——何もかもが思い通りにいかない日って確かにあるけど
全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。
「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)
「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)
今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!
加藤:早いものでもう3月。梅は咲き、桜の蕾も膨らみ始める季節なのに、何だか気分は浮きません。平和の得がたさ、事が起きてから気付くその大切さに思いをいたすこの頃です。
ならば今こそ、全人類にアンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んで欲しい。世界が信じあい、力を合わせれば、きっとどんな困難でも乗り越えられる。絵空事と言うなかれ。これ以上何も言えないのが超もどかしいけど、ひたすら愛と希望に満ち溢れた物語。SFですがミステリー読者との相性も抜群(<自信アリ)、おススメです。
さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に読みながら翻訳ミステリーを学び直す「必読!ミステリー塾」の第95回はセバスチャン・フィツェック著『ラジオ・キラー』。この連載初のジャーマン・ミステリーで、2007年の作品です。こんなお話し。
犯罪心理学者のイーラは自殺しようと決めた朝、服毒のためのコーラ・ライト・レモンを買うために訪れた店で事件に巻き込まれ、そのまま連れて行かれたのはベルリンのラジオ局だった。そこで起きている人質立てこもり事件現場に交渉人として駆り出されたのだ。長女の自殺から立ち直れず、無気力に生きる彼女はアルコールで混濁した意識のまま交渉に臨む。スタジオを占拠した犯人はその交渉の一部始終を放送することを求め、さらにリスナーと人質たちを巻き込んだ公開殺人ゲームが開始されるが……。
うーん、凄い話でした。この本を読んだ後は暫く静かに暮らしたいと思ったもん。最初から最後までトラップとギミックだらけ、ハプニングとサプライズが次から次へと襲い掛かってくる系のとにかく心臓の休まる暇がないサスペンスでした。
一体どんなテンションで書いたのかと不思議になるこの本の作者は、ドイツ人のセバスチャン・フィツェック。ベルリン在住の1971年生まれだそうです。テレビやラジオ局で働きながら2006年に『治療島』で作家デビュー。この本がドイツのみならず世界で大ヒットし、一躍ベストセラー作家となりました。本作『ラジオ・キラー』はそのセバスチャンにとって勝負の2作目。見事、本作でも高い評価を得たのでした。
最近では文藝春秋から出た『乗客ナンバー23の消失』や『座席ナンバー7Aの恐怖』が酒寄進一さんの訳でランキングを賑わせたのは記憶に新しいところです。
先に書いた通り『ラジオ・キラー』は、とにかく忙しいというか目まぐるしい話でありました。先の展開が少しも読めないのはもちろん、登場人物にも安心して見ていられる、感情移入できそうな人間は誰もいない。一人残らず暑苦しくってクセがすごい。誰が何を考えていてどう動くのか、予想もできないから読んでいて気が抜けないのです。むしろ犯人の行動が一貫していて分かりやすく、もしかして一番マトモなんじゃないかと思えてくるという。
今回はつくづく思いましたよ、ああオレも歳をとったなって。こういう話は、昔はもっとウヒャウヒャいいながら夢中になって読んだに違いないって。脳みその回転も目が字を追うスピードも、物語の展開に十分に追いつけていない気がして悔しかった。
畠山さんはこのガチャガチャ感を楽しめたかな?
畠山:早いものでもう3月。南からもたらされる梅と桜の話題は、ドカ雪で疲労困憊の北の住人にとって、微かだけれど確かな希望の灯です。お花がきれいで、空がきれいで、おやつが美味しかったら人生上々。そんな喜びを世界中の隣人たちと分かち合いたいものです。今、不安と混乱の中にいる人々が一日も早く救われますように。
人を殺したり傷つけたりというのはフィクションに任せておくに限ります。今日のお題は、人質をとった立て籠もり、公開殺人ゲーム、組織の陰謀などが万華鏡のごとくグルグル回転するエキサイティングな一冊。
私にしては珍しく(?)『ラジオ・キラー』と『治療島』は発売されてすぐに読んでいました。あまりの面白さに休日をすべて読書に捧げた記憶があります。というわけで、十数年ぶりの再読だったのですが、いやもう、ビールを樽ごと一気飲みするかのごとき読書感覚でした。読み終わったら絶対「ぷはーーっ!」ってしたくなりますよ!(<下戸ですが何か?)
