——わたしたちには物語が必要だ

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:2014年2月にスタートした本連載、今月が最終回となりました。毎月1作品ずつ読み続けること8年半。長かったなぁと楽しかったなぁが同居する、ちょっぴりエモい気分になっています。この連載がなかったら手に取る機会がなかったであろう作家、作品のなんと多いことか! なによりですね、歳も歳だし、昨今の世間情勢もあるし、そこそこ健康でゴールを迎えられたこと自体がとても幸せなことだと感謝をしております。

 さて、それではまいりましょうか。
 杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに翻訳ミステリーを学び直す「必読!ミステリー塾」の第100回。締めくくりとなる100冊目のお題は、デイヴィッド・ゴードンの『二流小説家』です。2010年の作品で、こんなお話し。

 売れない作家ハリー・ブロックは、ミステリ、SF、ヴァンパイヤものにポルノまで、ひたすら書き飛ばして生活を維持している。長く付き合った彼女に捨てられ、家庭教師をしている女子高生には逆に手なずけられる始末。そんなある日、ハリーが別名義で相談コーナーを担当していたポルノ雑誌の愛読者だという死刑囚ダリアン・クレイから、告白本の執筆依頼が舞い込んだ。ダリアンといえば、世間を震撼させた連続殺人鬼。その告白本とあらばビッグセールスは間違いない。期待と不安を抱えて刑務所に赴いたハリーに、ダリアンはなんとも変わった条件を持ち出した——

 著者のデイヴィッド・ゴードンは1967年生まれのアメリカ人。二つの大学で文学を学んだあと、主にクリエイティブ系のさまざまな仕事に就き、2010年に本書『二流小説家』で作家デビューしました。ちなみに、本書の舞台であるニューヨーククイーンズ区は作者の出身地なのだとか。どうりで街の描写になんともいえぬ温もりがあるわけだ。また訳者青木千鶴さんのあとがきによると、本書は、ポルノ雑誌の編集部に勤めていた時に囚人から寄せられた多くの手紙に着想を得て書かれた作品なのだとか。どうりで(以下略)。
 本書はわが国で高い評価を受け、その年のミステリーランキングを総嘗めにしました。上川隆也さん主演で映画化もされましたね。その後ゴードン作品は、『ミステリーガール』『雪山の白い虎』『用心棒』『続・用心棒』と順調に邦訳されています。

 10年ぶりに再読しました、『二流小説家』。初めて読んだ時は、ミステリーとしての本筋は楽しんだものの、随所に差し込まれる作中作が全体の中でどういう役割なのかを掴み切れず、やや消化不良な読書だった思い出があります。
 そこで『海外ミステリー マストリード100』を紐解いてみますと、この作中作はハリーの心理を代弁しているものだそう。そうか……私は捻くれた深読みを試みてしまって、それがまるきり見当違いだったんだ! というわけで、肩の力を抜き、ハリーの不安感、ときどき高揚感、そんなものに寄り添う気持ちで読みなおしたら、なんということでしょう! すんなり楽しめちゃったじゃないですか!! ありがたや、プロの助言。

 ハリーって、彼女とお泊りしたのにウォーターベッドで酔っちゃったとか、一事が万事その調子で、はっきり言ってダサいんですよね。マネージャー的存在のクレア(女子高生!)に「あなたは負け犬」とズケズケと言われても、仰る通りとばかりに頭を垂れて諾々としているさまは、情けないのを通り越してこういう生き方もありじゃないかとさえ思えてしまう。クレアも元カノのジェインも、クレバーなデキる人なので、半分呆れながらも放っておけない気持ちになるんだろうなぁ。

加藤さんはこの作品は初めて読むのかな?

加藤:ついに100回かぁ。始まったときは「20回くらい続けば上等だろう」って思っていたけど、まさか完走できるとは。ここまでお付き合いいただいた皆様にはたただた感謝申し上げる次第です。

 さて、100作目となった『二流小説家』、今回初めて読みました。というか、デイヴィッド・ゴードンさん自体がはじめまして。
 いんやぁ面白かった! 2011年の年間ランキングを総嘗めにしたのも納得です。
 鳴かず飛ばずの「二流小説家」である「ぼく」に巡ってきた千載一遇の大チャンス! 全米を震え上がらせた連続猟奇殺人犯の告白本を書くことになった主人公ハリーは「ベストセラー間違いなし!」と喜んだのも束の間、いつのまにか大事件に巻き込まれる——

 聞くところによると、この本は日本では大ヒットして映画にもなったんだけど、本国アメリカではそれほどでもなかったのだそうですね。日本で映画が公開された2014年の記事が☞こちら
 アメリカではほとんど注目を浴びることなく、教師を続けているゴードンさんは、あの本が日本であんなに売れた理由が分からないと語っています。
 そう聞くと、この本を日本でヒットさせた早川書房さんの慧眼に驚くのと同時に、考えてしまいます。「どうしてこの本は日本で<のみ>売れたのか」。

