——変幻自裁の覆面作家トレヴェニアンによる「珠玉の名作」(「たまたまのめいさく」じゃないぞ

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

 

加藤:平昌オリンピック終わっちゃいましたねー。冬季オリンピックって、この時にしか見ない競技が多くて、4年間のレベルの上り具合に驚くものがあるよね。スキーのエアー系とか。そして今回初めてだったスケートのマススタートも凄かった。競技名からして懐かしのローラーゲームみたいなのを想像したのは貴方だけじゃないので安心してください。結局、なんとなくルールは分かったけど、詳しいところや勝負の勘どころが理解できないまま終わってしまいました。まさに作戦通りの高木菜那選手の金メダルはお見事でしたねー。
 それにしてもオリンピックの後の燃え尽きた感はハンパないよね。いつも思うけど、パラリンピックを先にやったほうがいいんじゃないの?

 さてさて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回のお題は、トレヴェニアン『夢果つる街』。1976年の作品です。こんなお話。

 カナダのモントリオールの一角にある「ザ・メイン」は、猥雑で騒々しく、移民たちが流れ着く吹き溜まりのような場所だ。英語と仏語が混じり合い、バーは浮浪者たちで賑わい、路地裏に売春婦たちの嬌声が響く、そんな街。雪が降りそうで降らない日が続く11月のある日、ラポワント警部補は身寄りのない21歳の女性マリー・ルイズと出会う。そして同じころ、街ではイタリア系の若者の死体が発見されたのだった……。

 作者のトレヴェニアンは覆面作家。その正体は初代タイガーマスクやピコ太郎くらい謎のヴェールに包まれています。説明するのもナンですが、彼らの最大の謎は、どの部分が謎なのかがよく分からないこと。トレヴェニアンは本名ロドニー・ウィリアム・ウィテカー、1931年生まれのアメリカ人。
 大学で映画学や演劇の教鞭をとるかたわら、小説や戯曲、ノンフィクション(多くは映画に関するもの)を発表。デビュー作『アイガー・サンクション』はクリント・イーストウッドの監督・主演で映画化され、トレヴェニアン自身も脚本で参加しました。

 そして、トレヴェニアンは僕の大好きな作家。中でもこの『夢果つる街』はマイオールタイムベスト10に入る一冊です。
 原題はThe Main 。『夢果つる街』という邦題はちょっと感じ出しすぎなんじゃない? と思われるかもしれませんが、読み終わってみると、詩人・北村太郎さんの美しい訳文と、そこから醸し出される雰囲気に圧倒され、この奇跡の邂逅に感謝せずにはいられなくなること請け合いです。
 トレヴェニアンといえば、「オマエが好きなのは『シブミ』だろ」と思われているかもしれませんが(一昨年の登山部のレポートは☞こちら)、もちろんこちらも好きですとも。トレヴェニアンの作品にはどれにも(程度の差はあれ)アメリカの現代文明、物質文化に対する批判が底辺にあり、それがバスクへの愛着や失われた日本文化への憧憬という形で作品にも現れていると思うのですが、その両方を楽しめるという意味でも『シブミ』はトレヴェニアンにとって特別な作品だと思うのです。おっと話が逸れました。

『夢果つる街』の主人公ラポワント警部補は、その名の通りフランス系カナダ人。ザ・メインの守護者であり、与太者たちにとっては目の上のたんこぶ。毎晩、ザ・メインを「寝かしつける」のが日課の、時代遅れの「おまわり」です。出世欲はなく、書類仕事が大嫌いで、自分のパトロール地域の生き字引。そして、自身をルールと信じて疑わないヨレヨレの服を着た男やもめ。効率化や市民サービスに余念のない警察上層部からのウケは当然のように最悪です。
 まあ、よーするに、ラポワントはよくある頑固なロートル刑事の造形そのものなのです。しかも、この話に出てくるのは、全く面白味のないただの殺人だったりします。何の工夫も特殊な点もない。死体のかたわらには何も落ちていないし、ダイイングメッセージもないし、アリバイが完璧な容疑者もいない。しかも被害者は誰に殺されても不思議じゃない最悪なヒモ男。ラポワントがその捜査をするという、ただそれだけの話なのです。
 しかし、この物語はどの警察小説とも似ていない。読み終わった後の、この芳醇な味わいをどう表現したら未読の皆さんに興味を持っていただけるのか。しばし長考。うーん、これは難しい。悩んでいる間、畠山さん、いつものように適当なこと書いてお茶を濁しておいてよ。

