——いらない何も捨ててしまおう、君を探し彷徨うBOOK OFF(復刊希望)

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:2月ももうすぐ終わり。今まさにマラソンのシーズン真っただ中。毎週日曜日には日本各地でマラソン大会が行われています。「日本新記録で1億円」の効果は絶大で、スタート前の偉い人のスピーチは「皆さん、一億円めざして頑張ってください!」で締めるのがお約束だし、タイム的には2時間くらい及ばない市民ランナーが「おー!」って応えるのもお約束。いやあ、春も近いですなあ。

 そんなわけで、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回のお題は、スティーヴン・キングと並ぶモダン・ホラーの巨匠ディーン・クーンツの『ファントム』。1983年の作品でこんなお話。

山間の小さな町スノーフィールドの医師ジェニーは、離れて暮らす妹と会うために町を離れ、二人で戻ってみると、そこは無人の町となっていた。ところどころで発見される異様な死体。しかし住民約500人の大半は行方不明だった。通報を受けた近隣の街サンタ・ミラの保安官ブライスは部下たちを連れてジェニーのもとに向かう。やがて、未知の疫病の発生を疑う政府により町は封鎖され、軍人や科学者で構成される調査団も派遣されるが……。

 著者のディーン・クーンツは1945年にアメリカのペンシルベニアで生まれました。
父親がアル中で性格破綻者という、つらい家庭環境だったものの(またはそのためか)、幼いころから読書に夢中になり、早くから創作の才能を発揮していたそうです。やがて教職に就きながら創作を続け、プロデビュー。売れっこ作家となる前は、SFを主軸にミステリーからゴシックロマンスまで何でも書きまくったのだそうです。
 そして今回の課題本『ファントム』はクーンツの出世作。日本では1988年に大久保寛さんの訳でハヤカワ文庫で出たところ、たちまち評判となり、それを受けて翌年の1889年には一気にクーンツ作品が8作翻訳されたのだとか。このあたりの熱狂は北上さんの『ライトニング』 の書評が面白いので是非どうぞ。こちら
 1989年って随分昔のことのように感じるけど、もう平成ですよ、平成。平成元年。「昭和と平成の区切りが分からない」とお嘆きのご同輩は「クーンツ以前が昭和、それ以降が平成」と覚えましょう。
 さらにクーンツといえば、本サイトに掲載された瀬名秀明さんの初心者のためのディーン・クーンツ入門もマストリードです。(http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20101221/1292858495)瀬名さんは本書『ファントム』を紹介するにあたって「これを読んでつまらなければ、あなたにクーンツは合いません。残念ですがほかの作家をあたってください」と断じておられます。ううむ、凄い。これは読まなきゃと思った未読のあなた、今すぐ本屋に走るのです。アマゾンではとっくに品切れ、最後の一冊があなたの街の本屋さんにひっそりと眠っている僅かな可能性に賭けて。(ないだろうなあ)

 それにしても『ファントム』はすごかった。
 いきなりネタバレで恐縮ですが、お化けや幽霊の類は一切出てきません。「こわいのムリ~」という向きにもお勧めできる、ホラーというよりノンストップ・スリラー。これはミステリーなのかと問われるとなかなか微妙、どちらかというと冒険小説のテイストかも知れません。いきなり「町民500人が突然いなくなった」という謎が提示されて、少しづつそこで何が起きたのか推量する材料が集まってくる。周囲には常に不穏な「それ」の気配が。でも、こんなに不気味な状況なのに、不思議なくらい不快さがないのですね。むしろ知的好奇心が気持ちよく刺激される感じ。とにかく先へ先へと心は急ぐ。凄いぞクーンツ。

 ところで、近ごろでは随分暖かくなって、こちらでは菜の花のピークは去り、梅の花が見頃ですって呑気なことを書こうと思っていたら、札幌ではまた地震のニュース。大丈夫だった?