 もしかして、これって翻訳の為せる技、翻訳マジックだったりしませんかね。
 本作にはストーリー上必ずしも必要でないパートが結構あります。主人公のモデルはどう考えても作者自身で、私小説っぽい要素も沢山。売れない作家の日常が描かれ、彼のミステリー論が語られたりする。さらには主人公が別名義で書いているロマンス風味のヴァンパイヤものからちょっとエロチックなSFまで作中作が登場します。でも、このプロットと直接関係のない「どうでもいい部分」が滅法面白いのが本作の特徴だと思うのです。
 一つの章が短いというのも相まって、読んでいて実に気持ちいいんですよね。

 でも、もしもこの部分が面白く感じられなかったとしたら作品の評価はガラっと変わる気がするのです。もしかして原書ではこの部分が「余分」とか「冗長」と感じるのかも。それを翻訳者の青木さんがスマートな訳文と心地よいリズムで作品の魅力に変えてしまったのではないか。それが僕の推理です。
 これが正しいかどうかは分からないけど、翻訳小説を読むことの喜びを感じられる、そんな楽しい読書でございました。

畠山:「どうでもいい部分が滅法面白い」のは私も同感。加えて、主人公の自己肯定感の低さと内面の饒舌さが、昨年の話題作『台北プライベートアイ』(翻訳ミステリー大賞受賞おめでとうございます!!)と通ずるものがあるなぁと思って読んでいました。

 ハリーが書いた小説は、虚心に読むと本当に惹きつけられるんです。単独で、最初から最後まで読ませてほしい。三文小説なのかもしれないけど、それを面白がって何が悪い! その証拠に、作中にはハリーの物語の世界に魅せられた人々が出てきます。密やかな興奮、安息、慰め……ストレスフルな日常を離れて、虚構の世界に身を委ねる悦びを求める人たち。まるで自分の姿を見るようですよ。
 なんのために本を読むのか、なぜ書かずにいられないのか、そんなことを取り留めなく語るハリー。彼の言葉に何度も頷きました。物語を求める気持ちは永遠なのだ!

 誤解があっちゃいけませんが、まずなによりもミステリー小説として抜群に面白いのですよ。ハリーはダリアンにファンレター(!)を送っていた3人の女性を訪問します。それぞれなにがしかの秘密を抱えていて、世間では見せない裏の顔がある。痛々しかったり、醜悪だったりする姿に閉口するハリーですが、やがて凄惨な殺人に巻き込まれていきます。これがまた、拍手したくなるほどムダに残酷。その手口が獄中のダリアンの犯行と酷似しているのは何故か、ハリーをつけ狙い、時に命を脅かそうとまでしているのは誰か。散りばめられた小さな疑問の答えが、ちょいと捻りを加えながらひとつ、またひとつと明らかになっていくクライマックスからラストは満足感でいっぱいでした。ハリー! やればできるじゃん!

 さらに小憎らしいのは、ハリー自身がその語りの中で、本書自体にいくらかの欺瞞が含まれていることを示唆しているんですね。妙に引っかかるハリーの物言いを心の隅に留めながら読み進めるのですが、怒涛の展開にすっかり夢中になり、細かいことはどこかに吹っ飛んでしまう。やがて事件は解決、関係者のその後も説明され、ああスッキリした……と思ったところで、最後のパラグラフで「はい?」と声が出ました。慌てて心の隅に置いていたあれやこれやを引っ張り出しながら、しばし沈思黙考。うーん、なんか作者に弄ばれてる気がするゾ。たまんないなぁ、もう。

 デイヴィッド・ゴードンと初対面だった加藤さんには、『用心棒』をおススメしたいな。サービス精神旺盛な感じで面白かったよ。ちなみに前述のような企み(?)はなくて、さっぱりと楽しめるタイプの小説だと思う。けっこう引き出しの広い人だよね、ゴードンさん。

加藤:最後のパラグラフ? なるほど、読み返してみるとなんだか意味深だけど、何も思い当たることはないなあ。お勧めの『用心棒』は何も考えずに楽しめる系みたいなので、そちらも楽しみにしています。

