——ジャック、アンタ今までどこに隠れていたんだ?

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:いろいろあった2021年も南3局、いわゆるひとつのラス前です。皆さま今年もお世話になりました。僕にとって2021年はただただ一人で山のなかを走っていた一年だった気がします。比喩としてもリアルの意味でも。
 来年は普通に行きたいところへ行って、会いたい人と会える年になるといいですね。

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に読みながら翻訳ミステリーを学び直す「必読!ミステリー塾」の第93回はジャック・リッチー著『クライム・マシン』です。2005年に日本で編まれた短編集。では、いっていみよう!

 殺し屋リーヴズの前に現れたのは、ヘンリーと名乗るいかがわしい男だった。タイム・マシンで、あなたの仕事をすべて見てきたと言うのだ。最初は相手にしなかったリーヴズだが、男の話を聞くうち、次第に信じざるをえなくなってゆく。そして、このタイム・マシンがあればどんな犯罪も可能だと思いはじめるが……。(表題作「クライム・マシン」)
 他にMWA短編賞受賞作「エミリーがいない」など、短編ミステリーのスペシャリスト、ジャック・リッチーの珠玉作を収録! ※晶文社のハードカバー版と河出文庫版で一部収録作が異なります。

  作者のジャック・リッチーは1922年生まれのアメリカ人。ウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれ育ち、作品の多くはこの街が舞台となっています。太平洋戦争が始まると20歳で陸軍に入隊。太平洋のマーシャル諸島、クェゼリン島に駐留していた21歳のときに軍隊文庫で初めて探偵小説と出会い、一気にハマったのだとか。
 除隊後は母親の伝手で文芸エージェントと知り合い1953年に作家デビュー。『マンハント』『ヒッチコック・マガジン』『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』などに活躍の場を広げ、生涯に約350作の短編を残したそうです。1983年に逝去、61歳でした。

 ジャック・リッチーが活躍した時期は1950年代から亡くなる80年代の初頭まで。年齢でいえば、みんな大好き山田風太郎先生が同級生だったりします。
 つまり、ひと世代前どころか、若い読者からみれば3世代も前(曾祖父母世代)かも知れない、亡くなって20年以上経った作家が、縁も所縁もない(どころか敵だった)日本で2005年にブレイクしたわけです。なんか凄くないですか?
 以降のジャック・リッチーブームを作った晶文社の編集者の慧眼には恐れ入るばかり。でも、これほどの作家がこんなにも長い間埋もれていたのは不思議でなりません。

 そしてジャック・リッチーといえば、触れないわけにいかないのが、ハードボイルドの伝道師・小鷹信光さんの存在です。小鷹さんがその濃厚な生涯で最後にハマった作家がジャック・リッチーでした。ハヤカワミステリマガジンに小鷹さんの手による「ジャック・リッチー全短篇チェックリスト」が掲載されたときにはナニゴトが起きたのかと思ったものです。衰えぬマニア魂を見せられたジャック・リッチーの掘り起こし作業は強く印象に残りました。

 

畠山:最近、ステイホームの弊害で体力ダダ下がりなのを実感します。加藤さんみたいに一人でせっせと走ってる人ってホントすごいと思う。早いとこコロナにご退散いただき、リハビリをかねて出歩きたいものです。

 長すぎるステイホームで気持ちが塞ぐ、なにをしても集中できない、そんなときは上質な短編の出番です。『クライム・マシン』は、何気なく手に取ったらそのまま引き込まれて、やめられない止まらないかっぱえびせん状態になる逸品。ワタクシ、すっかり火がついてしまいまして、本棚と電子書籍のファイルをひっくり返し、『カーデュラ探偵社』『ジャック・リッチーのあの手この手』『ジャック・リッチーのびっくりパレード』なんぞを発掘。師走をジャック・リッチーでご機嫌にキメることとなりました。

『クライム・マシン』に収録されているのは14篇。当たり前ですが、先の展開が読めるものなんて一つもありませんでした。他の短編集もしかり。次から次へといろんな手を披露され、思いもよらない方向に連れていかれ、ひたすらもてあそばれるのみです。まるでテーブルマジックやチェスの早指しを見ているような興奮ですね。
 一番のお気に入りは、やはり「エミリーがいない」。サイコサスペンス、クライムノベル、謎解きミステリーと、あらゆる要素が影響しあってパンパンに膨れあがった緊張感から鮮やかに解放されるときのあの快感。それから、虚しくて酷なお話なのになぜか読後が悪くない「歳はいくつだ」、ラストで豪快に投げ飛ばされて一瞬ポカンとしてしまう「旅は道づれ」——どれもこれも、〝してやられた〟感いっぱいで楽しいことこの上なし。
 その中でも特筆したいのは、「こんな日もあるさ」と「縛り首の木」に登場するターンバックル部長刑事ですね。楽天的で、仕事に対しては真面目な姿勢なんだけど、なぜか結末は見事なまでにトンチンカン。相棒のラルフ刑事もいい感じでズレてる。秀逸なのはターンバックルの推理が一見もっともらしく思えるところなのです。まるで作者に裏をかかれる自分の分身のようで愛着がわくんですよねぇ。彼のお話は他の本にも収録されているので、ぜひ探しあてていただきたいです。いつでも期待を裏切らないですから! 

