——オーバールック・ホテルへようこそ!

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!


畠山:
めっきり夏めいてまいりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回でなんと50回目を迎えました。5合目到達です。こんなに続けさせてもらえるなんて……(感涙)。このサイトを愛読してくださる皆様の優しさ、シンジケート事務局の懐の深さ、そして勧進元の忍耐力に、ただただ感謝するばかりでございます。ありがたやありがたや。引き続きゆる~い感じでお付き合い下さいますよう、お願い申し上げます。

 では今月のミステリー塾に参りましょう。お題はモダン・ホラーの帝王、スティーヴン・キングの『シャイニング』。1977年の作品です。

小説家志望のジャックは、妻子を連れてコロラドの山上にあるオーバールック・ホテルへやってきた。冬期には閉鎖されるこのホテルに、ひと冬の管理人として一家で住み込むこととなったのだ。執筆に専念するつもりだったが、自身のアルコールとそれに伴う暴力の問題に否が応でも向き合わずにはいられなくなり、ゆっくりと精神の均衡を失ってゆく。同時にホテルでは不可思議な現象が起こり、一家はどんどん追い詰められていく。そんななか、息子ダニーの中に眠る〈シャイニング〉と呼ばれる超能力が強さを増しはじめる。

 スティーヴン・キングは1947年生まれのアメリカ人。幼少期から物語を書いており、十代でSF専門誌に投稿を始める。大学卒業後、しばらくの間は経済的に苦労しながら執筆活動を続けていましたが、1974年に『キャリー』が出版されてから上り調子に。その後コロラド州ボルダーに移り住んで、この『シャイニング』を書き上げたそうです。
 映画の大ヒット以降、著書は世界中で読まれるようになりました。執筆活動も精力的に行っているので、そのセールスは桁違い。また世界幻想文学大賞やブラム・ストーカー賞は何度も受賞しています。名実ともにエンタメ小説界の「キング」ですね。
 アルコールと薬物の依存に陥った時期があり、奥様のサポート(というか喝?)で克服されたとか。その経験も作品の中に生かされていることがあるようです。
 息子さんのジョー・ヒルもベストセラー作家です。最初は自身の出自を隠していたんですってね。親がビッグネームって、メンドクサイんだろうな(笑)

 スティーヴン・キングの作品はたくさん映像化されています。その中で最も有名なのがこの『シャイニング』ではないでしょうか。原作の持ち味を知れば知るほど、映画の脚色には疑問を抱かざるを得ないのですが、圧倒的な映像美とキャスト陣の大熱演で、ホラーというジャンルを超えて映画史に残る傑作となりました。

 なんたってあの映画ポスターですよ。斧で叩き割ったドアからのぞくジャック・ニコルソンのヒャッハーなスマイル! シャイニング(=輝き)ってあの笑顔のことでしょ? ってずっと思ってたもの。
 キングが「普通の男が少しずつ狂気に陥っていく物語なのに、彼(=ニコルソン)は最初から狂ってるようにしか見えないじゃないか」と配役に大反対していたそうで、まぁ気持ちはわかります。でもそれこそジャック・ニコルソンファンにとっては誉め言葉!!
 冒頭こそ「狂った男がなんとか普通に見せようとして苦労している」感が強くて(原作の裏をかいているとしか思えない)どことなく痛々しいのですが、後半からはまさにジャック・ニコルソン劇場。爽快ともいえるあの大暴れぶりたるや、まるで水を得た魚! いいぞぉ、ジャック最高!!
しかーし! 真のボスキャラは妻役のシェリー・デュヴァルです。あの恐怖の表情はジャック&斧より怖い。林家ペーさんがパー子さんの笑い声で引き立ってるみたいな感じかな。
 そうえいば「ミザリー」のキャシー・ベイツも怖かったなぁ。いまだに彼女を見ると一瞬ゾっとする。

 気づけば映画の話ばっかりしてしまいました。仕方ないですよねぇ、だって『シャイニング』だもの。
 さて、加藤さんはホラー系って好き? 映画とかは絶対観ないタイプな気がするけど……おっと、これはホラー系はあなたの趣味に合わないだろうという意味で申し上げたのであって、半泣きでちびっちゃいそうになるからダメという意味にとったのであれば、そこはコミュニケーションの(以下自粛)。

 

加藤:まさか本当に50回を迎えられるとは感無量。そして、その50回目が超メジャー作品『シャイニング』というのも、なんだかスペシャル感があってイイ感じです。

 さて、僕がホラーが得意か得意でないかと言えば、大方の予想通りとっても苦手です。はいはいビビりですよ、悪かったですね、ほっといてよ。
 小説に関しては『シャイニング』はたまたま既読でしたが、キングの他にはマキャモンとかF・ポール・ウィルソンとか、その時々に流行ったものを恐る恐るかじったくらい。お化け屋敷もジェットコースターも出来るだけ避けて生きてきました。でも、バンジージャンプはやってみたいし、3000Mの岩の上にも立ちたいし、なんならUFOにさらわれてみたい。この心理って何なのでしょうね。