帯にある「ノンストップ・サイコスリラー」の惹句はダテじゃないです。息つくヒマはありません。予想もしない方向に突き飛ばされ、有無を言わさず引きずられ、横に回されながら縦にも回されいてるまさに “とりぷるこーくふぉーてぃーんふぉーてぃー!” 状態でございます。加藤さんから泣き言がでるとは意外でしたが、確かに体力がいるかもしれません、この作品。
なんといっても犯罪心理学者で警察の交渉人イーラがたまらなくカッコいい。長女の死に責任を感じてアルコールに溺れた彼女。いよいよ自殺を決意したその日に、あれよあれよで事件現場に駆り出され、無理やり犯人との交渉テーブルにつかされます。ところが肝心の警察本部長は超非協力的だし、交渉の過程で自分のプライベートをラジオで公開懺悔するハメになるし、なんの偶然か没交渉だった次女も事件に巻き込まれるし、そんなこんなのうちに酒は切れてくるしという、これ以上ないくらいの災厄まみれとなります。
何度もブチ切れ、なぜアサイチで死ねなかったのかと嘆くのですが、プロフェッショナルとしての思考、勘の冴えは鈍らないんですね。しかも死ぬつもりだったので失うものがないせいか、立場が上の人にも怒りをストレートにぶつけるのが気持ちいい。犯人の指示で下着姿になった時、せめて脇の処理をしておけばよかったとそっと後悔するところは同じ女性としてめちゃくちゃ共感したなぁ(笑)
交渉人といえば、サミュエル・L・ジャクソンとケビン・スペイシーの映画《交渉人》が筆頭で浮かびます。それから「踊る大捜査線」の真下正義、漫画なら「MASTERキートン」に「勇午」……どれをとっても頭脳と度胸がものを言う息詰まる心理戦が魅力ですよね。クールでクレバーなイメージでしょうか。イーラ・ザミーンにはそこに “捨て身のガッツ” という要素が加わっていてひと味違いますね。
フィツェックさん、この「交渉人」にこだわりがあるのか、その後『アイ・コレクター』でも元警察の交渉人という男性を主人公にしています。ちなみにこの作品、逆行ミステリーです。そう、エピローグで始まってプロローグで終わるというアレですよ。ジェフリー・ディーヴァーの『オクトーバー・リスト』が記憶に新しいですが、なんと10年以上前にもうこの手法を用いてたんですね。素直に脱帽。
加藤:交渉人といえば、今年はあさま山荘事件から50年目の年なんですってね。50年前の2月の終わり、軽井沢の山深いあさま山荘では、人質を取って立てこもる連合赤軍に対して、警察による懸命の交渉が昼夜続いていたのです。
警察や犯人の身内たちによる説得から銃撃戦、そして有名な鉄球での山荘破壊までテレビで中継され、突入決行日である2月28日のテレビの総視聴率はなんと約90%。まさに日本中が固唾を呑んで見守っていたのですね。さて、そこで気になるのが「そのときテレ東(当時は東京12チャンネル)は何を流していたか」。安心してください。ちゃんと通常番組を流していたそうですよ。
畠山さんも書いている通り、交渉人って、さぞやメンタル削られる仕事だと思うのです。それを全国民が一言も漏らすまいと聞いているのならなおのこと。犯人との人間関係を築くために、自分や家族の忌まわしい過去を問われるままに話すイーラ。ついさっきまで自殺するつもりでいた自分を何とか奮い立たせるイーラには、同情という言葉が陳腐に感じる違う感情が沸いてくる。何もかも思い通りにいかない日って確かにあるけど、これはさすがに可哀そう。代わりに言ってあげたい。「なんて日だ!」
とにかくトラップとギミックがあちこちに仕込まれていて、でも読んでいればそういう話だと分かってくるので身構えてはいるんです。それでも何度も、世界の見え方がガラッと変わるポイントがやってくる。こういうひっくり返る快感とその仕掛けを楽しむ話は世にアマタあれど、『ラジオ・キラー』はそれをとことん煮詰めて出来た濃いエキスという感じ。もうほとんど変態の域だと言っていいでしょう。
そうそう、そういえばひとつ気になっていたことがあったんだった。この本の紹介文「ノンストップ・サイコスリラー」ってどうなんだろう。ノンストップはその通りなんだけど、「サイコスリラー」って、僕が思っていたものと違うというか。