 

畠山:5か月ぶりの大きな地震に肝を冷やしました。その2週間前には大寒波にも見舞われまして、ビリっと引き締まらざるを得なかった2月。菜の花? 梅? どこのユートピアですか? ガンダーラですか? どうしたら行けるのか教えて下さい。

 それにしてもあの寒波は強力でした。地平線の向こうまで灰白色に塗り込められた空がなんとも不気味で、北海道全体が巨大な氷のドームに覆われているかのようでした。スティーヴン・キングの『アンダー・ザ・ドーム』を連想しつつ、ああこの寒さはきっとなにかの意思を持った超常現象なんだ、道民はこれから次々と凍って死んでいくんだわ…と、くだらないことをウキウキと考えていたものです。そんなタイミングで読んだ『ファントム』ですもの、臨場感あふれまくりであったことは言うまでもありません。
  
 ゴーストタウンと化したスノーフィールドの街に残されていたのは、住民の異様な遺体の数々。恐怖に凍りついた表情、全身を覆う不思議な痣、さらに切断された腕や、オーブンに入れられた頭部が見つかったりする。稀代の殺人鬼の仕業か、はたまた新種の病原菌か!? だとしても住民500名が影も形もなく消失、もしくは瞬殺なんてあり得なさすぎる。
 こんな感じで、開始早々に風呂敷が盛大に広げられまして、もしやこれは「最初にやたらと怖がらせるけどオチがショボい」というパターンではないか、と嫌な予感がしたものです。
 そんな私の浅慮を見事に払拭してくれたクーンツ、ありがとう! スリリングさはそのままに、保安官たちの苦悩、姉妹の勇敢さ、専門家の見事な連携などを盛り込んで、最後の「それ」との決着シーンまで、ぐいぐいと引っ張っていってくれました。
 考えてみれば、最後にショボくなるような小説がマストリードに選ばれるわけないんだけど。

 各章が比較的短いのでとてもテンポがよく、上下巻の長さを全く意識せずに読み切りました。どう表現したらいいんでしょう、このリーダビリティの高さは。なんというか……飲み物? よく「カレーは飲み物」「麻婆豆腐も飲み物」と言われていますが、このラインに私は『ファントム』も加えたい。

 全然知らなかったのですが、この作品は映画化もされていたのですね。タイトルもそのまま《ファントム》。なんとブライス保安官役は加藤さんの仇敵ベン・アフレックじゃありませんか!ヒャッハッハ 
 加藤さん、映画みた?

 

加藤:なんだろうね、ベン・アフレックって名前を聞いただけでちょっと笑えてくるのは。映画《オデッセイ(火星の人)》が公開されていた時、ツイッターに流れてきた感想「地球で心配しているであろうベン・アフレックに感情移入しすぎて泣けた」ってのには笑ったっけ。
『ファントム』って実はストレートというか、太い幹がどっしりと構える、シンプルな話だとも思うのです。それをここまで面白く読ませるのは、クーンツの天才的な構成力と展開力(章の引きのうまさを見よ!)のなせる技にちがいない。僕は今回が初読だったのですが、読み終わったときに感じたのは、まさにお腹いっぱいといった満足感と、「でも、コレ映画化したら失敗するやつだ」という確信でした。そしたら、ベン・アフレックだもん。あの非の打ちどころのない2枚目ヒーロー、ブライス保安官がベン・アフレック。もう嫌な予感しかしないんだけど。でも、調べたら脚本はクーンツ本人が書いているみたいなので、案外イケるのかも知れません。
 クーンツの魔法のリーダビリティが映画でどこまで再現できるのか、ちょっと興味あるなあ。

 ところで、クーンツの略歴で「つらい家庭環境」って書いたけど、僕の狭い守備範囲のなかで不幸な幼少期を送った作家といえば、父親が詐欺師だったル・カレ先生や、目の前で母親を殺された狂犬エルロイなどが思い浮かびます。
 しかし、クーンツを読んで感じるのは、その二人に比べて不思議なくらい健全な善悪感というか倫理観をお持ちにちがいないということ。そこここに優しさや正しさが滲み出ちゃってると思うわけ。この世の無常や理不尽さ、人の醜さみたいなものを、読者が不快に感じるところまでは突き付けてこない。常にどこかに救いがあるし、弱者への視線が暖かいと感じるのです。コアなホラーファンが望むものとは違うかも知れないけど、だからこそ大衆に受け入れられた気もします。
 ぼくらの世代にはお馴染みの大ヒット漫画『寄生獣』をちょっと髣髴とさせる独自のテーマ性と世界観を持った傑作『ファントム』、堪能しました。

 女性主人公で一気読み系の『ファントム』は、絶対に畠山さんの好みでしょ?

