—— 媚びず! 屈せず! 闘う女リスベット!

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:大 谷 翔 平! 祝! MVP! ヒャッハー! よく頑張った、カッコよかったぞ、息子よ。(<図々しい)
 もちろん来期の活躍も期待していますが、古巣のこちらも負けてませんよ。イエーイ! BIG BOOOOOSS! 1番 SHINJO!「僕が帰ってきたからにはコロナはなくなりファンは戻る」。他の人なら与太にしか聞こえない言葉もこの人ならやっちゃいそうな気がする。来年は楽しいことがいっぱいありそうです。日ハムファイターズが北海道に移転したのが2004年。北海道の野球シーンは日ハム前と後に分かれると言っても過言ではありません。

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に読みながら翻訳ミステリーを学び直す「必読!ミステリー塾」。第92回となる本日のお題は、2005年に発表された北欧ミステリーの金字塔、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』です。こちらもまた「北欧ミステリーはミレニアムの前と後に分かれる」とまで言わしめた大傑作。こんなお話です。

 ジャーナリストのミカエル・ブルムクヴィストは、大物実業家ヴェンネルストレムを告発する記事で名誉棄損の罪に問われ、有罪が確定した。発行責任者を務める経済誌「ミレニアム」が打撃を受けることを懸念して、しばし隠遁することを決断したミカエルに、大企業の重鎮ヘンリック・ヴァンゲルから奇妙な依頼が舞い込む。36年前に失踪して行方不明のままとなっている大姪のハリエットになにがあったのかを調査してほしいというのだ。当初は乗り気になれなかったミカエルだが、解決すればヴェンネルストレムに反撃できるネタを提供するという条件に惹かれ、ヘンリックの一族が住むヘーデビー島に住み込んで調査を始める。ガラスの鍵賞受賞作。

 作者のスティーグ・ラーソンは1954年生まれ。長年ジャーナリストとして活動し、その姿勢は一貫して人種差別や極右勢力を厳しく批判するものであったようです。2002年から「ミレニアム」シリーズの執筆を始め、『ドラゴン・タトゥーの女』『火と戯れる女』を書きあげた後、『眠れる女と狂卓の騎士』の執筆途中で出版契約を結びます。しかしラーソンはこのシリーズが世界に一大センセーションを巻き起こす光景を見ることなく、50歳の若さで急逝しました。
 2009年にはスウェーデンで三部作すべてが、2011年にはハリウッドで『ドラゴン・タトゥーの女』が映画化されています。強烈度1000%の主人公リスベットを演じたのは、スウェーデン版がノオミ・ラパス、ハリウッド版はルーニー・マーラー。どちらも素晴らしかった!
 ラーソンは第4作の構想と原稿の一部を残しており、誰が続きを書くかでひと悶着ありましたが、無事ノンフィクション作家のダヴィド・ラーゲルクランツにより、続編が書き繋がれました。よかったよかった。

 久しぶりの再読、堪能しました~。何回読んでも面白い。この私が、何年経っても忘れていないシーンがいくつもあるというだけで、どれほどのものかお察しいただけるでしょう。  
「ミレニアム」を手に取る前は、サスペンス一辺倒のイメージを持っていたので、「ドラゴン・タトゥーの女」が本格ミステリーの体裁であることにかなり驚きました。本土との交通が遮断された孤島から姿を消した少女、実業家一族の胸糞悪くなるような歴史、手帳に残された判じ物、偶然撮られた写真が物語る真実……それらが丹念な調査と、ふとした閃き、ときに偶然の出来事によって解き明かされていくのは快感です。
 そこに最強ヒロインのリスベット・サランデルがいるのですから、超がつくほどスリリング。リスベットを語りだしたら止まらなくなるので、加藤さんにバトンを渡してクールダウンしよう。

 

