイターズのアルバム・タイトル『ゼア・イズ・ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ(There Is Nothing Left To Lose)』(1999年発表のサード・アルバム)とプリントされたスウェットを着た男が、エヴァの腰を抱き寄せるようにしていて映っていて、別のアーティストのTシャツを着ている彼女は写真の中で楽しそうに微笑んでいた。
 何らかの理由から10年間身を隠していたのか。彼女の生存を信じたい気持ちと信じられない気持ちとに思い悩んだダミアンは、警察にその画像を持って相談するが相手にされない。さらには、フェイスブック上から件のコンサート会場のエヴァらしき女性の写真が消されてしまっていた。見かねたアダムは、親友のためにレイマン調査会社という探偵事務所に調査を依頼するのだが、その矢先、何者かに殺害されてしまう。友人の遺体を発見したダミアンは、殺人犯として疑われることを恐れ、警察に届けずにその場を立ち去ってしまう。
 一方、調査を依頼されたレイマン調査会社の社長夫人であり主要調査員でもあるカサンドラは、アダムから調査依頼を受けたヨラから事件の報告を受けていたが、異常なほどに妻を束縛する夫ロベルトがヨラを突然解雇したことから、自身が調査に携わることになる。だが、夫の束縛は過剰な家庭内暴力へとエスカレートしていて、身の危険を感じるほどだった。事前にSMSで伝えられたパスワードを打ち込まないと交わせないチャットで、ダミアンはレイマン調査会社と連絡をとっていたが、その間にも、カサンドラはロベルトの束縛と暴力の脅威に晒されながらこっそりとチャットするしか方法がなかった。
 そんな中、エヴァらしき女性の遺体が発見されたという報道が発表された。エヴァが生きていると信じるダミアンは、友人殺害の容疑で追われながらも、カサンドラの協力を得つつ独自に調査を進めていくが……。

 いやはや、謎が謎を呼び、まったくもって先の読めないプロットは圧巻で、近頃人気のフランス作家ピエール・ルメートル作品の持つ外連味を思わせたりもする。
 で、今回にかぎって、物語の途中までのネタバレに近い書き方を許していただきたい。それでも、全体の五分の二くらいまで。そこまでですでに、思わず目を瞠る展開目白押しですから。

★★★★★

(以下の部分で物語の謎の一部に触れています。お読みになりたくない方はスクロールで次の「★★★★★」までお進みください――編集部)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ちょいネタバレと申し上げた理由のひとつは、フー・ファイターズのコンサート会場での写真に映り込んだエヴァが着ているTシャツにプリントされていた“ナタリア・グティエレス・イ・アンヘロ「ベター・デイズ」”という文字のこと。それが実は、とある軍事作戦に使われた特別なナンバーだったことが後々わかってくる。
 2010年、コロンビア革命軍(FARC)キャンプに空襲を仕掛ける際、10年近く人質として拘束されている軍人たちにその計画を事前に知らせる方策にコロンビア軍特殊部隊は頭を悩ませていたという。そこで、マーケティングのスペシャリストが考案したのが、軍人なら誰もがわかるモールス信号を歌の中に盛り込んでラジオ局から流し続けるというもの。
 そう、20のワードがモールス信号化されてリフレインされるメロディを実際にアーティストに作らせたのである。ジャングルの近くでその曲を流し続けることで事前に作戦は人質に伝わり、人質解放は成功することになった。その無名のアーティストの名がナタリア・グティエレス・イ・アンヘロ、歌のタイトルが「ベター・デイズ」だったのである。
 つまり、いまも自分は拘束されているというメッセージを届けるために、エヴァはこのTシャツを着ていたということになる。自分を幽閉している連中に感づかれずにメッセージを送るため、慎重に慎重を重ね、ひそかに計画を練ってきたのだった。
 その歌はいまも実際にYouTubeなどで聴くことができ、エヴァがメッセージ用Tシャツのデザインに使った要素は、ネット上に広まったこの軍事的事件の記事に使われたイラストから取られていて、そのイラストも見ることができるのだ。そして、その記事のイラストにはない要素に、彼女からのメッセージが加えられている。
 作者のムルスはよほど音楽への思い入れが強いのか、ここでも音楽に関わる興味深い手がかりをばらまいている。
 ダミアンを救おうとする父親に、彼がエヴァの生存の証拠だと説明するシーン。エヴァのTシャツのイラストには雲とイコライザーを思わせる絵柄が使われている。雲がさすのは、音声データを自由にアップロード/ダウンロードできる“サウンドクラウド”のロゴ。イコライザーはもちろん音の高低を周波数で示している。そのサーバーのファイルを登録したユーザー名が“ポールフランシス”だったと。そして、「ベター・デイズ」のメロディには、もうひとつメッセージが隠されていた。“ウェブスター”と。
 ダミアンの大好きな実写版映画『スパイダーマン(Spider-Man)』(2002年)でも使われた、タイトル曲「スパイダーマンのテーマ(Spider-Man Theme)」を手掛けたのが、ポール・フランシス・ウェブスター。小説では、映画版に書かれたもののように表現しているけれど、実際には、1967年に放送されたTVアニメ『スパイダーマン』のオープニング・テーマ曲。映画版でもその曲をそのままカヴァーしたのだ。さらに、ウェブスターは作詞家なので“曲を作ったソングライター”はロバート・ハリスということになる。かくして「スパイダーマンのテーマ」とサウンドクラウドに書き込んだダミアンは、“タイガー”という、エヴァが彼を呼ぶ綽名と同じユーザー名のファイルを発見する。
 マトリョーシカじゃないけど、入れ子構造のようにクイズの答えがまた次のクイズのヒントになっていくという、エヴァによって入念に仕組まれたメッセージが、少しずつ少しずつ解き明かされていくことになる。
 行きついた先はサウンドクラウドのコピーのようなサイト。もちろん、パスワードでブロックされている。
 そこにまたヒント。誤ったパスワードでウインドウに出てきた白いドクロは、針の刺さった紐とともに姿を消した。稀代の奇術師ハリー・フーディニの得意とした演目。思い出されたのも、エヴァと観に出かけた奇術映画『プレステージ(The Prestige)』(2006年、クリストファー・ノーラン監督)と『幻影師アイゼンハイム(The Illusionist)』(2006年、スティーヴン・ミルハウザーの短篇「幻影師、アイゼンハイム」が原作)。奇術に、そしてその代表格だったフーディニに、二人してとり憑かれた頃。これまた知る人ぞ知るフーディニの歴史的エピソードがヒントになる。多くの霊媒師のイカサマを暴いたフーディニは、自分の死後、愛妻ベスとの間でだけ、自分が死後の世界から脱出した証拠となる合言葉を決めていた。“ロザベル(Rosabelle)”。当時のコニーアイランドで売れていた、二人が好きだった流行歌のタイトルだ。イングランド出身の人気シンガーソングライター、ケイト・ブッシュは、ずばり「フーディニ(Houdini)」という曲の歌詞で、この言葉に触れている。“わたしとロザベルは、信じてる”と。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
★★★★★

