——誰も書かなかった奇想天外なハイジャックとその顛末が凄い!

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

 

加藤:いろいろあった2017年も残りわずか。ほんとにいろんなことがありましたねえ。いまは大相撲の暴力問題で大騒ぎですが、スポーツの話題では、浅田真央ちゃんと宮里藍ちゃんの引退が心に残ったなあ。ともに一時代を作り、今のブームへの道を拓いたスーパースター。愛知県民としては真央ちゃんに思い入れもあるけれど、それでも登場から数年の宮里藍ちゃんの強い輝きは今も忘れられません。才能豊かで爽やかな藍ちゃんは、登場時点で輝いていましたが、それをさらに際立たせたのは、ライバル横峯さくらと女王・不動裕理選手の存在だったのではないかと。さらに彼女たちを見守る樋口会長や宮里家と横峯家の人々。それぞれのキャラまで含めて、スポ根的に完璧すぎる配置でした。

 さてさて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回のお題は、ルシアン・ネイハム『シャドー81』、1975年の作品です。こんなお話。

ベトナム戦争は泥沼化し、パリでの和平交渉も行き詰まりを見せていた1970年代初頭。アメリカは大統領選も間近に控え、世相は重苦しくも落ち着かない混沌のなかにあった。そんな折、ロサンゼルスからハワイに向かう747ジャンボ旅客機が乗っ取られた。しかし機内にハイジャック犯の姿はない。犯人の目的が分からぬまま、要求通りに旋回を続けるジャンボ機。そして、ついに犯人は乗客乗員200余名の命と引き換えに、これまでに例のない巨額の金塊を要求したのだった……。

 ルシアン・ネイハムは1929年にエジプトのアレキサンドリアで生またアメリカ人。1983年に亡くなっています。本業はジャーナリストで、6か国語に通じ、飛行機の免許も持っていたとのこと。そして、本作『シャドー81』は彼が書いた唯一の小説なんですって! 一生に一作だけ、こんな話が書けたら凄いよね。

『海外ミステリー マストリード100』の杉江さんの解説によると、『シャドー81』は週刊文春ミステリーベスト10の第1回(1977年)の栄えある第1位という記念碑的作品とのこと。週刊文春ミステリーベスト10は、この1977年から1982年までは、国内と海外の区別なく全部ひっくるめての順位だったらしいのですが、海外作品が総合1位を獲ったのはこの『シャドー81』が唯一なんですって。なるほど、それも頷ける面白さです。

 しかし! しかしですよ、ご同輩。
『シャドー81』かあ、青い空に2つの機影と飛行機雲。何もかも懐かしい。久しぶりに読んでみようかな、と思ったオールドファンのあなた! 物置の段ボール箱をひっくり返して新潮文庫の『シャドー81』を探してはいけません。はっきり言って無駄だから。
 一昔前の創元推理文庫を再読しようとしたら、あまりに文字が小さくて、自分の目の老化にショックを受けたって話はよく聞きますが、新潮文庫の『シャドー81』は、その比ではありません。とくに行間の狭さは突発的な閉所恐怖症を引き起こすレベル。悪いことは言わないから、今すぐに復刻版であるハヤカワ文庫を買うのです。ああ、月日って残酷。

 そんなオールドファン泣かせの『シャドー81』ですが、若い読者にもぜひお勧めしたい。この本の凄いところは、何と言っても、それまでに誰も考えなかったハイジャックの方法です。ハイジャック犯が機内におらず、正体が分からないうえに物理的に接触することができないところ。
 そして、本書の白眉はその一事に代表される荒唐無稽とも思えるアイデアの数々に説得力を持たせる、しっかりしたディティールの描き方にあるのです。読めばわかります。
 どーでもいいけど、「読めばわかる」はプロのライターの方々が絶対に使わない言葉だよね。気持ちいいからもう一回書いちゃおう。
 読めばわかる!

 

畠山:一文字で世相を表す今年の漢字は「北」。理由のひとつには大物を巣立たせ大物を引き当てた我が北海道日本ハムFも含まれているとのことでめでたいことでございます(ビミョーなとってつけた感が拭いきれないがそこは問うまい)。日ハムの驚異のクジ運は喜ばしい限りだけれども、なんでも引き寄せてうっかりミサイルまで当たらなくてよかった。