この連載が始まって8年が経つのですが、実はまだスリラーとサスペンスの違いがよく分かっていないっていうのは、ここだけの話にしといてください。この8年に何度も意味を検索した記憶があるんだけど、結局ぼくの脳に定着しませんでした。
思うに、僕の世代は「スリラー」と言われると赤い皮ジャケットを着た狼男のマイケル・ジャクソンが頭に浮かび、「サスペンス」と言われるとトレンチコートを着た渡瀬恒彦や船越英一郎が頭に浮かぶんじゃないかと。なので、ザックリ「スリラー」=「怖いやつ」、「サスペンス」=「騙すやつ」と刷り込まれている気がするのです。あと、そもそも全然サイコパスっぽい話じゃない気もするし。
考えたら、今でも読書会で「で、本格ってなんだっけ?」ってよく聞くし、フーダニットとかサマーニットとかもよく分からない。翻訳ミステリー名古屋読書会が始まって10年あまり、この連載が約8年。我々はこんなことでいいのか畠山くん。
畠山:自慢するのもなんですが、この歳まで大抵のことを有耶無耶にして生きてきたわけで、ここまできたら残り僅かの人生もこの調子で誤魔化してしまおうと企んでいます。逃げ切り班、メンバー募集中です。
とはいえ、確かに本書に「サイコ」な成分はあまりないかも。最初は犯人が精神病質的な雰囲気をだしているのですが、加藤さんも言うようにだんだん「一番マトモ」に思えてくる。ま、それだけ事件が奇々怪々な様相を呈してくるということです。
無理筋すぎる立て籠もり犯の要求、人質の安否、一枚岩ではない警察組織、殺人、悪事に手を染めてるっぽい偉い人などなど、気になることがいっぱいあるのですが、どれもこれも見た目どおりではなく、真相を知ると思わず「はぁ?」と声が出る。なんだか自分がブラフをかまされたポーカー初心者のように思えてカチンときまして(笑)、このままじゃ済まされないぞー! と猛然とページを捲ってはまた驚かされるの繰り返し。悔しいけど楽しい。なにもかも忘れて没頭する読書に最適です。
トリッキーな筋立てに加えて、キャラクターの多面性がお話をより複雑により刺激的にしています。超変わり者だけど意外に真面目で役に立つアノ人、いかにもちゃんとしてるのに実はダメ人間なアイツ、心配させておきながらサクッと裏切る彼ら彼女ら…最後の最後まで信頼に足る人物を見極められません。
そんな混沌の中でずっと案じるのは、断絶していたいイーラと次女が分かり合えるのか否かです。台風の目のど真ん中で、迷いながらも勇気を持って次の一歩を踏み出そうとする二人の姿を祈るような気持ちで見つめ続けました。
ジェットコースターのような読書体験なので、読み終えた直後は頭がクラクラしますが、時間が経って冷静に振り返ると、不幸になる人が最低限に抑えられたかなり優しい設計のお話であったことに心温まりました。優しい人なのかな、フィツェックさん。
そんなこんなですっかりフィツェック熱に取りつかれ、『治療島』『前世療法』『サイコブレイカー』とぶっ続けで堪能。サイコ成分をお望みの方にはこちらの三作をぜひどうぞ。何が起きてるのかまったくわからない不思議な世界に閉じ込められた感覚のまま、怒涛のごとくラストまで引っ張られて下さい。『ラジオ・キラー』と同じく、子を失った親の心の傷が共通テーマとして描かれています。病んだ精神に感化されそうな怖さと、誰も何も信じられない不安感に襲われるような読書体験ですが、最後にちょっとハートウォームにさせるところがニクいんですよ。『海外ミステリー マストリード100』で勧進元も仰っていますが、この三作はできれば順にお読みになるのがよいでしょう。少なくとも『サイコブレイカー』は『治療島』を読んでからの方がより味わい深いと思われます。まさに“読みだしたら止まらない”ので、休日に、すべての家事を放棄して、読み耽って下さい(笑)
さてさて、今年も翻訳ミステリー読者賞を盛り上げていきたいと思います。「これが面白かったー!大好きだーー!」とめいっぱいの声を、投票の形で聞かせてください。みんなでイチオシ作品を教え合って、読みたい本をどどーんと増やしましょうね!