 

畠山:冬季五輪は道産子の活躍が多くて大変嬉しかったです。ついでに北海道弁も全国の方々に喜んでいただけたようでなにより。カーリング女子の自然体を見て、お国訛りには愛着と誇りを持たなきゃいけないなーと意識を改めました。ちなみに私のまわりでは「“そだねー”なんて言わないよねぇ」「そだねー」という大真面目なやりとりが散見されたことをご報告しておきます。

 さて、この『夢果つる街』の舞台はモントリオール。モントリオールといえばやはり、1976年の夏のオリンピックが真っ先に頭に浮かびます。この時の主役は満点を出した体操選手ナディア・コマネチでありました。まさかこの名前が日本のお笑い界の新たな幕開けになろうとは、当時は思いもよらなかったのですが。
 そんなオリンピック効果で、モントリオールという街には明るく華やかなイメージを持っていたものですから、小説の中で描き出される寒くて陰鬱な街の様子にちょっと戸惑いました。

 ザ・メインはまるで不幸な人々の最後の拠り所といった趣の場所で、邦題の『夢果つる街』はピタリとはまっていると思います。
 住人たちが背負っているもののエピソードは、どれもこれもみぞおちにどすんとくるものばかりで、彼らがこの最果ての街でどうやって自分の過去と折り合って生きているのか、その姿を見るだけで作品世界に没頭してしまいます。
 加藤さんも言うとおり、殺人事件そのものには特に興奮する要素がない(こういう表現が許されるのはミステリーファン同士に限られる)にも関わらず、飽きるどころかどんどん引き込まれてしまうのは、街を知る、街を形成する人を知る、その人を見守る人を知る、そしてその街をまた知る、その繰り返しによって自分自身もザ・メインに同化していくような、そんな読書体験だったからかもしれません。

 トレヴェニアンの作品で私が読んでいたのは『シブミ』だけでありました。ケイビング(洞窟探検)のシーンにはいろんな意味で悶絶いたしましてね、ええ。なので、この『夢果つる街』はかなり気合を入れて、がっちり構えて読み始めたのですが、ホントに同じ人が書いてるの? というくらいに作風が違っていて驚きました。もしかしたら作家はひとりじゃなくて、いわゆる「チーム・トレヴェニアン」的ユニット名なのかも? と疑いましたよ。
 好みでいえば圧倒的に『夢果つる街』が好きなんだけど、他の作品はどうなのかしらね?

 

加藤:いいところに気付いたではないか畠山。褒美をとらそう、はいブラックサンダーあん巻き
 トレヴェニアンの大きな特徴の一つは、作品ごとに作風をガラッと変えてくる、その変幻自在さ。最初期の『アイガー・サンクション』『ルー・サンクション』、そして『シブミ』はほぼ同じ世界観で書かれているものの、それ以外は驚くほど、何もかもが違うのです。
 本書、北村太郎訳『夢果つる街』は警察小説、菊池光訳『シブミ』はスパイスリラー、町田康子訳『バスク、真夏の死』は恋愛サスペンス、そして雨沢泰訳『ワイオミングの惨劇』はウェスタン風。日本ではそれぞれの世界観に合った訳者さんがいい仕事をしているせいで、これらを前情報なしで読んで同じ作家の作品だと見破るのは難しいと思う。
 僕にとってトレヴェニアンのツートップは『夢果つる街』と『シブミ』だけど、杉江さんは『海外ミステリー マストリード100』のなかで『夢果つる街』と『バスク、真夏の死』を挙げています。これだけ一作ごとに作風が違えば、人によって好きな作品が異なるのは当然と言えば当然です。長らく翻訳が途絶えていたトレヴェニアンですが、2004年に『ワイオミングの惨劇』が、そして2015年には『パールストリートのクレイジー女たち』が出版されて、ファンを驚かせました。

 さて、話を『夢果つる街』に戻すと、僕にとってこの本は「愛おしい」という表現がピタっとくる一冊なのです。
 登場人物一人ひとりが愛おしい。そしてすべてのシーンが愛おしい
 マリー・ルイズがギリシャバーでウーゾを飲んで踊るシーンが愛おしい
 モイシュがしつこく原罪と罰について語りたがるシーンが愛おしい
 ガットマンに心を開いてゆくところ、老兵の何も持たない者の矜持、モンジャンの独白、そしてクライマックス……。最初から最後まで、一つも無駄なエピソードがなく、どのシーンも思い出すだけで目頭が熱くなり、でも少し幸せな気分にもなる。
 変えようもない過去、伝えるべきだった言葉、果たせなかった約束。そして永遠に失ってしまった大事な人たち……。誰もが心の奥に隠し持っている痛みを、何か少し暖かいものに変えてくれる、そんな「愛おしい」一冊を是非とも多くの人に読んでいただきたいです。