 ここまでで、物語全体の5分の2ほど。はたしてエヴァは生きているのか。だとしたら、ダミアンは彼女を見つけ出すことができるのか。誰か信じられる人間はいるのだろうか。また、カサンドラと子供はエスカレートしていく夫の暴力から逃れることができるのだろうか。まだまだ驚愕が待ち受ける後半へと物語は加速しながら展開していく。
 ひさびさに“巻置く能わず本”に出会えて拍手喝采したい。ぜひともご一読を。 
 
 ある日突然、自分の愛する女性が消えてしまうという設定そのものは、けっして少なくもない。最近の話題作でも、フランスのベストセラー作家ギヨーム・ミュッソの『ブルックリンの少女La fille de Brooklyn)』(2016年)か、はたまた、いやミス代表作で映画化もされたギリアン・フリンの『ゴーン・ガールGone Girl)』(2012年)もまた、その類であった。それらの作品にも確かに驚かされたけれども、本作の展開の異常さたるや、ルメートルくらいあざといけど、比肩しうるどころか凌駕すらしているかもしれない。
 ポーランド産ミステリーというと、『ペンション殺人事件Pensjonat na Strandvägen)』(1969年)とポーランド警視庁賞受賞作『顔に傷のある男Człowiek z blizną)』(1970年)のイェジィ・エディゲイあたりが、邦訳紹介の嚆矢かもしれない。『ソラリスの陽のもとに(Solaris)』(1961年)で知られるSF界最高の作家の1人、スタニスワフ・レムの作品には、『捜査Śledztwo)』(1959年)やフランス推理小説大賞受賞作『枯草熱Katar)』(1976年)といったミステリー仕立ての作品もあった。
 最近では、検察官テオドル・シャッキを主人公とする三部作の完結篇にあたる『怒りRage)』(2012年)が邦訳紹介されるや、日本でも話題となり第1作『もつれEntanglement)』(2007年)、第2作『一抹の真実A Grain of Truth)』(2011年)が慌てて邦訳刊行されたジグムント・ミウォシェフスキあたりが急先鋒だろう。
 また、イエジー・カヴァレロヴィッチ監督による社会派サスペンス『(Shadow)』(1956年)といった名作を過去に生み出したポーランドの映画界では、最近だと、人魚姫を題材にした現代的なホラー・ファンタジー映画『ゆれる人魚(The Lure)』(2015年)や、アイスランド映画ながらポーランドと合作の『隣の影(Under The Tree)』(2017年)といういやミス系サスペンスが話題になったりしている。
 じわじわとポーランドのミステリーが楽しみになってきているようですね。
 そうそう、ちなみに本作にはこれだけフー・ファイターズの名前が頻出するのだけれど、主人公ダミアンのお気に入りは、ハードロック・バンドのレインボウだそうだ。

◆YouTube音源
■”Better Days” by Natalia Gutierrez Y Angelo

*本作で失踪したエヴァとやり取りの暗号となったのが、この音源。

■”Rosabelle” by Captain Howdy featuring Deborah Harry

*フーディニ夫妻が愛したとされる流行歌「ロザベル」を、ブロンディーのデボラ・ハリーの歌をフィーチャーしたキャプテン・ハウディー1994年録音。

■”Houdini” by Kate Bush

*まさにフーディニの合言葉ロザベルの逸話を題材にして書いた歌。4枚目のアルバム『ドリーミング(The Dreaming)』(1982年)に収録。

◆関連CD
■『The Dreaming』Kate Bush

*「フーディニ」を収録したケイト・ブッシュの4枚目のアルバム。

◆関連DVD・Blu-ray
■『影』


■『ゆれる人魚』

■『隣の影』

■『プレステージ』

■『幻影師 アイゼンハイム』

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。











◆【連載エッセイ】ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く バックナンバー◆