加藤:思い起こせば9年前、ファイターズが大谷翔平を強行指名したときは「なんてことすんだよ!」って思ったけど、結果としてこのまわり道がよかったのでしょうね。でも、畠山さんと北海道民の、「大谷翔平は俺たちが育てた」みたいな浮かれた物言いはちょっとどうかと思います。あれは大谷選手の才能と努力の結晶だからな。ここは藤井四冠を育てた愛知県民として苦言を呈しておきます。

 さて、ついに来ましたこの回が。日本で『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』が出たときの盛り上がりと興奮は今もよく覚えています。随分昔のような気がしていましたが、2008年ってわりと最近の話なのですね。

 この話の魅力として、僕がまず推したいのは、その贅沢なプロットです。
 主人公ミカエルは硬派かつリベラルで知られる経済誌「ミレニアム」の記者兼発行責任者。物語の冒頭、大実業家ヴェンネルストレムの不正を暴こうとして、罠にハメられ、名誉棄損で実刑判決(禁固3ヶ月)を受けてしまいます。媒体は信用を失い広告主は離れ、会社もヒジョーにキビシー状況に。この窮地をいかに脱し、ヴェンネルストレムにリベンジできるかというのが一つ目のプロット。
 そして、もう一つが、「ミレニアム」を去って収監を待つミカエルが、別の大企業グループのオーナーから援助と引き換えに引き受けた36年前の少女失踪事件の再調査。物語の比重としてはこちらが8割といった感じなのですが、この2つのテイストがまったく異なるところ、そのコントラストがあまりに見事すぎて、耳はキーン、眩暈でクラクラです。
「ミレニアム」の雌伏と逆襲を描く池井戸パートは、全体が都会的でスタイリッシュ、とても現代的なお話。小さな独立系ジャーナルが巨大資本グループの不正に挑み、一蹴され、息も絶え絶えなところから、最後にどんな倍返しをするのか、スッキリさせてくれるかが見モノです。
 対して少女失踪事件の謎解きパートの舞台は田舎。名士一族の長年にわたるドロドロした歴史と複雑な人間関係から醸造されるクラシカルな雰囲気がたまりません。まさに古き良きミステリーの香り。島全体が密室と化した36年前のその日、当時16歳のハリエット・ヴァンゲルは何故、どのようにして忽然と姿を消したのか。

 畠山さんの言う通り、『ミレニアム』シリーズはリスベット・サランデルなしでは語れないんだけど、気付いたらリスベットなしで結構語っちゃったよ。

 

畠山:メインの登場人物に触れずに語るって、なんの罰ゲーム?
 リスベット・サランデル。発育不良のような小さな体にドラゴンのタトゥーをまとった21世紀のヒロイン。頭脳明晰な凄腕ハッカーで、極端なコミュ障で、社会不適格者と見做されている彼女の行動の源は、常に「怒り」です。鋳型にはめようとする者に屈せず、心身ともに自分の領域にみだりに踏み込むことを許さない。ましてバカにされようものならまごうことなき地獄の使者となって徹底的に復讐する。リスベットは「なされた不正をけっして忘れず、受けた辱めをけっして許さない性格」なのです。これだ。社会の中で侮られ、力で押さえつけられ、その屈辱を胸の内に閉じ込めて生きてきた女性たちの怒りの体現者、これがリスベットなのだと思っています。彼女が悪徳スケベ弁護士に痛烈な反撃をするシーンは、声に出して読みたいくらい。

 これだけ強烈なヒロインが浮かないように、さらにカッコよく見えるようにうまいこと配置されているのが、薄味ヒーローのミカエル・ブルムクヴィスト。真面目で正義感の強いジャーナリストであり、経済紙の発行責任者、経営者として高い倫理観も持っているのですが、もやもやと悩んでいる間に周囲の「オトナの判断」に流されていっちゃう、やや優柔不断系の人であります。
 そしてどういうわけか、無駄にモテモテ。職業人としての倫理観は下半身には及ばないらしい。そういえば2016年に行なった札幌の「ミレニアム三部作読書会」でも、やれ据え膳喰い放題だとか、尻軽ヒロインだとか言われてたっけ。
 女性キャラも、性にかなり奔放な人が多くて、スウェーデンの大人の生き方にちょっと腰が引けました。恐るべしアクアビット民族。