『二流小説家』を読んでいてつくづく思ったのは、いかにもアメリカって話だよなーってこと。銃規制は遅々として進まないし、中絶禁止とかナニ言ってんの? と、いろいろ問題も目に付くけれど、やはり多様性と自由を体現している憧れの国。そんなアメリカを舞台としたミステリーでいつも不思議に思うのが、事件が報じられると「犯人を知っている」と「自分がやった」という電話が警察に殺到して捜査が混乱するというお約束の流れ。日本では想像できないけど、いろんな作品に登場するところを見ると本当なのでしょうね。
 さらに本作では、獄中の連続猟奇殺人犯ダリアン・クレイに若い女性からの熱狂的なラブレターが大量に届くというのが物語の土台になっていたりします。病んでいるというのか自由というのか。自身の欲求に素直という意味ではそれはそれで健全といえるのかも。
 この世界には想像もできない現実や、理解できない価値観が存在するって思い知らされます。当たり前だけど世界は広い。やっぱり翻訳ミステリーって面白い。

 また、この作品は、創作に携わる人と、読書沼に足を踏み込んだ読者、本を愛する全ての人へのエールみたいなものが根底にあって、読んでいてちょっと暖かい気持ちになるんですよね。作り手にとって自分の創作物の価値が実感できなくても、それを大事に思う読者が必ずいる。読書を趣味とする人は、誰もが本に救われた経験がありますもんね。そして、読者のそんな思いもきっと作り手に伝わるに違いない、そう思わせてくる話でもありました。
 そう思えば、本作はゴールの100冊目に相応しいと言えるかも知れません。相当エグい猟奇殺人事件を描いたミステリなんですけどね。

 そんなこんなで足掛け8年、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』に収められた名作たちを月一で読む「必読!ミステリー塾」にお付き合いくださり、ありがとうございました。長い目と広い心でいろいろ見逃してくださった翻訳ミステリー読者の皆様とシンジケートの方々、そして勧進元には御礼の言葉もありません。
 また皆でリアルで会ってお話ができる日が来ることを心から祈っています。これからも一緒に翻訳ミステリーを楽しみましょう!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 マストリード100冊の掉尾を飾る作品は、現代に接続するものを選びたいと考えておりました。現代ミステリーは多様化し、進化の方向性は一様ではありません。これまで見てきたように「本格」「サスペンス」「冒険」「ハードボイルド」といった便宜的なサブジャンルは本質をついているとはいえず、それのみに頼った読みは、非常に窮屈なものになっています。第一にすべきことは、他のジャンル/非ジャンル小説と同じように小説の中に何が書かれているかを読み取ること。小説内の要素は単なる羅列ではなく、なんらかの構造を備えているはずです。その全体をも踏まえて解釈することが何よりも大事でしょう。もしそれが十全にできるのであれば、さらに広げて作品外にも目を向けてみる。作品が書かれた背景、そうした構造はいかなる先行作の蓄積の上に成り立っているのかという時間軸への目配り、ミステリーは作者と読者の間で行われるゲームでもありますから、盤面の向こう側にいる対戦者の意図を推察するということも可能になります。いくらでも広く、深く読むことがミステリー小説にはできるのです。

 おもしろいことに、ミステリーとしての可能性を追求していけばいくほど、それは小説としての可能性に重なっていくように私には感じられました。ジャンル小説としての技巧を追求することが、逆にジャンルの垣根を取り払うことになる。その逆説的なありようが、いかにも謎解きと論理の逆転を軸とするこのジャンルらしく、おもしろいではありませんか。一つには、ミステリーが今や拡散し、一般文芸に吸収されてそれを支える要素として確立されているからではないかと思います。ミステリー読書は決して内へ内へと向かうものではなく、隣接領域への越境、あるいは無関係に見える新たな慾沃野へと人を誘うものだと私は考えています。

 最後の一冊として選んだ『二流小説家』は、当時の話題作であったと同時に、ミステリーというジャンルの中にさまざまな方向へと芽吹くであろう種子が眠っていることを示す作品でもあります。ゴードン作品は後にストレンジ・フィクションを多く収めた一般小説集『雪山の白い虎』が翻訳され、この作家に複層的な内面があることが証明されました。おもしろいことに本作は後に、日本で日本の俳優を用いて映画化されています。翻訳小説はとっつきにくい、という読者が一定数いることは事実ですが、そうした方にとってもおもしろいものはおもしろいのだという証明に、この映画化は一役買ったのではないでしょうか。申し添えておくと来日したゴードンは非常に気のいい、そして物語が好きな文学&映画青年で、彼との交流は非常に楽しいものでした。どこの文化圏もおもしろいものを書く人間はいる。それをおもしろがる読者はいる。そういうことなんでしょうね。

この長い連載を完走された畠山さん、加藤さん、改めてお疲れさまでした。また、私の著書をテキストに使っていただいたことをお礼申し上げます。今度は、お二人がまったく新たなマストリード100を選定して、二人でそれを読む連載なんてどうでしょうね。どうぞいつまでも楽しい翻訳ミステリー読書を。

 

 

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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