みなさんこんばんは。第12回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。
 
 最近、現在公開中の『サバービコン 仮面を被った街』を見てきました。50年代のアメリカの郊外住宅地という〈笑顔に満ちた夢の街〉に暮らすロッジ家で起きた無茶苦茶な犯罪の顚末を、ロッジ家と隣り合った場所に越してきたアフリカン・アメリカンの一家への〈夢の街の住民〉からの悪意に満ちた攻撃を通奏低音にして寒々しい笑いで描いた作品なのですが、見ているときふと「ご近所さんもの」というジャンルが存在するのではないか? と思いつきました。住宅地ものに限らずさまざまな描かれ方をしてきた「隣の住人」という題材は、インターネットの大手掲示板で定番の「苦手なご近所さんと付き合いたくないのですが……」「隣の家の様子がどうも変なんですが……」的な悩みトピックともつながる、多くの人にとって他人事ではない話題。この題材で作られてきた映画やドラマ、小説も多種多様。みなさんはどんな作品が思い浮かびますでしょうか。
 
 そんなわけで、今回ご紹介するのは特に私が気に入っているミステリアス・ご近所さん・シネマ。意地悪で奇妙でサスペンスフルなブラックコメディ、アルゼンチンの『ル・コルビュジエの家』です。
 

■『ル・コルビュジエの家』(EL HOMBRE DE AL LADO)[2009.アルゼンチン]


あらすじ:家具デザイナーとして世界で名を知られ、高級な椅子シリーズで高い人気を得ているレオナルドは素敵なおうちに住んでいる。かの有名な建築家ル・コルビュジエが南米で唯一手掛けた住宅、クルチェット邸だ。仕事も順調、妻と娘と3人で暮らす彼の日々はかなりうまくいっていた。ある朝、何かが破壊される轟音で目覚めるまでは……音の原因は隣の家に住むビクトル。彼が「太陽の光を入れたい」と自宅の壁を壊してレオナルドの家の向かい側に窓を作り始めたのだ。あんなところに窓があったら、うちの中が見られてしまうじゃないか! 騒音も耐えられない! 理想的住居に起きた思わぬ事態に、必死で隣人に抗議するレオナルドだが、ビクトルもなかなか引かず、むしろ理解を求め続け、そのうちに面倒なことに……

 監督・撮影:ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン、脚本:アンドレス・ドゥプラットというトリオは昨年劇場公開された『笑う故郷』を製作したチーム。あの作品も一筋縄でいかないブラックコメディで、田舎町で芸術と欲望をめぐる気まずい状況が次から次に訪れる間合いが絶妙でしたが、2010年のアルゼンチン・アカデミー賞で6部門作品(監督・主演男優・脚本・音楽・新人男優)を受賞した今作も負けず劣らず面白い作品です。
 オープニングの白とグレーで左右に分かれた画面の意味がわかるところから、人をくったようなエンドクレジットに至るまで、こちらもまた気まずい状況の連続。両作ともに、時折隠れて撮っているかのように物陰から望遠で対象を捉える撮影になんとなくドキュメンタリーのような味わいがあったのですが、どうやらこの監督コンビはもともと8人の元大統領を追ったドキュメンタリー作品「Yo Presidente」(日本未公開)で知られている人たちだそう。この作品も一度見てみたいものです。
 
 今作の原題は「隣の男」。著名な家具デザイナーで〈自分が他人にどのように見えるか〉を常に考えている、住宅も含めて文化的生活を守ることに余念がないレオナルドにとっていちばん苦手なタイプが、豪快で精力的、見た目もいかつく、悪意なく堂々とプライベートに踏み込んで「自分がやりたいこと」を言いにくる〈一般人〉である「隣の男」のビクトルです。彼が轟音を立ててハンマーをふるい、自宅の壁を破って窓をつくろうとすることをどうしても止めたいレオナルドの四苦八苦はいつまでたっても空回り。遠慮がちに抗議してみれば「光を入れたいだけなんだ」「俺は気にしないよ」「かっこいい窓にするから」と反応されて、「いや、そうじゃなくて……」「でも妻が怒ってて……」とモゴモゴ口ごもりながら困惑し続けるレオナルド。
 
 やがては騒音の日々にクタクタになり、仕事も手につかなくなり、あげくすっかり友達気分のビクトルから「自家製イノシシのマリネ」や「自作の芸術オブジェ」というどうリアクションしたらいいかわからないものを差し出されて受け取ってしまう彼の微妙な表情には「これだからああいう連中イヤなんだ……」という心の叫びが聞こえてくるよう。持って回った嫌味やうっすらとした嫌悪感を表明してもビクトルはまったく動じない、もしかして気づいてないのか、いやわざとなのか……怖い! 無遠慮な人間怖い!

 と書くとレオナルドに同情してしまいそうなのですが、同情するにはこのレオナルド、言動から行動からスノッブが過ぎて「いけすかなさ」の塊のようなキャラクターなのが可笑しい。だいたい元はといえば彼が家族にもビクトルにもそれ以外の人にもいい顔をしようとしたことからどんどん身動きが取れなくなってしまっているのです。さらにいえばビクトルはガサツで行動によくわからないところはあるものの、決して悪い人じゃないという部分もきちんと見えてくる……しかし、悪い人じゃないとわかっていても、苦手なものはどうしたって苦手だし、窓は作られたくない、「こっち側」の生活に入ってきてほしくない、でもそれを伝える「嫌なやつ」にもなりたくないレオナルド……このどうしようもない状態!
 
 ひとつの窓から始まった「苦手なご近所さん」との関係、その間の物理的な壁は2人の男の間での精神的な壁そのものなのですが……さて最終的にこの「窓」はどうなってしまうのか? どうやってこの膠着状態からのオチをつけるのか? 意外な展開は是非、実際にご覧になってみてくださいませ。
 


■よろしければ、こちらも/『この世に私の居場所なんてない』


(https://www.netflix.com/jp/title/80100937)


 
 こちらはうってかわって、何とも風変りですっとぼけたミステリアス・ご近所さん・シネマです(劇場未公開、Netflix配信のみ)。担当患者が酷い言葉を残して死に、バーで会った男に読んでいる小説の結末をネタバレされ、家の前には犬のフンが放置されていた看護助手のルースさんの最低な一日の締めくくりは空き巣に入られていたこと。警察にまともに捜査してもらえないので自ら犯人捜しを開始した彼女は探偵活動を繰り広げるのですが、そのパートナーになるのがご近所の変人さん。このヌンチャクと手裏剣で武装した(特に役には立たない)愛すべきヘナチョコの隣人を演じるイライジャ・ウッドが最高にチャーミング。空き巣犯を追っていたはずが全然違う事件とこんがらがってとんでもない事態に陥るズッコケミステリ展開のおかしさもさることながら「奇妙なご近所さんとの奇妙な友情」のあたたかさが妙に心に残る映画です。ヘンテコな話なのですが。
 
 近所の人間関係のささくれが事件につながっていくスモールタウン・ミステリーはもちろん、最初は嫌だった隣人と意外にも微笑ましい交流が生まれるドラマ、実は隣ではとんでもないことが起きていた……というホラー展開――「ご近所さんもの」には色々なプロットが考えられます。もちろん実人生でのご近所さんとの関係は無事平穏であることが何よりかとは思いますが、誰しも「いつ自分の身に降りかかるかわからない問題」(今はそうでなくても、いつそうなるかわからないものですからね)というのがジャンルを横断したご近所さんものの定番化にもつながっているのかもしれないな……などと考えながら、それでは今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。
 

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。


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