「尻軽ヒロイン」は言いえて妙で、ミカエルとリスベットは従来の男女のイメージ、役割を完全に逆にしたものです。剛のリスベットと柔のミカエル。違和感まったくなし。
 二人が初めて顔を合わせるシーンは、コミカルでかつ初々しくて、最高のバディになることが約束されているようでした。それぞれの役割を果たして真相に近づいていくスピード感、能力に対する掛け値なしの信頼と、互いの心をゆっくり探っていく柔らかく細やかな間合い。なんかもうキュンキュンが止まらないんですけど!!
 読書会で「(ハリエット失踪事件を)最初からリスベットに頼めば早く解決したんぢゃ…」という身も蓋もないご意見があったのは、ここだけの話。

 興奮に次ぐ興奮、怒涛の展開、事件解決に快哉を叫び、胸糞悪さを清々しさが凌駕し、やりきった感に包まれて迎えるラストシーン。もうね、リスベットが最高。後ろから駆け寄って彼女の華奢な肩に腕を回し、無言で一緒に歩いていきたくなる、そんな最後の一文でした。
「ドラゴン・タトゥーの女」だけでもさまざまな顔を持つ豪華な読み物のなのに、その後もハードボイルド、バイオレンス、法廷ものなどのコンテンツが盛り込まれていて、さながらミステリー小説のカタログのようです。シリーズ通して描かれるタフな女性たちの活躍にもご注目あれ。
 初めて手に取る方は、登場人物表がかなりボリューミーだし、ヴァンゲル家の家系図を見るだけで軽く眩暈がすると思いますが、覚えておく必要はまったくないです。安心して「ミレニアム」という大海に漕ぎ出していって下さい。大丈夫、リスベットは絶対裏切りませんから!

 

加藤:おぉ熱い、畠山さんの名調子。興奮で鼻血が止まらず、丸めたティッシュを鼻の両穴に詰めてキーボードを叩く畠山さんの姿が目に浮かびます。彼女に限らず、リスベットを語り出したら止まらない女子は世界中に沢山いることでしょう。

 今さら語るのも気恥ずかしいと思うレベルのベストセラー『ミレニアム』シリーズを、僕も出たときにすぐに読んで驚きました。前評判で上りに上がった期待のハードルを軽々超える面白さ。そして、これが著者スティーグ・ラーソンのデビュー作と知ってまたビックリ。さらに、我々が読んだ時点で作者が亡くなっていると知って3度びっくりです。

 びっくりしたといえば、ミカエルのセックスライフは確かに強烈でした。スウェーデンが性にひらけた国というイメージはあったけど、これほどとは。「ミレニアム」の共同経営者3人のうち、ミカエルとエリカは厚い友情で結ばれた(エリカの夫公認の)セックスフレンド、もう一人のクリステルはゲイと、多様性に富んだ設定はさすがスウェーデン。
 そうそう、畠山さんは主人公ミカエルを「尻軽ヒロイン」と呼んでいたけど、それは言い過ぎだと思うのです。ミカエルは作中でエリカ以外にも複数の女性(しかも重要人物)と寝てはいるけど、彼から迫ったことは一度も無いはず。むしろ最初は「あ、そういうのはマズいんじゃないかな」ってソフトに避けてたもん。2回目以降は当たり前のようにやっていたとはいえ、「尻軽」はちょっと可哀そう。せめて「断り下手のミカちゃん」くらいにしてあげて欲しい。

 思えば、マルティン・ベックやヴァランダー警部シリーズなど、スウェーデンのミステリーはそれなりに日本の読者に馴染みはあったものの、決して紹介される数は多くありませんでした。その意味で『ミレニアム』はまさに「ゲーム・チェンジャー」だったといえるでしょう。一度使ってみたかったワード「ゲーム・チェンジャー」。『ミレニアム』以後、日本における北欧ミステリー、もっと言えば英語圏以外のミステリーをめぐる状況が大きく変わったことはご存知の通りです。