 モダン・ホラーの金字塔、スティーヴン・キングの代表作として知られる『シャニング』ですが、畠山さんも書いてるとおり、キューブリックの映画のイメージが強すぎて、「雪に閉ざされたホテルのなかで狂った父親が家族を斧で襲う話」という単純な理解のされ方になっている気がするのがやや残念。「絶賛帯」で知られる寛大な心の持ち主キングさんも、この映画には大層ご立腹だったとか。それでも、この映画が人々の記憶に残っているのは、全編からあふれる幻想感と圧倒的な映像美のなせる業なのでしょう。だからこそキングも余計に腹が立つのかも。

 ひと昔前のホラーって古い洋館や夜の墓地といった「いかにも」な舞台で異形の怪物や超常現象に次々と襲われるイメージですが、『シャイニング』に代表される、社会の歪みとか人間の心の闇、不条理なんかに由来する恐怖を描くものを「モダン・ホラー」と呼ぶんですってね。直接攻めてくるというより、想像力を掻き立てて怖がらせる感じでしょうか。
『シャイニング』のジャック・トランスは、やや癇癪持ちで酒が好きで、自己承認欲求強めではあるけど、決して悪い人間ではないし、どちらかといえば常識的で教養もある家族を愛する男。しかし、教師としても作家としてもうまくいかず、こんなハズではないと焦る心理や世間に対する不満がドロドロと淀んでゆき、最後はホテルに取り込まれてしまう。
 こうして文章で説明すると少しも怖そうではないのだけれど、ジャックの息子ダニーの超能力〈シャイニング=かがやき〉によってその異常な状況やホテルに巣くう超常的な力が読者に具現化されて伝えられるのが、この話の肝。再読すると改めて思います、ホラーとか関係なく、作家としてのスティーヴン・キングってマジ凄いって。

 

畠山:女性の方が「怖いもの」を好むかどうかはわからないけれど、少女漫画は昔からホラー作品が充実していたように思います。ありきたりの日々にすっと入り込んでくる暗闇の禍々しさ、普通の人がうっかりそこに足を踏み入れてしまうあるあるの心理。時には歴史や宗教、民俗学、文学作品などをベースにしている作品もあって、たまらなく面白かったです。子供のころにあんな質の高いものを読ませてもらえて幸せでした。マンガ大国ニッポンの人々はホラーの理解度が高く、審美眼も鍛えられているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 そうであればやっぱり読まなきゃ『シャイニング』。映画だけで終わっては勿体ない。細かな心理描写やサブキャラの魅力は小説ならではです。映画では依存心が強く弱々しい女性だった妻ウェンディが、小説ではもっとしっかりした、頑張る女性だったのは、同性として嬉しかった。
 オーバールック・ホテルの魔力(?)にアテられて徐々に崩壊していく夫と、見えざる力にややもすると取りこまれてしまいそうになる幼い息子。そこにあって彼女がひとり、現実世界にしっかり足をつけて踏ん張り続けます。その姿に読者はある種の安心感を覚えるのではないでしょうか。

 そしてダニーを助けてくれる他の〈シャイニング〉達が、いいんですよ。ダニーの危機を感じ取って、一度は離れたホテルに戻ろうとするコックのハローラン。彼もまた〈シャイニング〉なのです。ところが邪悪な力が作用するのか、なかなかスムーズに移動できず、彼も読者もイライラハラハラ。そんな時に絶妙なポイントで同じ能力を持っている(らしき)人が彼を助けてくれます。しかも「我こそは!」と名乗りを挙げて出てくるんじゃなくて、さり気なくスマートな登場。粋なんです。
 破滅と絶望に支配されそうななか、この輝くパワーに触れて、読者も元気がでてきます。『シャイニング』はただ怖いだけじゃない、善意や勇敢な心が希望を生むということも伝えようとしているのかもしれません。映画ではほとんど描かなかった部分ですので、ぜひご注目下さい。

 この一家がどうなるかは、もちろん読んでのお楽しみですが、続編『ドクター・スリープ』(同名の快眠枕があるようです。どんな夢が見られるのだろう)が出ているので、一つだけ明かしても問題ないですね。ダニー坊やは総力をあげて守った甲斐あり、無事です!