 重厚な長編小説をメインディッシュのステーキに例えるなら、ジャック・リッチーは老舗のバーのカクテル。『クライム・マシン』が2006年の「このミス」でコナリーやディーヴァーを抑えて1位になったのはすごいことですよね。当時は驚きをもって伝えられたようですが、こういう作品をもっともっと紹介してほしいと思います。

「このミス」といえば、今年は読書会で積極的に新作を取りあげたこともあって、ランクインした作品がかなり既読であったことに大満足しています。でも、あたしはランクにまったく顔を出していない『プエルトリコ行き477便』を激推ししています。テヘッ
 加藤さんは今年の新作、推しはある?

 

加藤:なにを隠そうこう見えて(全裸って意味じゃないですよ)、実は今年の各種ランキングの上位はまあまあの既読率でした。上位の作品はどれも当然のように面白かったんだけど、『オクトーバー・リスト』『第八の探偵』が印象に残ったなあ。来年もこういう挑戦的なというか「ヘンな話」をどんどん出して欲しいですね。

 さて、僕を含むほとんどの日本人読者は『クライム・マシン』で初めてジャック・リッチー(小鷹さんによればジャック・ライトゥスィーが正しい発音らしい)を知ったわけですが、その筋では知る人ぞ知る短篇の名手だったようですね。この「ミステリー塾」でも『うまい犯罪、しゃれた殺人』を取りあげたヘンリイ・スレッサーらと並んで「ヒッチコック・マガジン」の常連だったんですって。日本でも、『クライム・マシン』より前にすでに100編近くの邦訳が出ていたそうです。

 思えば、ジャック・リッチーって、メッチャ日本人好みの作家だと思うんですよね。
 2大シリーズ「ターンバックル部長刑事」「探偵カーデュラ」なんかは、単作で面白いのはもちろん、連作だからこそ楽しめる、読者との信頼関係の上に成り立った様式美に思わず読んでいてニヤニヤしちゃいます。
 僕がとくに大好きなのは、畠山さんも紹介していた「ターンバックル部長刑事」シリーズですね。抜群の観察力と鋭い頭脳を武器に水も漏らさぬ名推理を披露するターンバックルですが、その推理が(ほぼほぼ)まったくの的外れであるのがお約束。でも結果的に事件は解決し、おまけに余録まで付いてきたりして。いつのまにかターンバックルの推理を聞いた相棒のラルフや捜査陣が「よし、わかった!」と反対の方向に動くようになってきたりするのも笑えます。
 もう一つの看板である「探偵カーデュラ」シリーズは、日本では『カーデュラ探偵社』として2010年に河出文庫にまとめられました(河出文庫『クライム・マシン』には未収録)。夜しか仕事をしない超人的な身体能力を持つカーデュラとは一体何者なのか。その正体が作中で明かされることは決してないのだけれど、なぜだか読むとすぐに分かるから不思議です。まあ、読まなくても分かるんですけどね。

 そんな愛しさが止まらないジャック・リッチーは、シンプルでユーモアに富み、とにかく軽く楽しめるという紹介のされ方をしているのをよく見かけるけど、それに加えて僕はあの匂いを感じて、読んでいて嬉しくなってくるんですよね。
 一人称の「俺」がよく似合う、古き良きB級クライムノベルやハードボイルドのあの匂い。スモーキーでモノクローム、ビッグバンドが奏でるスウィング・ジャズ、みたいな。
 久しぶりに再読して、安いバーボンと、もうやめて10年以上経つ煙草が恋しくなる心地よい時間を堪能しましたよ。

 僕のようなド昭和(ヨルガオといえば鉄人28号)世代から、若い翻訳ミステリー・ビギナーまで、きっと誰にも楽しめるジャック・リッチーを、是非ご堪能ください。

 

畠山:カーデュラ! 大大大好き! 高貴なる身でありながら、なぜにか夜のみ営業の探偵。紳士で、正義感と人情があって、お茶目でロマンチストでもあり、必要とあらば恐ろしい仕掛けもためらわないクールな顔も持つ。同じシリーズキャラでもターンバックルとは正反対なのも面白いところです。もっと長いシリーズにしてくれてもよかったのにと心から思います。

 テンポのよさ、オチの鮮やかさに加えて、ジャック・リッチーにはユーモラス&ハートウォームなところがあるんですよねぇ。スリリングで、怜悧な刃物でスッと頬を撫でられる感覚に襲われるようなお話であっても、なぜかプッと噴きそうになったり、不思議な清々しさを感じたりするんです。他のアンソロジーに収録されている恋愛ものなんかを読むと、リッチーってロマンチストなのかもウフフ…と思ったり。
 粋でサービス精神に富んでいて、この世界にずっと浸っていたいと思わせてくれるお話の数々。最近こういう雰囲気のものがやたらと心に沁みるのは、歳のせいだろうか。

