全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:皆さんこんにちは。おかげさまで「必読!ミステリー塾」は先月無事に100回を迎えることができました。多くの方からお祝いや労りのメッセージをいただき、本当にありがとうございました!

畠山:無事にゴールできたのは皆さまの応援があってこそ。心から感謝しております。今日は、我々のマストリード100の道のりを軽く振り返ってみたいと思います。

加藤:僕と畠山さんが知り合ったのはもう20年以上前だよね。そのころ隆盛だったインターネット個人サイトの掲示板。畠山さんはまだ独身で「ダニエル・ローク(ディック・フランシス『興奮』の主人公)の嫁になる!」ってよく言ってたっけ。直感的に「目を合わせちゃいけないヤバい人だ」と思ったのに、まさかこんなに長い付き合いになるとは。

畠山:ちょっと! いきなりあたしの乙女の思い出をバラさないでよー! 加藤さんは今よりずっと不健康な酒呑みで、酔いにまかせてク〇暑くハードボイルドを語ってた。初めてオフ会で会う時はキンチョーしたなぁ、きっとメンドクサイ人なんだろうって思ってたから。

加藤:その後、僕は翻訳ミステリー名古屋読書会に参加して、畠山さんが「札幌でもやりたい」と言うのを聞き、翻訳ミステリー読書会の組織化に奔走されていた越前敏弥さんに紹介したのが10年くらい前。

畠山:翻訳ミステリー読書会ってとても楽しそうに見えて羨ましかったの。手を挙げるのには勇気がいったけどね。越前さんのおかげでなんとか読書会をスタートさせ、軌道にのってきたかなという頃に、シンジケートから「何かやってみませんか」とお声がかかったのですよ。で、二人とも読書傾向が偏っていて、基本的なミステリーの知識に欠けていることを自覚していたので、体系的にミステリーを学んでみたいね、という話になりました。

加藤:『海外ミステリー マストリード100』の目次を最初に見たとき、100作中33作も既読があって意外に思ったのを覚えてる。本格とか普通のミステリーをほとんど読んでこなかった僕が3割越えとは驚きの高打率。振り返ってみると、第27回『ナヴァロンの要塞』(アステリア・マクリーン)から第47回『夢果つる街』(トレヴェニアン)までがほとんど既読で、ここで稼いだんだね。冒険小説、スパイ小説、ネオ・ハードボイルドの時代。

畠山:へぇ、すごい。私は2割切るくらいだったな。そんな調子の我々が、翻訳ミステリーを年代順に100作品読むという旅に出たわけだけれど、始まったばかりの頃のことって覚えてる?

加藤:僕は「ミステリー塾」の前に、シンジケートに2回記事を書かせてもらってたの。「レイモンド・チャンドラー入門」と「マイクル・コナリーの新作レビュー」。シンジケートの錚々たる執筆陣のなかで異彩どころか異臭を放っていたのに気づいていたけど、この素人まる出しなところが求められているに違いないと思うことにしました。いわゆる「開き直り」ってやつです。あまり話したことなかったけど、畠山さんは何か考えてた?

畠山:何を求められてるのよくわからないけど、全力で取り組めばそのうち何か見えてくるのかなと思って手探りで始まった感じですよ。スタートから1年以上は、評判が悪くて打ち切りになるんじゃないか、シンジケートから「終了します」のメールがくるんじゃないか、とビビりまくってたなぁ。読み応え抜群のシンジケートのコンテンツのなかで、箸休め的存在として楽しんでいただけるといいなと思い始めたのは2、3年経った頃だと思う。でもその気持ちが先走って、本の内容とは関係ないところに思わず力が入ったりしたのは、よかったのか悪かったのか……。

加藤:本と関係ないといえば、2019年ラグビーワールドカップ日本大会の2年くらい前は、枕でラグビーの話ばかりしていた気がするなあ。今思えば申し訳なかったです。当時、世間がぜんぜん盛り上がっていないというか、認知度が低いのに妙な危機感があったんだよね。なぜ自分が焦らなきゃいけなかったのかよく分からないけど。

畠山:加藤式サブリミナル効果のせいで、私もW杯を観に行っちゃいましたよ。 好きなものを推しつづけるのは大事(笑)
 脱線ばかりしていた我々だけど、本筋である本の感想を文章に表す作業ってどうだった? 私はそりゃもう毎月盛大に頭を掻きむしってたけどね。

加藤:書きたいことが溢れて困るときもあれば、どうしようと思うときもそりゃありました。「誰もが名作と言うこの本の良さがぜんぜん分からない」って。そういうときは無理やり自分に引き寄せて面白ポイントを探したり、変なところを深堀したりして、一点突破戦法で切り抜けたことも多かった。
 苦労したのは畠山さんと同じことを言わないようにすること。この1点で突破しようと思っていたことを先に書かれて困ったことは何度かあったよ。

