——崖っぷち労働者は踏んだり蹴ったり

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:先日デパートの入り口におせちの案内が出ていて、つい「マジか!」と声が出ました。マスクしててよかった。いくらなんでもまだ年末モードにはなれませんが、今年の出来事私的ナンバーワンは「ショウターーイム! オオタニサーン!」で決まり。あのフルスイングでコロナも場外に吹っ飛ばしてくれるんじゃないかって気がしましたよ。記録もすごいけれど、とにかく野球が好き、他人が否定してもやりたいことをやるという姿にハッとさせられたなぁ。どんなことでも楽しんでる姿って人を惹きつけますね。よっしゃ、アタシもうんと楽しく読書会やろうっと!

 というわけで、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を一から順に読み進める「必読!ミステリー塾」、本日なんと第90回目を迎えました。残すところあと10作品。こちらもまためいっぱい楽しんで読み進める所存です。皆さま、最後までお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
 さて、今月のお題は、エレイン・ヴィエッツ著『死ぬまでお買い物』。2003年の作品です。こんなお話。

 よんどころない事情でセントルイスから出奔したヘレンは、フロリダの高級ブティック〈ジュリアナズ〉でようやく職にありついた。“美”のためならとことん金を使う女たちと、それに負けず劣らずのイケイケ&強欲な店長クリスチーナに面喰う日々だ。
 客たちの怪しげなプライベートに関わりすぎるだけでなく、店で麻薬の売買をしている可能性もあり、危険を感じたヘレンは慌てて転職を試みるが、世の中思うようには運ばない。
 そんなある日、ビスケーン湾で樽に入った女性の死体が見つかり、特徴から店でよく知る「彼女」であることが判明した。
 公的な身元を隠さねばならないハンデのあるヘレンは、アパートの住人や友人の助けをもらいながら犯人捜しに乗り出す。デッドエンド・ジョブ・シリーズ第一弾。

 エレイン・ヴィエッツはセントルイス出身で、地元新聞のコラムニストを経て作家になりました。1997年に本書の舞台でもあるフロリダ南東部の最大都市フォートローダーデールに転居し、デッドエンド・ジョブ・シリーズを執筆します。
 主人公ヘレン・ホーソーンは、事情があって銀行口座を作れず、給料を現金払いしてくれるところでしか働けません。そのためおのずと割の合わない仕事に就かざるをえず、作者は実際にそういう職業を体験して執筆のための研究をしたそうです。
 2007年に大病を経験されたという情報を見つけましたが、つい最近素敵な笑顔の写真をTwitterにアップされていました(☞こちら)。お元気そうでなによりです。

 さてさて、『死ぬまでお買い物』です。初めて読みました。最初はちょっと心配だったのです。ファッションになんの興味もない私が楽しめるのだろうかと。ステイホームで毎日同じ服を着られることが喜びで、ドルチェ&ガッパーナは去年の流行歌でようやく覚え(名前だけ)、フェラガモって鴨のマークじゃないの? と真顔で言ったことのある、そんな私が。

 結論から申し上げますと、ファッション知識皆無でも無問題。そして予想を完全に裏切られました。高級ブティックの仕組みや、セレブ客との付き合い方なんかが如実に語られる、いわゆるお仕事小説だと思っていたのですよ。ところがだ、〈ジュリアナズ〉にやってくるのは、闇医者の整形手術で表情がないとか、病的な痩身とか、あげくに万引きだのケチな返品詐欺だのと、依存症の症例報告会みたいな人ばかり。お金があってもちっとも羨ましくない。そのうえポンと千ドルくらいの買い物をする客の相手をするヘレンの時給は6ドル70セント。あーそうか、これが「デッドエンド・ジョブ」なのかと妙に納得しました。
 それでもくじけず働く(というかそうせざるをえない)ヘレンは、逞しくて優しくて好感のもてるヒロインでした。なぜこんな真っ当な人が、高給な職まで捨てて流転の身になったのか、その謎にも引かれましたね。

 ハイクラスに属していた女性が、低所得の庶民の世界で奮闘するという超ざっくりな括りで、「貧乏お嬢様シリーズ」に似た爽快感がありました。
 がさつな私でも問題なく楽しめた本作ですが、さて、“おっさん”は、どう受け止めたんでしょうかね? ブランドショップとかに入ったことあるの? 加藤さん。

 

加藤:こう見えても着るもののブランドにはこだわる加藤です。皆さん、こんにちは。
 ミズノ、デサント、アシックス。あ、みんな国内メーカーだ。あとはモンベル、ファイントラックとか。近ごろはワークマンも熱いらしいぞ。(<ブランドとは)

 真面目な話、このコロナ禍で暗い話題が多いなか、大谷翔平選手の活躍にはずいぶん救われた気がします。「ベーブ・ルース以来103年ぶり」の2桁勝利&2桁本塁打が注目されていますが、103年前ってそもそも比較対象なのかと考えちゃいますね。日本ではまだ大正ですよ? 鬼滅の人たちが刃を振るっていた時代ですよ? 今年の東京五輪では田中希実選手が1500Mで日本新を連発して8位入賞したときも「人見絹枝以来93年ぶり」(女子中距離入賞)って言われて驚いたっけ。
 残り数試合、大谷選手には悔いなくシーズンを終わって欲しいと願うばかりです。

