—— 赤毛の兄弟、またはステットソンとリーバイスをまとったホームズ&ワトソン

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:驚きましたね、トンガの火山噴火。津波や火山灰の被害はどれほどなのか、とても心配です。3年前のラグビーW杯でトンガのとイングランドの試合を観戦した記憶が新しく、彼らやご家族のことが隣人のように思えます。トンガにたくさんの支援がなされ、住民の暮らしが一日も早く再建されますように。
 
 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に読みながら翻訳ミステリーを学び直す「必読!ミステリー塾」は今回が94回目。こお題はスティーヴ・ホッケンスミス著『荒野のホームズ』です。2006年の作品。

 西部にいたら避けられないものが二つある。砂ぼこりと死だ。
 大嵐の翌朝、おれ、オットー・アムリングマイヤー(通称ビッグ・レッド)と兄貴のグスタフ(通称オールド・レッド)は、とんでもない代物を見つけちまった。それは牛にさんざん踏み倒されたあげく、コヨーテに食い荒らされた死体だったんだ。シャーロック・ホームズに心酔しきってる兄貴は、どうやらその死体に不審な点があることに気づいたようだ。周りのやつらはカウボーイごときに探偵の真似事などできるもんかと兄貴を笑うが、おれは、まぁちょっとは信じてる。兄貴の頭は恐ろしく切れるんだ。

 作者のスティーヴ・ホッケンスミスは1968年生まれのアメリカ人。日暮雅通さんの訳者あとがきによると、ポップカルチャーと映画産業でジャーナリストをしたあと、1999年からミステリを書き始め、アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジンやエラリィ・クイーンズ・ミステリ・マガジンの常連となりました。短編作家としてのキャリアが長いんですね。荒野のホームズ・シリーズも最初は短編でした。
 2006年に初長編となる『荒野のホームズ』を発表し、シリーズは現在6作まで書かれています。長編では他に『高慢と偏見とゾンビ』の前日譚と続編(なにそれ!? めっちゃ気になる!)、タロットミステリー・シリーズなるものがあるようです。

 さてさて『荒野のホームズ』です。このミステリー塾ももう94回目になるというのに、未だに「作者も作品名も全然知らんかった」ものにぶち当たる未熟者です。加えてわたくし、翻訳ミステリー読書会の世話人という立場でありながらシャーロック・ホームズに不熱心でして……ほんとすんません。そんな私がホームズのパスティーシュ、しかも舞台を1890年代後半のモンタナというバリバリのカウボーイの世界にしたものを、いかほど堪能できるものだろうかと少々不安だったのですが、まったく杞憂でした。抜群に面白い!!

 寡黙で思慮深い兄と、気のいい大男の弟。疫病や災害で他の家族を全て亡くし、頼れるのはお互いのみとなった二人は、カウボーイを生業として各地を転々としながら暮らしています。普段は口喧嘩ばかりしているけれど、大事なことは眉の上げ下げ具合でバッチリわかる……ってなんかもうそれだけでニマニマが止まらない。
 教育を受けられなかったグスタフは読み書きができません。でもある日、弟が読んでくれた『赤毛同盟』に衝撃を受け、シャーロック・ホームズに憧れを抱き、自分もそうなりたいと強く望むようになりました。必然的に、弟はワトソン代行(笑)
 本家本元に負けない萌えを感じさせる二人についてはこちらもどうぞ。なんと「読んで、腐って、萌えつきて」の輝ける第1回! 