畠山:そのセリフはそっくりそのままお返ししよう。メインの読みどころについて語りたいのは当然だから、早いもの勝ちになるのは致し方ない。100作品すべてがファンの多い有名作で、長く愛され支持されてるのには理由があるはずだから、そこを見つけようと宝探し的読書をするようになりました。結果、自分の許容枠がグッと広がった気がします。
 そうそう、苦労したのは本の入手! 名作でも市場での寿命が短いことを痛感しました。

加藤:本は「迷ったら買え」の代表選手だよね。『海外ミステリー マストリード100』は、その刊行当時に流通していた本という縛りがあって、著者の杉江さんも相当苦労したと思うんだけど、今では手にはいるのは25%くらいじゃないかな。マストリードの名作ばかりなのに。
 そういうことも含めて、印象に残っている本ってある?

畠山:あれこれ浮かんでくるのは、やっぱりこの連載で初めて読んだ本が多いかな。あ、8割くらいが未読だったんだから当たり前か。
 振り返って「出逢えてよかった!」の気持ちが一番強いのは、パーシヴァル・ワイルド『悪党どものお楽しみ』。こういう粋で真っ当で、読後のよい本はずっと手元に置いておきたい。
 ザ・達成感は、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』一択。連載という拘束力(!)がなかったら絶対読み通せなかったもの。

加藤:確かに。印象に残っているのは、この連載がなかったら読まなかったに違いない本だよね。デュ・モーリア『レベッカ』はドロッドロのメロドラマみたいな話を想像してたら全然違って面白かった。パット・マガー『七人のおば』、アイラ・レヴィン『死の接吻』なんかも読めて良かったと感謝しています。

畠山:あと勧進元のひと言が印象的だったのが、アーロン・エルキンズの『古い骨』なんですよ。「間違いなくコージーである」のお言葉に目から鱗で、コージーに対する意識が変わった一冊です。
 
加藤:カトリーヌ・アルレー『わらの女』とか、ちょっと時代が飛ぶけどハイアセン『復讐はお好き?』もメチャクチャ面白かったな。したたかだけどちょっと抜けてる女性主人公の話が好きだという自分の性癖に気付かされました。
 あと、忘れられない強烈な読書体験といえば、ケッチャム『隣の家の少女』に尽きます。あんなに精神的に追い込まれた読書は初めてだった。もう無理だと思い詰めて「どうしても最後まで読めというのならこの連載をやめたい」って畠山さんにメールしたもんね。

畠山:あの時はビックリしたなぁ。そこまでメンタルやられたの? いや待て、普通に読んじゃったアタシはどんだけ鬼畜なのよ(笑)投げ出したくなるほど読むのが辛かった作品を加藤さんはどう書くのか、興味はあったよ。わりとその本の位置づけみたいなのを俯瞰して見るタイプかな、と感じていたから。

加藤:せっかく年代順に読んでいるので、その作品が生まれた時代背景とか、流れ、必然性みたいなものに触れたいと常に思っていました。あと、科学捜査や情報技術の進化がミステリーにどう影響しているのかにも興味があったな。今の若い人はスマホが無い時代の恋人とのコミュニケーションが想像できないと思うんです。クラシックミステリーはそのデジタルネイティブ世代の鑑賞に堪えられるのか。結論をいえば、余裕で耐えられるね。

畠山:ビッグネームは映像化されてるものが多いから、それも助けになるかもね。私が時代の変遷を強く感じたのは、女性キャラの社会的立場・性格づけの変化です。筆頭はパトリシア・コーンウェル『検死官』のケイ・スカーペッタ。経済的精神的に自立した女性キャラが増えていく過程は自分のことのように嬉しかった。他方、ジョン・グリシャム『自白』では人種差別問題の解消がまだまだ遠いことを認識して、エンタメ小説から学ぶことの多さ、底力を感じました。

加藤:再読してさらに凄いと唸らされた名作も多かったね。フォーサイス『ジャッカルの日』、ルシアン・ネイハム『シャドー81』、スティーヴン・ハンター『極大射程』なんかは言わずと知れた大傑作だけど、内容を知って再読すると、序盤の起承というか、ミッション準備段階がメチャクチャ面白い。

畠山:私の魅力再発見本はキャロル・オコンネルの『クリスマスに少女は還る』かな。いわゆる「ラストの衝撃」というのは、そこに至るまでがしっかり描かれてこそなんだな、と得心が行きました。
 今の出版事情の厳しさを感じたのは、近年の作家、シリーズは未訳が多くなることですね。エレイン・ヴィエッツのデッドエンドジョブ・シリーズ、スティーヴ・ホッケンスミスの荒野のホームズシリーズは、なんとか邦訳を再開してもらいたいです。あと、ガイ・バートの実は最高傑作では!? と言われている THE DANDELION CLOCK も邦訳プリーズです!
 ああ、語りだすときりがない。