 ちなみに本書『夢果つる街』は、『このミステリーがすごい!』(いわゆる「このミス」)の創刊号、1988年版の海外編第1位でした。国内編の1位は船戸与一『伝説なき地』で、2位が原尞のデビュー作『そして夜は甦る』だったのですね。
 ん、原尞といえば、今日は何か大事な日じゃなかったっけ? おっと、急用を思い出しました。私はここでドロン……

畠山:(…軽く引いてる…)バトンを持ったままあさっての方向に走り出していく人と、どうやってリレーをしたらいいのだろうか、私は。

 加藤さんの「愛おしい」波状攻撃は、ちょっと気持ち悪いけど理解はできる。
 序盤、ラポワントをふくむ定例メンバーでのカードゲームのシーンが実に見事で、まだろくに事件も起きていないのに、この世界にずっと浸っていたいと強く思いました。いかにも下町の男たちの与太話といった中に、ハッとするような含蓄のある言葉が盛り込まれているんですよねぇ。そこでもうノックアウト。やばい! これアカンやつや! とビンビンきました。
 他のシーンも然り。あらすじにはほぼ関わりがない、正直言えばあってもなくてもいいようなシーンでさえ、人物たちの息遣いが聞こえ、温度が伝わり、いつの間にかともに苦しみ、ささやかな楽しみを分かちあい、時に涙している自分がいるのですよ。

 一番印象に残ったのは、加藤さんもちらっと言ってましたが、ラポワントと新米刑事ガットマンの世代間対立。鉄拳制裁も辞さないラポワントと、高い教育を受け、理想を持って警察に入ったガットマンでは分かり合えるはずもありません。よくある話です。
 互いにうんざりしている二人が、ザ・メインという街を二人で歩き回り、時に危険な場をくぐり抜けたりするうちに、いつしか認め合い、ゆっくりと次のステージへ向かっていく。どっちが悪いってことじゃないんだよな、オヤジの古臭い振る舞いには経験に裏打ちされたそれなりの理由があるし、ボンボンの青臭い考え方にも一理ある。てか正論ど真ん中。
 やるせないエピソードが多い中で、気持ちをすっきりとさせてくれる二人の有り様を、ぜひ楽しんでいただきたいです。

 それにしてもね、ラポワントってかわいいおじさんだと思うの。早世した妻の面影は消えることなく、想像上の二人の娘の成長を喜び、でも体はガタがきていて、時々もうダメかも~な発作がくるたびに覚悟する。いつ死んでもかまわねぇ的にかまえてるのに、若い女性を部屋に入れるとなると慌ててあちこち掃除をしたり、ちゃんと食事を作ってあげたり。頑張れラポワント! 人生捨てるにはまだ早いそ! と彼と同年代のオバチャンは、惜しまぬ声援を送ったのでありました。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 山岳冒険小説『アイガー・サンクション』によって日本でも初お目見えしたトレヴェニアンは、その後も『シブミ』『バスク真夏の死』『夢果つる街』『ワイオミングの惨劇』など、毎回作風を変えながら納得の佳品を提供し続けてくれました。寡作ぶりに首をひねったものですが、本業が大学教授と判って思わず納得。小説は余芸だったわけですが、一作一作がそれぞれのジャンルのベスト級という出来であり、量よりも質で勝負した作家というべきかと思います。

『夢果つる街』が発表された当時は、警察捜査小説のおもしろさが日本でも浸透し始めた時期でした。マイクル・Z・リューインのリーロイ・パウダーものが人気を博し、現実感を重視した描写や人物造形に重きを置く創作姿勢などに注目が集まったのでした。それらの警察捜査小説の代表格としても本作は重要な位置づけにあります。個人的にはラポワントが保護した少女に接するやり方にも当時感心した覚えがあります。トレヴェニアンの多岐に渡る作風を一言で表わすのは難しいのですが、共通するのは大人の常識が貫かれていることではないでしょうか。彼の作品が一向に古びる気配もまく、いつ読んでもおもしろいのは、そのへんに理由があるのかもしれません。

 さて、次回はルース・レンデル『ロウフィールド館の惨劇』ですね。楽しみにしております。

 

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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