みなさんこんばんは。第5回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。
 
 秋の夜、少しずつ肌寒くなってきたようですね(私が住んでいる場所はあまりまだ寒くないのですが)。私は秋冬の温かい紅茶が美味しい時期になると心の中の暗黒乙女が騒ぎ出すので、大きな階段のある古いお屋敷や陰鬱な暗い森といった閉じた場所を舞台に、謎めいた女性と怪奇現象や亡霊の気配、過去をめぐる秘密が交錯するようなゴシックロマンスやクラシカルなホラーの要素があるミステリを楽しみたくなってきます。『レベッカ』『回転(ねじの回転)』といった小説も映画も名作が多々あるこのジャンル、実は今年映画館で「これはまさかの〈お屋敷もの〉の傑作ではないか……!」と驚いた作品がありました。それが今回ご紹介するパブロ・ラライン監督の『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』。これ、完全に「実録(?)ゴシック・ホラー」だったのです。


■『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』JACKIE)[2015.米]

あらすじ:1963年11月22日。ジョン・F・ケネディ大統領がダラスで撃たれ、ファーストレディ、ジャッキーは目の前で夫を失った。あのとき、何があったのか?――現在のジャッキーが暮らす静かなコテージに取材に訪れた記者は、虚実入り混じっていることがわかりながらも彼女が語る物語に魅せられていく。夫の血を浴びたスーツを脱ぐ間もなくホワイトハウスを取り仕切ったあの日。アメリカ全土で記憶されるような完璧な国葬を行うための準備。生後まもなく失った息子のこと。彼女が愛した館の日々の想い出が浮かんでは消え、消えては浮かび……

 予告編の「人物伝」的な印象は本編には皆無だとまずお伝えしておきましょう(どちらかというとジャクリーン・ケネディが「どういう存在だったか」を知っていることが前提になっている物語だと思います)。そもそもナタリー・ポートマンが実際のジャクリーン・ケネディのルックスとは決して近似値にはなく、「似せる」ことを重視した映画ではありません。この映画には若くして夫を失った女性の気丈な再起の感動ドラマもなければ社会情勢の描写や政治的な駆け引きのサスペンスもありません。では代わりに何があるかというと、それこそが〈ゴシックロマンス/ホラー性〉だったのです。
 
 白亜の御殿の黒衣の女。霧雨の中のぬかるんだ墓場の丘に薄ぼんやりと浮かぶ枯木。葬儀に向かう顔のない群衆がぼんやりと映る車窓。虚無のベッドルームにリフレインする空疎に明るい「キャメロット」のレコードの大音量のコーラス。明らかに恐怖映画的な表現を使って描かれるのは、最初から最後まで死を思い続けるやつれたヒロインの心理――不在になればなるほどその存在が大きくなる人物と場所/どうすることもできないことへの悔恨と死の誘惑、そして強迫観念めいた「館」と「葬儀」という「私たちの神話化」作業への妄執です。
 
 ジャッキーの手により修復されてTV放送で公開され、アメリカのイメージの殿堂、ある種の王宮としての歴史の象徴になったホワイトハウスは、この映画の中では完全に幽霊屋敷――住まう者に権力や栄光と引き換えに死あるいは永遠の孤独を与える呪われた亡霊の館です。その調度品、壁紙、扉や廊下を捉える視線、じわじわにじり寄り、じわじわと遠ざかるスローズームが恐ろしくも大変美しい。
 
「お屋敷」の中に時折響き渡る、悲鳴のようにもサイレンのようにも聞こえるグリッサンド、神経に直接触れてくるようなメランコリックで流麗なのに不穏極まりないミカ・レヴィのスコアも異様で強烈です。(最初の音が鳴った瞬間ほとんど『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』だ! と興奮しました(実際、〈血塗られたアメリカ神話〉という点では共通するところがある映画だといえるでしょう)。