加藤:いつも感心していたのは、畠山さんが関係書籍をちゃんと読んで準備していたこと。未読のシリーズとか関連本を読んで臨む姿勢が凄いなと。根は小心者だと知っていたけど、実は真面目でもあるんだなと。

畠山:ついでに意地っ張りです。長旅でしたが「加藤さんより先にギブアップはしない」と思って粘りました。だから『隣の家の少女』の時は、加藤脱落連載終了(お経みたい)の文字がチラついて、ちょっとドキドキした (笑)
 率直に言うと、私はけっこう加藤さんを頼ってました。行き詰った時(毎回だけど)、加藤さんが面白く仕上げてくれるから大丈夫と自分を安心させたりして。二人で原稿を作り上げるのはそれなりに時間がかかるのだけれど、お互いの存在が支えであったとは思います。多分。

加藤:本当にその通りで、一人では続けられなかったかも。『隣の家の少女』の件ではご心配をお掛けしました(平身低頭)。
 僕らが完走したというより、シンジケート的には辞めさせ時を見失った感がないでもない8年半だったけど、この連載のおかげでいろいろな方に声をかけてもらい、仲良くさせてもらえたのは何よりの報酬でした。

畠山:ホントだね。「連載読んでますよ」のお声にどれほど励まされたことか。ちゅーか、我々には出来の悪い子特有の〝ほっとけなさ〟があったのかも(笑)

加藤:僕らの拙い原稿を毎月チェックしてくださったシンジケート事務局の鈴木恵さんには、どれだけ感謝してもし足りない。既にいろんなところで話題になっているけど、クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』はマストリードの超傑作ですので、全人類読みましょう。なんなら三体人やエリディアンにも読んでほしいです。

畠山:鈴木さんにアドバイスをいただくと、ややぎこちない文章が見違えるほスッキリとわかりやすくなるんですよ。言葉のプロはスゲェ! って何度も感嘆しました。
 そして連載をピリッと締める存在であり続けて下さった勧進元の杉江松恋さんに、厚く厚く御礼を申し上げます。毎度脱線だらけの薄っぺらい感想に、さぞかし頭を悩ませていらしたのではないかと思います。

加藤:そもそも我々の読み方が多少違っていても、というか多少じゃない場合が多かったけど、勧進元が最後は正してくれるという信頼感がなかったら成立しなかった連載でした。本当にお世話になりました。また豊橋へおみえになる機会があったら、是非ホッピーをご馳走させてください。

畠山:「必読!ミステリー塾」はこれにて終了となりますが、これからも読書会やオンラインイベントを通じて、皆様と本の話をたくさんしたいと思います。翻訳ミステリーを一緒に楽しんでいきましょう!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 畠山さん、加藤さん、長きにわたる連載おつかれさまでした。さまざまな読書企画が存在しますが、一冊のブックガイドを元にして、すべてを読んでみるというものは類例があまりないと思います。思いついても実際に行動に移す方はあまりないだろうということもありますが、テキストに選んでいただいたことは誠に光栄でした。

 現代ミステリーは多様化し、その全貌をとらえることは難しくなっています。どういうものがミステリーと考えられているのか、というジャンルの見取り図を書くことが評論は求められていると思います。それに対し、読者の立場から、「この評論書はこう言っていたが、読んでみたら納得した/しなかった」という答えを返していただくことは非常に重要です。答えを受け止めることで評論は深化していくからです。そうした意味でもお二人がされたことは快挙でありました。『マストリード』執筆者としては貴重な機会を頂戴したことになりますし、連載と拙著を読み比べてもらえればそこには必ず発見があるでしょう。

 何よりも、連載を楽しんでやりきっていただけたのであれば幸いです。どんな試みも、辛いだけでは意味がない。やはり楽しくなければ。連載を拝見しながら、お二人ともご自分のミステリー観を新たにされ、またそれぞれの好みを再確認されている様子が伺われました。やっぱりミステリーはおもしろいんだ、ということを百回叫んだ連載なんだと改めて思います。

 最後に。この連載継続をいちばん危惧した瞬間は、実は開始前に訪れました。お二人から挙げられた案は『魁!男塾』よろしく私が毎回「わしがミステリー塾塾長杉江松恋であーる!」と言いながら登場するというものでしたが、それを百回やるのは絶対に無理、と思って却下させてもらいました。ネタに走ると絶対読者に飽きられるので、この判断は間違ってなかったと思います。その名残が連載タイトルにもちょっぴりあるわけですが、畠山さん、加藤さん、江田島平八にしなくてよかったでしょ。

 またお会いできるようになったらミステリーを題材に楽しくお話ししましょう。お元気で。


■事務局より

この連載は今回で終了です。長らくのご愛読ありがとうございました。(鈴)

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 


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