 そういえば、パスティーシュって言葉を初めて知ったのは清水義範さんの作品でしたね。「インパクトの瞬間」を読んで大興奮したっけ。恥を忍んで告白すると、パスティーシュとパロディとオマージュと二次創作って、ふんわり使い分けていて、明確な定義の違いがよくわかっていません。加藤さんも多分そんなレベルだと思うけど。

 

加藤:最初のトンガ人留学生のノフォムリとポポイが大東文化大学に来たのは、「そろばんの習得」が目的だったそうですね(→こちら)。ラグビー部に入ったのは日本の生活に慣れさせるためで、ポポイにいたってはラグビー経験がほぼなかったとか。その2人がやがてラグビー日本代表(外国人として初)となり、数年後に大東文化大ラグビー部は明治や早稲田を破って大学日本一になろうとは、誰も想像も期待もしていなかったのだから面白い。豪快なプレーとシャイな人柄で日本人から愛されるトンガ出身選手たちは、今や日本のラグビーに欠かせない存在となりました。一日も早い事態の収束と復興を心から願わずにはいられません。

 それにしても、面白かった『荒野のホームズ』! 「ホームズのパスティーシュ」と聞いていたのに、ホームズもワトソンも登場しないことにまず驚きました。19世紀末のアメリカ西部を舞台にした痛快エンターテイメント。ガチな謎解きも楽しめる本格ミステリーでもありました(たぶん)。パスティーシュって、既存の人気キャラクターの話を他の作家が書いたものだと思っていたけど、そうとは限らないのですね。
 畠山さんと同じレベルだと認めるのも悔しいけど、僕もパスティーシュとオマージュと納屋橋まんじゅうの違いもわからない。オリジナルに対する向き合い方とリスペクトの度合いということでいいのかな?

 実はこの本、今回が初読でしたが長い間のいわゆる積読でした。その昔、某総合格闘系保育士から「絶対に面白いから読んで欲しい」と渡されたものの、「本家のホームズもロクに読んでないのにパスティーシュが楽しめるワケないだろ!」と長い間ほったらかしにしておりました。10年以上経ってしまったけど謝ります。確かに面白かった。それもビックリするくらい。

 なんてたって、主人公であるアムリングマイヤー兄弟の兄の方、オールド・レッドことグスタフがいい。読み書きはできないけど、物静かで頼りになり、論理的思考と観察眼は天下一品。子どものようにシャーロック・ホームズに憧れているところがまあ可愛い。
 ちなみに本作の舞台である1890年代後半のアメリカは、ちょうど西部開拓時代が終わりを告げた頃。インディアンは襲ってこないし、酒場で流れ者同士の銃による決闘もありません。食い詰めたカウボーイたちは巨大資本が経営する牧場の日雇い仕事で糊口を凌ぐ。でも、フロンティア精神はまだ健在で、あの自由闊達さと殺伐とした雰囲気も色濃く残る良い時代。
 そういえば畠山さんって、いかにも西部劇とか好きそうだよね。

 

畠山:ジュリアーノ・ジェンマにボーっとなってた高校生でしたがなにか?
 それはさておき、確かに本作のカウボーイたちは西部劇の派手なイメージとは正反対ですよね。実際の彼らの仕事はかなり過酷で、きつい・汚い・危険の3Kど真ん中。しかもみんな流れ者なのでそれなりに荒んでるし、もちろん品もない。そんな彼らの鼻の曲がりそうな生活臭が感じられる描写もよかった。
そういえばゴールデングローヴ賞受賞で話題の映画《パワー・オブ・ザ・ドッグ》は、1900年前後のモンタナの牧場、切れ者の兄と凡庸な弟、主演のカンバーバッチはシャーロックつながりと、『荒野のホームズ』の世界を想像する材料がバッチリ揃っています。ちなみにこちらは原作を読んでから観るのをお勧めしますね。小説のラストはミステリファンも唸りますよ!

 アムリングマイヤー兄弟はそんな荒くれの世界に身を置いていながらも、真っ当な正義感と真面目さとユーモア、そして知性を持っています。きっと貧しくても愛情のある家庭、生真面目な親の元で育ったんだろうなぁ(ドイツ系だし!)。
 特にオットーのゆるふわ感は大変よろしい。彼は家族の後押しで自分だけが教育を受けられたことへの感謝を忘れず、兄のおかげで今の自分があることもよくわかっています。へらず口を叩いていても兄への揺るぎない信頼があることは行間からダダ漏れてるし、グスタフもシャープな嫌味を放ちつつ弟が可愛くてしかたない様子がはっきりわかる。兄弟萌えの白眉は、鼻持ちならない貴族とその腰ぎんちゃくが兄の無学ぶりを嘲笑するシーンでした。しばき倒したい気持ちをグッとこらえて言葉でやり返すオットー。絶対ドヤな顔してるのがありありと想像できます。嗚呼、ぜひともドラマ化していただきたい!!