 そんなわけで世の中には自分の努力ではどうにもならない「運」というものがあります。私が全力で自分の幸運をかき集めたくなるのが飛行機。飛行機に乗る前は職場の引き出しを整理し(主に食べかけのおやつ)、服装を小奇麗にし、あくまで平常心であろうとするのですが、シートベルト着用サインがでた途端に世の中の辞書という辞書から「墜落」という言葉を消し去る魔法を発動したくなります。なんだってあの瞬間になると数々の航空機事故をたんまり思い出してしまうのだろう。昨日食べたごはんすら正確に思い出せないのに(食べたかどうかは覚えているのでひと安心)。

 そんな私に新たな恐怖のネタが加わるのであろうかと、ドキドキで読み始めた『シャドー81』なんですがね、結論から言うとノープレブレム。これほどあっと驚くような仕掛けは、現実に起こらないでしょう。万万が一、こんなハイジャックに遭ったら、快哉を叫んでしまいそう。機内から「シャドー81なう!」ってツイートしたら、ミステリクラスタの誉れと讃えてやってください。

 ところでですね、今回わたくしはこの作品を一切の情報ナシで読んでみたわけですカバーのあらすじは読まず、表紙もろくに眺めずにカバーをかけ、『海外ミステリー マストリード100』も敢えて目を通さず、完全なる暗闇状態でスタート。知ってることといえば「ハイジャックのお話らしい」ということだけ。
 なのでかなり驚かされましたよ。まずハイジャックするまでが長い。準備段階のお話は、一体これがどうハイジャックと結びつくんだろう? という感じで、それがようやく、ようやく200頁目にしてわかるのです。ええ、ハイジャックするまで200頁かかるんですよ!
 しかもこのハイジャックたるや、大胆で派手で気持ちいいくらいに荒唐無稽。そらもうひっくり返りましたわ。よくこんなこと考えついたなと。未読の方には、ぜひ一切の情報を入れずに読んでみてくださいと強くお勧めします。

 

加藤:今回なにに驚いたって、最初の原稿を畠山さんに送ったら、「ハイジャックの方法を書くのはネタバレじゃないの?」って返事が来たこと。え、そこ?(だって、カバーイラストがアレだし、タイトルだってアレじゃんか!)とは思ったものの、畠山さんみたいな奇特な人が他にもいないともかぎらないので、今回は書かないことにしました。
 しかし、考えれば考えるほど不思議。畠山さんは最初の200ページを、何の話だと思って読んだのだろう? この本のなかで一番ワクワクするのはこの部分だと思うのです。この準備のくだり。犯人たちの綱渡り的な苦労を知っているおかげで、僕ら読者はのちのち、犯人側の立場に立って気持ちよい達成感、征服感を味わうことすらできるという、大切な導入部であるはずなのに。

 本書は、ミステリーとしても、冒険ものパニックものとしてもよくできているけど、実は「シミュレーションもの」として熱いんじゃないかと思うのです。昨年ヒットした『シン・ゴジラ』も、怪獣映画、パニック映画であるうえに、「不明巨大生物が日本の首都圏に現れたら日本政府と世界はどう対処するのか」というシミュレーションとして、手に汗握って観たんじゃないかと。
 そしてこの『シャドー81』は、『シン・ゴジラ』では徹底して省かれていた市井の視点をも取り混ぜ、200人が乗った旅客機が誰も想像していなかった方法でハイジャックされたら、管制官は、ホワイトハウスは、報道機関は、そして乗客たちはどうするのか、というお話ではないかと。

 さらに本作で見逃せないのが、ベトナム戦争と当時の世相、ムードを上手に取り入れたところだと思う。本作の舞台は1972年。パリ協定が締結されてアメリカ軍がベトナムから撤兵したのが、その翌年の1973年。さらに翌年の1974年には、ウォーターゲート事件でニクソン大統領が辞任。そしてサイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終結した1975年に、この本がアメリカで刊行されました。
 体制側にギャフンと言わせる物語を人々が(自分たちが気付かぬうちに)望んでいたのだとすれば、まさにぴったりのタイミング。何十年かぶりに読んだけど、いやはや、面白かった。こういうのを「不朽の名作」って言うのですね! では、あえてもう一回言いましょう。
 読めばわかる!