 そんなこんなで、結局僕は最後までリスベットについて語らずに終わってしまいました。今期のMLBを大谷翔平選手抜きで語ったようなものですが、畠山さんがたくさん語ってくれたので、いいとしましょう。
 超クールで、でもどこか脆くて目が離せないリスベットには男性読者もイチコロのはず。「これから初めて読む人が羨ましい」最上位の一冊をゆっくりご堪能ください。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 スティーグ・ラーソンは革新系のジャーナリストとして長く活動してきた人で、ミカエル・ブルムクヴィストには多分に作者自身の政治観が反映されています。この連載でも何度か書いてきたように、スウェーデン・ミステリーには雛型というべきマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー以来、社会批判を犯罪小説の形で書くという要素が備わっていますが、その部分をラーソンも受け継いでいます。若き日のラーソンはSF作家志向だった時期もあり、スウェーデン・ミステリーのアンソロジー『呼び出された男』にはそうした作品が収録されています。

〈ミレニアム〉以前にもヘニング・マンケルなど、他地域で好評を博した北欧ミステリーは存在しますが、世界中で爆発的なヒットを記録することで、北欧ミステリーを再発見させたというのがこのシリーズの功績でした。『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』が2009年に本国で、ハリウッドでも2011年に映画化されているのが象徴的な出来事ですね。こうした例には実は前例があり、ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト『MORSE』が2008年に本国で『ぼくのエリ 200歳の少女』として、2010年にハリウッドで『モールス』として映画化されています。マンケルの活躍によってスカンジナヴィア・ミステリーにジャンル読者の目が向いていたところで、ベストセラーとして広く読まれる可能性を孕んだ作品としてこれらのラーソンやリンドクヴィストが発見された、というのが正しい表現でしょう。両者に共通するのは、社会批判の小説という北欧ミステリーの必要条件はこなしながらそれに留まらず、エンターテインメントとしての間口の広さという十分条件を備えていたことでした。

 多くの人が指摘するように〈ミレニアム〉三部作は一作ごとにプロットの性質が異なります。『ドラゴン・タトゥーの女』は古い一族が抱える闇の部分を現在から過去に遡って暴くという探偵小説の形式に、生き残りをかけたヒーローの冒険譚という要素が加わっています。第二作『火と戯れる女』はリスベットが主となる物語で、社会から虐げられて生きてきた彼女が自らの力でそれをはね返していくという復讐譚としての犯罪小説です。司直に囚われまいとするリスベットと離れた場所からそれを支援するミカエルという逃亡小説の要素も加わっています。『眠れる女と狂卓の騎士』は、刑事事件の被告として裁かれるリスベットを中心に置いた法廷小説です。リスベットが動けない分ミカエルの比重が高くなり、前作から続くサランデル家にまつわる謀略の謎解き役を彼が担うことになります。このようにミカエルとリスベットが主・副の主人公として役割交替しながら、個人の尊厳を脅かそうとする巨大な敵と闘うというのがこの連作の基本設定です。ダヴィド・ラーゲルクランツは中心にあるものをよく理解し、リスベットの一族を中心としたサーガとしてシリーズを再構成することでシリーズ継承者の任をこなしました。作者の死後に別人が書き継いだ続篇としては出色の品質ですが、ラーソン自身が健在で第四作以降を書いていたらどうなっていたかを知りたい気持ちもあります。

 北欧ミステリーにプロットの多様性を与えた作者・作品として、スティーグ・ラーソンと〈ミレニアム〉三部作は文学史上に永くその名を留めることでしょう。スウェーデン史の暗黒部分を描いたニクラス・ナット・オ・ダーク『1793』のような作品が出てくる土壌もラーソンが開拓いたものだと私は考えます。ここからはさらに豊穣なものが育ってくるはずです。

 さて、次回はジャック・リッチー『クライム・マシン』ですね。これまた楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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