■勧進元・杉江松恋からひとこと
スリラーとサスペンスは、なんとなく気分で使い分けられているだけで、定義はない、というのが本当のところだと思います。基本的にスリラー、サスペンスと呼ばれているもの、そして冒険小説の多くはthrillerとして売られており、suspenseと銘打たれることはないはずです。たとえばリーガル・サスペンスというものはなくリーガル・スリラーが正しい。ただ、thrill(ぞくぞくさせる感覚。恐怖)、suspense(宙吊りになった状態。不安)という評語は間違いなく存在するので、それがジャンルを表す言葉として日本では定着したのでしょう。私自身はよほどのことがない限り、ジャンル名としてのサスペンスは使わないことにしています。
さて、『マストリード』も残り少なくなってきたところで、英語圏以外の作品に言及する必要が出てきました。ほとんど英米、ときどきフランスというのが翻訳ミステリーの受容史だったのですが、21世紀に入るあたりからその状況に変化が見えてきました。きっかけは、英米作品の影響を受けて北欧圏で書かれたミステリーが世界的に評価され始めたことだと思われます。ミステリー、スリラーは一段落ちる小説だと思われてきたヨーロッパ諸国でも、そうした作品を積極的に出版、評価する動きが生じました。中でもドイツ語圏での盛り上がりは目覚ましく、酒寄進一氏を中心とする翻訳者が奮闘したこともあって、日本でも多くのドイツ・ミステリーが読まれるようになりました。また後日、フェルディナント・フォン・シーラッハ『犯罪』の項にて触れることになるでしょう。
シーラッハよりも早くフィツェックは翻訳されていました。ミステリー読者にとっては若干知名度の低い版元から出ていたこともあって知る人ぞ知る作家という扱いでしたが、ドイツ・ミステリーの盛り上がりによって作品に陽の目が当たることになりました。彼の作品には執拗な回収欲とでも言いたくなる構成美を感じます。作品内には多くの伏線が振り撒かれており、最終的にはそれらを使った壮大な構造物が姿を現すことになります。定義をきちんとしないと議論ができないので前置きが長いのがドイツ人の特徴、とはマライ・メントラインさんのお言葉ですが、その前段部分をいかにアクションと共に行えないか、ということに腐心するのがこの作家の特徴です。そうした意味では、動きながら作中人物が考える、動きを見せつつ読者にも考えさせる、という現代のミステリーに不可欠な要素を備えた作品だと言えます。未読の方でも、たとえばジェフリー・ディーヴァーがお好きな方なら間違いなく気に入っていただけるでしょう。この作家はもっと知られてもらいたいですね。ここからさらにドイツ・ミステリーを読まれる方は、『謝罪代行社』のゾラン・ドヴェンカーあたりはいかがでしょうか。
さて、次回はデイヴィッド・ベニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』ですね。これまた楽しみにしております。
加藤 篁(かとう たかむら) |
愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato |
畠山志津佳(はたけやま しづか) |
札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N |