 

加藤:その『ドクター・スリープ』の凄いところは、『シャイニング』と全く違うテイストのエンターテイメントになっているところ。でも、その序盤はちょっと辛いんですよね。あの聡明で可愛かったダニー坊やが自身の持つ
〈かがやき〉に苦しみながら成長し、アル中のダメ男になっているのですから。人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえてしまう特殊能力を持つ彼は、その悩みを誰にも相談できず、またその忌まわしい能力を麻痺させるために、酒が欠かせなくなっていたのです。
 そんな彼は、腕のいい看護助手でありながら飲酒で問題を起こしてクビになることを繰り返し、居場所を転々とするという生活。しかし、辿り着いたニューハンプシャー州中部の町で温かい人々に支えられながら、AAの会で断酒に成功。同じく不思議な能力を持つ猫のアジーと一緒に、ホスピスの「ドクター・スリープ」として落ち着いた暮らしを手に入れます。そして同じころ、隣の町ではダニーの〈かがやき〉も霞んでしまうような強い〈かがやき〉を持った女の赤ちゃんが誕生し……というお話。

『シャイニング』では、ダニーの目を通して伝えられる様々な超常現象や父親の狂気の暴走、さらには壊れたボイラーなどテンコ盛りのヤバい要素を燃料に、最初はゆっくり、徐々に速度を増して約束された破滅に向かって突っ走るという感じでしたが、これに対して『ドクター・スリープ』は、前半ではじっくりと特殊な能力を持った男の苦悩と再生、そしてダニーよりもさらに強い〈かがやき〉を持つ少女アブラとの不思議な交流が描かれ、後半はその能力を狙う謎の集団との壮絶な闘いが描かれる冒険小説風。全然不気味な感じは無く、むしろ無敵の〈かがやき〉を持つ少女アブラの活躍に「いいぞ、もっとやれ」ってなる、気持ちのいい話だったりします。
『シャイニング』が世紀の傑作であることは否定しないけど、それでも『ドクター・スリープ』の方が好きって人も、実は多いんじゃないかな。実は僕もそう。

 というわけで、『シャイニング』の映画は見たけど原作未読って方は、この機会にぜひチャレンジを。文庫で上下巻なので、スティーヴン・キングの長編のなかではビギナーにも手に取りやすいサイズではないかと。そのうえで続編『ドクター・スリープ』まで読まれることを、強く強くお勧めする次第なのであります。

 そんなわけでついに折り返し地点を過ぎた「必読!ミステリー塾」、後半もなにとぞよろしくお願いします!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 スティーヴン・キングの翻訳開始は1970年代の後半でした。日本で〈モダン・ホラー〉という概念が拡散・定着していったのはハヤカワ文庫NVの〈モダン・ホラー・セレクション〉刊行が開始された1987年以降のことと記憶していますが、その時点ですでに多数の作品が翻訳されており、一般にも名の通った作家となっていました。ホラーというジャンルにキングが刻んだ功績の大きさについては改めて言及するまでもありませんが、対読者ということで考えると、むしろブロックバスターとしての影響を評価すべきではないかと考えます。
 スティーヴン・キングはブロックバスター、すなわちジャンルをまたいで読まれうる巨大な作品の書き手です。たとえば1975年の長篇『呪われた町』は、ホラーのあるサブジャンルを現代版に換骨奪胎して蘇生させた作品ですが、同時に一地方都市を多面的に描いた群像小説としても読むことができます。こうした、社会集団全体を一つの枠組みで切り取って見せるような長篇をキングは好んで書きます。彼を一口で言うならば「すべてを書き尽くしたいという異常なまでの執筆欲に取り憑かれた作家」ということになるのではないでしょうか。デビュー当時から持っていたこうした傾向に魅了され、ホラー、もしくはミステリーというジャンルについての認識を改めさせられた読者は少なくないはずです。キング以前・キング以後でこのジャンルの小説が内包しうる世界の大きさ、つまり舞台の規模や人間関係の複雑さ、全体を支配する論理構成といったものは明らかに変わりました。そうした作家への入門書を何にすべきか迷いましたが、入手しやすさと知名度を配慮して『シャイニング』とした次第です。

 図らずもキング以前・キング以後という書き方をしたところで、この連載もちょうど節目の50回となったようです。『マストリード』を出したときはまったく意識していなかったことなのですが、『シャイニング』が折り返し地点になるというのは節目としてちょうど良かったのかもしれませんね。
 この連載は畠山さんと加藤さんがどんなことをお話しになるのか事前にまったく聞かされず、いつも原稿が届いてコメントを入れる段になって初めて内容を知る形です。なるほど、そういう見方もあったのか、と感心させられる回あり、あ、この小説はあまりお気に召さなかったと見えてネタに逃げているな、と察知してしまう回もあり。杉江がいちばん楽しんで読んでおります。がんばってあと50回、ということは50ヶ月、4年超。続けていって読者と私を楽しませてください。

 さて、次回はブライアン・フリーマントル『消されかけた男』ですね。これまた楽しみにしております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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