 肩の力を抜いて楽しめる作品群ではありますが、一方で「いかに短く表現するか」を突き詰めるという気迫も伝わってきます。
 本書の解説でシンプルな表現にこだわり続けたリッチー自身の言葉が紹介されています。曰く、「(三万語を費やしている、ヴィクトル・ユゴー作)『レ・ミゼラブル』は中編になる。あるいは小冊子にだってできるかもしれない」。驚くとともにその意気に惚れました。彼なら可能だったかもしれません。読みたかったなぁ、ジャック・リッチーのレミゼのパンフ。なんならドストエフスキーもその手にかけてほしかった。(<過大要求)
 とにかくそんな職人気質をビシビシと感じることで、読者としても発奮しちゃうんですよね。もっともっとと求める気持ちを高めてくれる読書って、本当に気持ちがいいです。

 加藤さんが鼻血を噴きながら力説していましたが、小鷹さんのリッチーに対する熱い思いは確かに特別ですね。それが伝わるのが『ジャック・リッチーのあの手この手』の前口上です。さぁさぁお客さん読んでけ読んでけ、と名調子でグイグイ推してらっしゃる。あの前口上だけでも読み物として価値があるかもなので、ぜひその目でご確認を。

 本年も当「ミステリー塾」にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。全100回の長い旅も残すところあと7回。ゴールまで見守っていただけると幸いです。
 実は今年のミステリー塾に関連して嬉しいことがふたつありました。ひとつはエド・マクベインの87分署シリーズが電子書籍でそろったこと。もうひとつは、カルロス・ルイス・サフォンの〈忘れられた本の墓場シリーズ〉で唯一未訳だった完結編が来年刊行されるとの情報。あまりにも嬉しくてベタな言葉しか浮かびませんが、ヒデキカンゲキです(ググってください。編集部)。

それから忘れちゃいけない「第十三回翻訳ミステリー大賞予備投票」のご案内。ただいま絶賛受付中です。締め切りは1月7日。どの作品が最終候補に残るのか今から楽しみです。ぜひ奮ってご参加くださいませ。

 それでは皆様、よいお年をお迎えください。来年こそはリアルでお目にかかれることを願って!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 日本の翻訳ミステリー受容史において重要な役割を担ったのが短編作品でした。特に『エラリー・クイーンズ・ミステリマガジン』(『ハヤカワ・ミステリマガジン』)・『マンハント』・『ヒッチコックマガジン』の三誌が本国版から最先端の作品をこぞって翻訳した功績は大きかった。それによって当時の読者は新しい作家を覚えていったのです。ジャック・リッチーは本国版の『アルフレッド・ヒッチコックマガジン』を主戦場とした作家で、ヒッチコックのお気に入りだったヘンリイ・スレッサーと共に一九六〇年代の同誌を支えました。先ほど完結した『短編ミステリの二百年1~6』(創元推理文庫)は、小森収による英米ミステリー短編史を軸として置き、その中に上げられた秀作から収録作を選ぶという他に類例のないアンソロジーです。その第四巻にリッチーについては詳述されているので、ぜひご覧ください。アイデアストーリーの典型ともいえるリッチーの長所と短所が過不足なく言い尽くされています。

 リッチーのように短編専業であったミステリー作家は他にも多数存在します。スレッサーやロバート・L・フィッシュは別格で、早くから日本では個人短篇集が刊行されています。21世紀に入ってからデイヴィッド・イーリィ、ジェラルド・カーシュ、ロバート・トゥーイ、A・H・Z・カー、アヴラム・デイヴィッドスンといった作家たちの短篇が一冊にまとめられたのは、藤原編集室の藤原義也氏ら、優れた編集者の功績です。リッチーの再評価もこの流れに沿ったもので、故・小鷹信光氏が最晩年にほぼ完璧な書誌を作成し、未訳作品を多く含むアンソロジーを複数冊刊行しました。歴史の流れに目を向けつつも、常に最先端のものを紹介していったほうがいい、というのが私の翻訳についての考えですが、こうした形の個人短編集刊行は意味のあることだと思います。まだまだ埋もれた作家は多く、ジェイムズ・ホールディング、ウィリアム・バンキア、ドナルド・オルスンなど、専門誌の名物作家だったにもかかわらず、今では忘却されてしまっている人々にも目を向けることで、何か新しい発見があれば、と願っています。

 この稿の趣旨からはいささか逸れますが書いておくと、『短編ミステリの二百年』の小森収氏論考は実に鋭く、日本推理作家協会賞の評論部門は、本年これに授賞しないと駄目だと個人的には考えています。中でも、なぜミステリー短編が衰退したかを浮き彫りにしていく4巻以降は示唆に富んでいます。日本の短編市場が退潮している現状とも重なる部分があり、小説編集者には翻訳・国内の別は関係なくぜひ目を通してもらいたいと思います。

 さて、次回はスティーヴ・ホッケンスミス『荒野のホームズ』ですね。こちらも楽しみにしております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

「必読!ミステリー塾」バックナンバーはこちら