 

畠山:むむ、なんだその薄笑いめいた「好みでしょ?」は。自分だってこの手のものは好きなくせに。まぁ今日のところは不問に付そう。ムチャクチャ楽しんで読んだのは事実だから。

 正体不明の「それ」は神出鬼没で地獄耳。銃では倒せない。それどころか目の前で仲間が殺されても何が起こったのかまったく理解できず、手も足も出ません。ジェニー、保安官、調査団はそれぞれプロフェショナル揃いですが、「それ」にかかっては防戦一方。ロシアンルーレットの的になったかのような恐怖の中で、冷静さを保つのが精いっぱいです。読んでるこっちも「ひーっ!」という声を堪えるのに精いっぱい。
 それでも、このままゲームオーバーにはならない、なるもんか、なってたまるかという気持ちで読み進められるのが、加藤さんも言っていたクーンツの「健全さ」のなせるワザなのかもしれません。読後もいいですしね。

 生き残った人たちは単に運がよかっただけなのかと思っていたら、どうやら理由があるようでした。そして真に恐ろしいのは何かという問いかけもありました。作者の提示したものに対して、私自身は「それじゃ死んだ人たちが浮かばれないんじゃない?」と思わなくもなかったです。他の方はどうお考えになるか興味がありますね。つい情が移ってしまうキャラもいるし、読書会の盛り上がりには欠かせない「クズ野郎」もいますので、語り合ったら楽しそう。

 ホラーであり、スリルとサスペンスであり、パニック、冒険、青春、ロマンス、サイコパス、ちょっぴりSF風味と、あらゆる欲求を満たしてくれる豪華な小説。クーンツが好きになれるかどうかの試金石とのことですが、私はばっちり好きになりました。
 ホラーというジャンルに縁遠かった方も、「だって『ファントム』の表紙が怖いんだよぅ」という方も、モノは試しです。ぜひぜひご一読を!(そして復刊を!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 年号が昭和から平成になったころ、翻訳ミステリーを巡る情景も大きく変化したという記憶があります。刊行点数の増加は留まることを知らず、結果としてそれまでのジャンルには収まりきらない作品が多数紹介されるようにもなりました。モダン・ホラーという概念で括られた作品群はその一例でしょう。恐怖小説、怪奇小説といった旧来の用語では説明しきれない、新鮮な長篇がその名の下に多数翻訳されました。独自の着想、先の読めないプロットは「新しい小説を読んでいる」という感慨を存分にもたらしてくれました。その代表格というべき作家がディーン・R・クーンツです。1989年には彼の作品が一挙に七作もが翻訳され、ブームと呼ぶしかない反響を巻き起こしました。一人の作家が持つ創作力の大きさというものをあれほど感じさせられた経験は他にないかもしれません。膨大な著書の一つに『ベストセラー小説の書き方』がありますが、彼以上にそれを講義するのにふさわしい作家はいないでしょう。

『雷鳴の館』刊行当時、ミステリー・ファンの間でその物語構造について驚きの声が飛び交い、実はいわゆる「本格」も書けるのではないか、と囁かれたことも思い出します。一口で言うならば、プロットの持つ機能を熟知した作家ということになるでしょう。どんでん返しの驚き、復讐譚の胸のすくような展開、生理感覚をじわじわと刺激するスリラーといった具合に、物語自体が持つ器の力を存分に発揮させるのがクーンツという作家です。後味のよさもクーンツの特徴で、最後に部品が残って割り切れない思いをするというようなことは絶対にありません。長篇の書き方を後続に示したという意味では、スティーヴン・キングと並ぶ存在がクーンツなのです。

 さて、次回はクリスチアナ・ブランド『招かれざる客たちのビュッフェ』ですね。こちらも期待しております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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