 記者が〈望まれるかたち〉の評伝として書いたジャッキー像と同様に、この映画の中の〈喪の儀式に憑かれ、亡霊のように彷徨うジャッキー〉も映画の中の虚像。この怪奇幻想譚のお屋敷のようなホワイトハウスはあくまでも「この映画の中の」ジャッキーの中にだけ存在する幻影で、本当に彼女がこのように世界をみていたかを確かめる方法などどこにもありません。それでもこの映画がこのフォーマットで描かれた理由は「ケネディ家」という存在が持つ特定のイメージ、恐ろしくもミステリアスで甘美な星条旗の夢にこの形式が最適だったからなのではないかと思います。記憶の中の時間と空間が何度も捩れるトリッキーな脚本で、誰もが知るアイコンを「圧倒的な孤独と不安に苛まれ古い屋敷の中で神経をすり減らしていく」ゴシック・ホラーのヒロインとして描く。「こんな方法で伝説的存在を描くことができたのか!」という表現に私はすっかり魅入られてしまいました。好悪は別れる映画かとは思いますが、未見の方は〈お屋敷もののミステリアス・シネマ〉という視点で是非御覧になってみていただければと思います。
 

■よろしければ、こちらも1/『シャネル&ストラヴィンスキー』Coco Chanel & Igor Stravinsky


 実在人物にまつわるエピソードと実際に存在したお屋敷を舞台にしたメロドラマがゴシック・ホラーのように演出された映画として、こちらも忘れがたい作品です。「ほしいものは自らの力ですべて手に入れる」女であるシャネルと、家族と共にパリで苦しい亡命生活を送っていた時期のストラヴィンスキーの不倫劇ではあるのですが、これが見事な〈お屋敷もの〉。舞台は白と黒で統一された人外魔境のようなヴィラ。怖い。ぐらぐらと揺れる廊下の撮影、揺れるブランコ、明るい画面の木漏れ日も、なぜか怖い。ほしいものを否定しながら与えられれば受け取ってしまう男が「このままではだめだ」と思いながらも、女に招き入れられたモノクロームの館を出られなくなる話としても怖い。極端な芸術家同士の恋愛とも身体だけとも呼べない関係もスリリングで、実在人物なのでそんな惨劇が起こるはずはないと思いながら妙な緊張感にいつ画面が血に染まるかとヒヤヒヤしながら見た記憶があります……。
 

■よろしければ、こちらも2/『使用人たちが見たホワイトハウス: 世界一有名な「家」の知られざる裏側』(ケイト・アンダーセン・ブラウワー)


 もともとホワイトハウス付き記者だった著者がパーティで「ここって実はほとんどダウントン・アビーな空間では……?」と感じて取材を始めたとのことで、「お屋敷としてのホワイトハウス考」が大変面白いルポルタージュです。究極のお屋敷ではあるけれど、それでも「仮住まい」でしかない大統領邸宅の日々の悲喜こもごもと、そこで働く人たちの誇り。決して口が軽くない使用人/元使用人たちへの丹念な取材によって「家」を通じてみたときの大統領とその家族の知られざる横顔が見えてくるのが楽しい。無茶苦茶な要望を出してくる人や妙なこだわりで使用人たちを苦労させる人もいた。言うことがコロコロ変わる人、慣習にないことを求める人、緊張感に欠けた人も、常にピリピリしている人もいた。でもどんなファミリーも去るときにはスタッフに感謝せずにはいられない、家自体が生きているかのような不思議な場所ホワイトハウス……。
 ちなみに、ここでも『ジャッキー』で描かれたケネディ暗殺当日のホワイトハウスの様子が出てきます。映画が意外なほど実際の状況に忠実だったのがわかるのですが、全く印象が違ってこの場所をゴシック・ホラーの舞台にするという発想はまず湧かないと思います。2作を比較して読んで(観て)みても面白いのではないでしょうか。
 
 テレビの「世界名作劇場」や児童文学でヒロインたちが暮らす洋館に憧れた頃から、私にとって〈お屋敷〉というのは特別にミステリアスで惹きつけられる存在です。秋の夜長は小説でも映画でもワケアリのお屋敷の物語を堪能するのによい時間。少女の頃のときめきを思い出しながら、そろそろ気になっていたケイト・モートン『湖畔荘』を読み始めるといたしましょうか。それでは今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。







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