『荒野のホームズ』ではホームズとワトソンは実在の人物となっています。事件が起こる牧場のオーナー一族も浅からぬ因縁があるらしい。ここがミソですね。大のオトナが架空のヒーローに憧れるのではちょっと無理がありますが、実在する人ならば理解できます。むしろ物語がピリッと締まって興奮度が上がりました。
 ホームズの教えに従い、地面に這いつくばって証拠を探し出そうとするグスタフの姿、さまざまなピースが頭の中でピタリと嵌っていく時のどこか心ここにあらずなグスタフの目。まさに “シャーロックしてる”のです。こういう言葉が実際に訳文として使われていて、古い時代のお話でも現代的なノリで楽しめる大きな要素であります。この辺については日暮さんが、当サイトの「会心の訳文」でチラリと触れていらっしゃるのでぜひご一読を。

 シャーロック・ホームズの作品タイトルやセリフがあちこちに散りばめられ、あのキャラクターに似せたのかな? と思わせる人物もいて、ホームズファンはきっと嬉しくなるでしょう。基礎知識がなくても心配いりません。置いてけぼりになったりはしませんから。むしろ、グスタフがそこまでいうなら読んでみようかホームズ、と思ってしまう。加藤さんの言う「オリジナルへのリスペクト」をたっぷり感じられる作品でした。ちなみに西部劇に興味がなくてもやっぱり楽しめるのでご安心を。
 余勢を駆って読んだ『荒野のホームズ、西へ行く』は鉄道ミステリに冒険小説の要素も加わって、さらにパワーアップ。スリルと爆笑のトロッコのシーン、キュンキュンが止まらない兄弟愛……読みながら口元が震えちゃって、家で読んでてよかったと心から思いました。

 どうやら加藤さんは兄貴推しで私は弟推し。さて、みなさんはどちらでしょうか?
 それにしてもですね、こんな愉快なシリーズなのに邦訳が途絶えているというのが解せません。これは読者にとって大損失だと思わない?加藤さん。

 

加藤:確かに。こんなに面白いのに続きが読めないのはあまりに残念。でも、考えてみると、パスティーシュって売る側からするとなかなか難しいところがあるのかも知れないですね。
 まずタイトルからして、僕らのようにホームズに関心の無い人の手に取らせにくい。でも、逆にコアなファンは読むこと自体を身構えてしまう気もするのです。
 実は僕もパスティーシュってちょっと苦手意識があったりします。というのも、僕も今まで随分読んできたんですよ、フィリップ・マーロウもののパスティーシュを。ロバート・B・パーカーやロジャー・L・サイモンから、ジョン・バンヴィル(ベンジャミン・ブラック)、大藪春彦まで。近頃では田口さんが訳された72歳のマーロウが主人公の『ただの眠りを』とか。ぶっちゃけ、面白いものもあるし、よく出来てると思うものもあったけど、いつもどこか付きまとう「コレジャナイ」感。
 マーロウでこれなんだから、数がケタ違いのホームズ・パスティーシュの玉石混交ぶりに、シャーロキアンの皆さんは相当ウンザリしているのではと推察申し上げる次第なのです。

 そうそう、ホームズのパスティーシュといえば、名古屋読書会では世界三大エーコの一人、柿沼瑛子さんをお迎えして『わが愛しのホームズ』で読書会をやりました。「ちえさん」によるレポートはこちら。タイトル通り、ワトソン博士のホームズに対する友愛の情がちょっとアレしてこうなって、実はホームズもまんざらではみたいな妄想系のパスティーシュ。オリジナルへの深い愛と理解をひしひしと感じながらも、楽しめないという人がいるのも分かります。
 