 残り僅かといえば、「必読!ミステリー塾」もあと10回。まだまだ綺羅星のような名作が登場しますので、こちらもお楽しみに。

 さて、今回の課題本はエレイン・ヴィエッツ著『死ぬまでお買い物』。僕にとっては、こういう機会がなければ手に取らなかったタイプの本です。いい感じにキャッチ―な邦題ですが、原題も『Shop Till You Drop』。編集者と翻訳者が一杯やりながら夜中の2時頃にノリでつけたというわけではないようです。
 そんな本作は、いわゆるコージーミステリーとしては、いろいろちょっと特殊な気がしました。まず、主人公ヘレンが平凡な主婦ではない。というか平凡でもなければ主婦でもない、42歳のワケあり女性。とある事情から自分の存在を公にできず、記録にも残すことができない逃亡者。正しかるべき正義も時として盲いることがあるみたいですね。

 ヘレンは一体何をして、何から逃れているのか、そんな興味を引っ張りながら描かれるのは、彼女が超高級ブティック〈ジュリアナズ〉で店員として働く日々。そういえば、「ハウスマヌカン」って言葉はもう死んだのでしょうか?
 一般人にはドアをくぐることさえ許されない〈ジュリアナズ〉は、ただでさえ現実離れした世界ですが、何やら犯罪の匂いもプンプンします。でも、世を忍んで生きるヘレンは警察を頼るわけにはいきません。
 素人探偵(だいたい主婦)が面白半分にご近所&友達ネットワークを駆使して事件に首を突っ込みかき回し、なんだかんで解決してしまう、というのが僕の知っているコージーミステリーのパターンですが、本作は警察に頼らず自力で解決せざるを得ないという設定そのものが新鮮です。

 また、登場人物の立ち方もなかなか凄い。男も女もヤバい奴ばかりなのに、なんだか陽気で、ノリがいい。さすが南フロリダというか、どうしても嫌いになれなかったりします。
 畠山さんは気になる登場人物はいた?

 

畠山:〈ジュリアナズ〉の関係者はそろいもそろって醜悪だけれど、ヘレンの住むアパートメント〈ザ・コロナーズ〉の人間関係はすごくいいよね。職場と家のギャップが激しいw
 特にアパートメントの大家で“たったの76歳”のマージョリーは最高! 口は悪いけど言葉に含蓄がある人です。ヘレンの身の上を詮索もせず、ピンチの時は黙って支えてくれる、ちょっとハードボイルドみのあるカッコイイおばあちゃん。
 まったくの偶然ですが、この本のあとに『木曜殺人クラブ』『ハートに火をつけないで』という本年屈指のパワフル老人系ミステリーを立て続けに読みまして、人生これから! という気持ちになっております。

 マージョリーに加えて、同じアパートの住人ペギーとヘレンの部屋の前住人サラが、実にいいシスターフッドな関係を築いてくれます。嫉妬やマウントの取り合いとは無縁、なんでも話せて、落ち込んでる時には一緒にスイーツを頬張り、男を品定めしては下品な冗談でゲラゲラ笑いあう……なんかいいですよね、こんな付き合い方。
 本筋とは全然関係ないけど、とても気に入ったエピソードがひとつ。このアパートメントはペット厳禁なのですが、ペギーはインコのピートを飼っています。大家のマージョリーが現れたらどうするかというと、みんなが「インコが存在しないふり」をするんですよ。マージョリーまでもが(笑) 認識しなければ存在しないという小難しい哲学をやすやすと生活に落とし込むこの度量。〈ザ・コロナーズ〉に心奪われ、つい続きの作品をネットでポチってしまいました。うひゃひゃ♪
 ちなみに、このあとヘレンは書店員、電話セールス、ブライダルサロンと職を転々とします。一体どんなトラブルに見舞われるのやら……。横暴な客に無慈悲な上司やオーナーなど、いわゆる「(ブラックな)バイトあるある」。それに殺人をプラス。“デッドエンド”で奮闘するヘレンと心強いシスターたちを応援したいと思います。

 人物のことばかり話してしまいましたが、『死ぬまでお買い物』は樽に入った死体、強盗、放火とけっこうヘビーなイベントが挿し込まれるのです。ナメちゃいけません。そんな中でヘレンは仕事を休むことなく災厄を乗り切り、犯人を見つけようと試みるのです。犯行の動機を持つ人は何人もいるし、被害者が隠していた謎のメモの意味するところも皆目わからない。いよいよそのメモの繋がりがわかりそうになった時は、あまりに大変そうなヘレンを手伝いに行きたくなりましたよ。働く女の連帯ってやつ!?