 

畠山:「アンタなに言ってんの?」な加藤さんの返事で、慌てて表紙をまじまじと見つめ、びっくりするやら、バツが悪いやら、どことなく腹立たしいやら。そうか、ハイジャックの方法は全然秘密じゃなかったのか……いや、でもやっぱり、知らずに読んだほうが絶対面白いって! 確かに準備段階のお話は五里霧中で、我慢の読書にはなります。誰がなぜこんなことを? と疑問だらけになりますから。それに飛行機や船のメカニックな部分はチンプンカンプンだし、これといって入れ込めるキャラクターもいないし。
 でもご安心を。メカニックな部分は一切覚えてなくていいです! それと脇役も真剣に覚えなくて大丈夫。豪快に使い捨てされるキャラもわりあい多いので、細かいことにくじけず、ガンガン読み進めるのが吉。200頁目には、気持ちよくあっと驚けること請け合いです。

 萌えどころはなんといっても、ハイジャッカー×機長×管制官のプロ三つ巴の図でありましょう。あの見事な現場力! 声だけ大きくてロクに使えない外野を尻目に、おのれのベストを尽くそうとする姿はめちゃくちゃ素敵です。
 そして「ロクに使えない外野」も悪くないですよ。パニクってなんでも他人のせいにするお偉いさんとか、無力なくせにしゃしゃりでてくる目立ちたがり屋とか、空気読まないバカ騒ぎマンとか、いかにも「いるいるこういう人!」と指さしたくなるようなのばっかり(笑) 乗客の家族にぶしつけな質問をするマスコミや、誰かが困っているときに自分の利益しか考えない人などにいたっては、本書が書かれてすでに40年も経っているのに、もしかして私たちってなんにも進歩してないの? と暗澹たる気持ちになりました。

 何度も訪れるサプライズ、緊迫の攻防、スラップスティックな笑いもあって、読後も良い。出番は少なめですが、プロに徹するCAのお姉さんたちもカッコよし。全方位文句なしの傑作でございます。未読のかたはぜひ、年末年始の読書リストに『シャドー81』をお忘れなく!

 今年も1年間ご愛読、というより、ご笑読ありがとうございました。
 全国の読書会に参加してくださった皆様にも感謝申しあげます。ちらっと宣伝しますと、来年の名古屋読書会の始動は2/17(土)に『その犬の歩むところ』『約束』の犬スペシャル、札幌読書会は3/24(土)に巷で大絶賛の華文ミステリー『13・67』と、どちらもイキのいい新作を課題書に選んでおります。ほかの読書会も、いつも楽しく和気あいあいと開催されていますので、読書会って気になるなぁ、行ってみたいなぁとお思いのそこのあなた! 来年はぜひお近くの読書会にお運びくださいませ。

 それでは皆様、どうぞよいお年を。
 来年もドキドキワクワクするような海外ミステリとの出会いがありますように。

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 ルシアン・ネイハムは『シャドー81』を世に送り出して、まさにその一作だけで消えてしまった幻の作家です。次回作を準備中という情報が流れたこともありますが、結局形になる前の1983年12月15日にひっそりとこの世を去りました。彼の本業はジャーナリストでしたが、余技としての創作が輝かしき光輝を放った好例といえるでしょう。『ウィンブルドン』の著者ラッセル・ブラッドンなど、ミステリー界にはこうした作家が時折現れます。

「週刊文春ミステリーベスト10」について触れていただいていますが、『シャドー81』が1位を獲得した1977年当時の状況について付記しておきたいと思います。同じ「週刊文春」が古今東西のミステリー・オールタイムベストに関するアンケートを実施し、公開したのが8年後の1985年8月29日号と9月5日号でした。それまでの名作ランキングは、江戸川乱歩選出のものが依然として支持されており、多様化しつつあったミステリーの現況を視野に入れていないことが批判されるようになっていたのです。もっとも、そのアンケート結果を文庫化した『東西ミステリーベスト100』(旧版)を見ていただければわかりますが、1位に選ばれたのはやはりエラリー・クイーン『Yの悲劇』であり、いわゆる古典本格への尊崇の念強しとの感慨を覚えたものでした。こうした傾向は以降もずっと続き、現代の読者に向けていかに新しい指標を提示するか、という課題はいまだ解消されたわけではありません。

その『東西ミステリーベスト100』より8年も前に本書が1位に選出されていることの意味は非常に大きいのです。『シャドー81』は「現代ミステリー」の象徴として当時の読者には受け止められたのではないでしょうか。何が起きているのかわからない導入部のサスペンス(個人的には吉村昭『戦艦武蔵』を連想します)、事件が起きて犯行計画の全貌が判るまでのスリルとスペクタクル、そして真相を隠蔽しようとする者たちの存在を描いた背景の人間ドラマなど、物語として非常におもしろく、要素が盛りだくさんです。ミステリーという小説形式が、さまざまな実験の場として適していることを広く知らしめたのも、本書の大いなる功績でありました。ルシアン・ネイハムはこれ一作で終わりましたが、『シャドー81』の遺伝子は主に日本において広く受け継がれています。

さて、次回はジェフリー・アーチャー『百万ドルをとり返せ!』ですね。2018年も期待しております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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