悩み多き翻訳者の災難 第3回 ジョン・ケラーの巻

 月日は流れ、30代もなかばをすぎて翻訳者養成学校に通いはじめた私が寝食を忘れて読み耽った翻訳ミステリがある。恩師、田口俊樹氏の翻訳によるローレンス・ブロックの作品だ。そこできょうはブロックが創り出したキャラクターのうち、私がもっとも親しみを感じるジョン・ケラーの話をさせてもらおう。

 ケラーはニューヨーク在住の殺し屋。依頼が舞い込むと、淡々と出かけていって、淡々と仕事をして、淡々と戻ってくる。“淡々と”というのは傍から見た印象であり、内心では相当いろいろなこと——ときには相当くだらないこと——を考えている。つまり、読者は四十男のとりとめのないつぶやきにつきあわされるわけだが、これがめっぽうおもしろい。おもしろいことは誰が書いてもおもしろいが、くだらないこともおもしろく書くのが一流の作家——と、ブロックの作家魂にあらためて感服させられたのが、このケラーのシリーズだった。

 私がケラーのシリーズを愛してやまない理由はほかにもある。たとえば登場人物表なしでするりと楽しめるところ。ま、そんなものに頼ったことはありませんという方もおられるだろうが、私には無理。喩えて言うなら、酸素ボンベなしでエベレストに登るようなもので……いや、それは酸素ボンベがあっても無理か。とにかく、ケラーとドット(元締めの女性)以外の人物は、仕事ごとにどんどん変わっていくので、ムキになって名前を憶える必要がない。また、孤独な殺し屋の話ということで、シリーズ物にありがちな“内輪”のにおいが希薄なところも私好みである。

 それで思いだしたが、先週、このサイトの〈私設応援団・これを読め!〉のコーナーで矢口誠氏が「シリーズ物のミステリはキライだ」という話をされていた。なるほど、シリーズ物のミステリからは、“いちげんさん”を小馬鹿にする排他的な飲み屋のにおいが漂ってくることがある。

 実を言うと、私も若いころは“はぐれ刑事”のように行きつけの店をもつことにあこがれていた。暖簾をくぐってガラガラと引き戸を開けると、「あーら、たーさん、きょうは早いのね♪」 とかなんとか声がかかり、何も言わなくてもつつっとビールが出てくる——そんな店のひとつもなければ真のオトナとは言えないとさえ思っていた。

 しかし、オトナになって久しいいまも、そんな店をもったことは一度もない。それどころか店の人に顔を憶えられたのがわかると、なんとなく足が遠のいてしまう。お得意様になればいいこともあるのだろうが、「たまには行かないと悪いな」という、ちょっとしたプレッシャーを背負うことになる。そこまで引き受けるのが真のオトナなのだろうが、それがどうにも億劫でねえ……

 という話をしたら、飲食店を経営する知り合いに「仕方がないから、うちもポイントカードをはじめたわよ」とぼやかれてしまった。なんでも、私みたいな“偽のオトナ”が増えたために、常連客を確保するのがどんどん難しくなっているのだとか。いまや墓参りをするとマイル(参る)がたまる寺まであるというから驚きである。

 それはさておき、殺し屋ケラーのシリーズに排他的なところはない。いわば常連さんにもいちげんさんにも分け隔てなくよい酒を出すショットバーみたいなものだ。しかも、いまなら3冊読めばたちまちにして常連になれる。ああ、新作が待ち遠しいなあ……

対馬妙(つしま たえ)。1960年東京生まれ。おもな訳書に、スタカート『探偵レオナルド・ダ・ヴィンチ』、ハラ『悩み多き哲学者の災難』、ハート『死の散歩道』など。

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