 でも、本作『荒野のホームズ』の凄いところは、きっとコアなシャーロキアンも抵抗なく読め、そうでない人も楽しめるエンターテイメントであり、ミステリーであることだと思うのです。
 オーケー、パスティーシュであることは一回忘れよう。
 最後の西部開拓時代を舞台に魅力的なキャラクターが動き回る、謎が謎を呼ぶ本格ミステリー(たぶん)。シャーロック・ホームズは名前を知っているという程度でも楽しめるのは、僕と畠山さんが証明済み。ね、読みたくなったでしょ。なに? そんな証明クソの役にも立たないって? 失礼なこと言うな! クソの役くらいには立つだろ!  ところでクソの役って(それはまた別のお話)。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 ミステリーの歴史は長く、その中には脇筋ではあるものの無視できない流れがいくつも存在します。最たるものがシャーロック・ホームズ・パスティーシュでしょう。サー・アーサー・コナン・ドイルがこの名探偵を創造したことは、ミステリー史において実に画期的な事件でした。謎解きを探偵という人格が代表して行うという小説のシステムはホームズ以前にも存在しましたが、様式を完成させたのは間違いなくドイルによる連作です。ホームズのライバルたちが多数出現したことで短篇小説の市場は一気に活気づき、さまざまなバリエーションが生み出されました。ホームズ譚には「赤毛連盟」のように、後に作品の題名自体がプロットの代名詞として用いられることになる作品がいくつも存在します。ホームズを一つのモデルケースとして、彼が行ったこと、行わなかったことを別の名探偵に実践させるという形で、短篇ミステリーは多様化していったのでした。この連作がいかに偉大であったかは、ホームズ譚の新作がまだ発表されている時期からパスティーシュやパロデイが創作され始めていたことからもわかります。この名探偵のもじりキャラクターは枚挙に暇がないほど存在しますが、そうしたパロディの中にはロバート・L・フィッシュのシュロック・ホームズものなどの秀作も数多く存在します。パロディではありながら、ミステリー史の発展に大きく寄与した作品群なのです。ホッケンスミスの『荒野のホームズ』シリーズもその系譜に連なるものと言えます。

 ホームズ・パスティーシュが重要であるのは、虚構と現実の接点がそこに含まれているからでもあります。多くのパスティーシュではワトスン博士の未発表原稿が発見されたという体で名探偵の新冒険が描かれます。どのようにすれば虚構をこの現実内に布置することが可能になるか。エドガー・アラン・ポーが現実の事件から着想を得てオーギュスト・デュパンものを書いたように、このジャンルは元から現実と完全に離れた場所ではなく、どこかに接点を求める形で土台を構築してきました。ホームズ・パスティーシュの出現は、そうした現実と地続きのところにある虚構という性格をより強く意識させることになったのです。ジョン・ディクスン・カーが『三つの棺』において、作中人物としての自意識を主人公に語らせたことは有名ですが、その原点はホームズ譚にあったように思います。カーは、自身が熱心なシャーロキアンでもありました。ホッケンスミスの連作は、主人公が雑誌掲載されたホームズ譚の熱心な読者でもあるという形で現実との接点を作っています。このバリエーションはわが国における三津田信三の刀城言哉ものなどを連想させて非常に興味深いものがあります。

『荒野のホームズ』はまた、西部小説というミステリーのもう一つの母胎に接続する作品でもあります。小鷹信光が『ハードボイルド・アメリカ』などの著作で詳述したように、パルプマガジンを主な掲載媒体として発展したアメリカのミステリーは、その他の読物、西部小説やSFなどのヒーロー譚の兄弟でもありました。未開の地や宇宙で活躍していたヒーローたちの中から都会で犯罪者を狩る探偵というキャラクターが分化・成長していったのがパルプマガジン時代のアメリカ・ミステリーでした。その時代への先祖返りも『荒野のホームズ』は果たしているのです。なんとも奥行き深い連作で、できれば短篇群が一冊にまとめられるといいのですが。

 さて、次はセバスチャン・フィツェック『ラジオ・キラー』ですね。これまた楽しみにしております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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