 実を言うと犯人はあまり意外ではなかったんです。でも、ラストの1行はスッと血の気が引きました。あの犯人だからこその残酷な一文をぜひ味わってください。

加藤:へ?  ラストの一文で血の気が引いたって? 僕はクスっと笑って終わったけど。そんな解釈が分かれるところも面白い。

 そうそう、ヘレンの住む〈ザ・コロナーズ〉って、おそらく家賃も手頃で庶民的な家具付きアパートだと思うんだけど、広い庭にプールまでついているのは凄いよね。夜には住民たちがプールサイドでおしゃべりして過ごすって、なにその贅沢な環境。さすが夢の南フロリダ。ヘレンじゃなくても、もうセントルイスなんかには帰りたくないって思うよ、そりゃ。

 僕が言うのもなんですが、本書はミステリーとしてはどうかと思わなくもないんですよね。推理する材料も伏線もほとんどないし。それでも、次の展開を予想しながら読むと、なぜだか必ずはぐらかされる。僕には見えない罠や、気付かないミスリードが張り巡らされていたのかも。

 後半は一気にサスペンスモードにシフトチェンジしますが、前半に描かれるのは、ヘレンのトホホなブティック店員としての日常。でも、畠山さんや僕みたいにファッションに疎くても楽しめる親切設計には感心します。ファッションと美容に血道を上げるセレブたちを、笑いながら憐れみ、気付けばちょっと気持ちよくなっている。ああセレブじゃなくてよかったって。
 ファッションと言えば、僕がつい最近まで「ノースリーブ」を「north leaves」だと思っていたって話はしましたっけ? どうして細いシルエットの服のことを北の葉っぱって言うんだろう? あ、針葉樹か、なるほど~って勝手に納得していたっていう話。どうでもいいですかそうですか。

 あと、この本を最後まで読んで驚いたもう一つのことは、これがシリーズ化されているってことですね。本国では15作も出ている人気シリーズなのだとか。ヘレンの逃亡の旅は想像以上に長いようです。それにしても、なんなんだ「デッドエンド・ジョブ・シリーズ」って。ブティック店員や書店員の皆さんに謝りなさいw

 そんなこんなで、本作の面白さはそのドタバタコメディー的展開と登場人物たちの弾けたキャラクターにあるのはもちろんですが、そこにヘレンの特殊な背景と南フロリダの気候がスパイスとして加わったことによって、オンリーワンさが際立っている気がします。
 コージーにしてはちょっと重い犯罪が描かれますが、それでも嫌な気持ちにならないのは凄いことかも。これも南フロリダのおかげ?

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 本書はチック・リット(Chic Lit)と呼ばれる比較的新しいジャンルの小説に属する小説です。耳慣れない言葉ですが、Chicは雛鳥の意で、若い女性を指して使われます。Litはlitrature(文学)ですから、若い女性の小説と訳すことができるでしょうか。ただ、こなれない訳語ですし、文学史上の意味が確立されたとは言いがたいので原語をそのまま使ったほうがよさそうです。チック・リットの元祖が何かということには諸説ありますが、ジャンルを周知したのはヘレン・フィールディング『ブリジット・ジョーンズの日記』ということで意見は一致しているようです。日本に初めて紹介されたチック・リットもこれでしょう。レネー・ゼルウィガーが主演した映画もヒットしました。同作を参考にすればチック・リットとは、女性作家が女性主人公の視点から女性の生き方を描いた物語と認識するのがいいと思います。

 ミステリーは近接領域の流行を取り入れながら成長してきたジャンルなので、当然ですがチック・リットからの影響も受けています。それがよくわかるのは2000年代以降に翻訳されたコージー・ミステリーで、自立して生きる女性主人公が事件に遭遇する物語が、さまざまな設定で書かれました。従来のコージー・ミステリーでも主人公のキャラクターを掘り下げることは行われていましたが、それが謎解きと同等の比重を持って描かれるようになってきています。アリス・キンバリーの別名を持つクレオ・コイルなどはその代表格でしょう。初期に紹介された作品があまりコージーらしからぬものだったのでやや戸惑ったリース・ボウエンは、まさしくこのチック・リットの作家だったのでした。2000年代に入ってから書き始めた、〈貧乏お嬢様〉シリーズは英国王位の継承権でだいぶ下のほうにいる女性が、生活が楽ではないためにさまざまな苦労をしていくという成長記が軸になっており、それぞれの局面で事件と遭遇するのがミステリーとしての読みどころです。

〈デッドエンド・ジョブ〉シリーズは、チック・リットの輸入初期に翻訳された作品で、コメディ・スリラーとしても良質です。主人公が秘密を持っており、そのために社会保障番号の提示やクレジット・カードの使用など、現代人なら当たり前のことができないというところが読みどころ。最初に読んだときは、ちょっとしたエスピオナージュの味もあると思いました。主人公のそうした弱点が彼女を取り巻く社会の矛盾を浮き上がらせることにもなっており、犯罪小説としてもよくできています。青筋立ててここがおかしい、と指弾しまくるのではなく、笑いのオブラートにくるんで読者に提供する、大人向けの洗練された作品ではないでしょうか。こうした作品がもっと紹介されてもいいのにな、と私は思っています。

 さて、次はカール・ハイアセン『復讐はお好き?』ですね。次回も楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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