——本物を知らないのに 偽者にココロときめく年の暮れ

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:いろいろあった2018年もいよいよ大詰め。平成最後の大晦日までもう少し。皆様、今年もお世話になりました。

 こう毎日が慌ただしいと、ついつい現実逃避したくなるのが人情ってものです。豪華客船の旅なんて憧れますねえ。吹奏楽団、テニスに興じる人々、プールサイドで寝そべる叶姉妹、夜毎のパーティー、そして殺人事件。ああ麗しき豪華客船の旅。
 そんなわけで、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回のお題は、豪華客船といえばこの一冊、ピーター・ラヴゼイの『偽のデュー警部』。1982年の作品です。

世界が第一次世界大戦の痛手から立ち直り、狂乱の20’sを迎えようとしていた1921年、ロンドンに住むウォルターは、妻で女優のリディアから一方的にアメリカ移住を告げられた。ロンドンの演劇界に見切りをつけ、旧知のチャップリンを頼ってハリウッドで銀幕デビューを果たそうというのだ。歯科医としての成功がやっと見え始めた矢先だったウォルターは、失意の末、愛人のアルマにそそのかされるまま、アメリカへ渡る豪華客船のなかで妻を殺害する計画を立てるが……。

 著者のピーター・ラヴゼイは1936年生まれのイギリス人作家。19世紀の長距離競歩レースをテーマにした『死の競歩』が出版社主催のミステリーコンテストで1位となり、1970年に作家デビュー。その後、多くの歴史ミステリーや本格ミステリーを発表し、その洒脱かつユーモラスな作風で現代を代表する人気作家となりました。『マダム・タッソーがお待ちかね』『バースへの帰還』『猟犬クラブ』でCWAシルバー・ダガー賞を受賞。『偽のデュー警部』では ゴールド・ダガー賞を受賞。

 そんなわけで、初ラヴゼイ。本作『偽のデュー警部』をはじめ、タイトルを知っている作品は幾つもあるけど、なぜかこれまで縁がありませんでした。僕の大好物である歴史ミステリーの大家だってことも今回初めて知ったくらい。どーして誰も教えてくれないかなあ。
 まずはこのキャッチーなタイトルから触っていきましょうか。本物のデュー警部は、巡査時代に切り裂きジャックの捜査にも携わったというスコットランドヤードの名刑事だそうです。しかし、彼の名を一躍有名にしたには、1910年のクリッペン博士の逮捕でした。殺した妻を自宅の地下室に埋め、愛人と共に客船で逃亡を図ったクリッペン博士でしたが、素性を見破った船員が無線で通報、寄港先で待ち構えたデュー警部に逮捕されたのでした。これは世界で初の「無線」を使った逮捕劇だったのだとか。てか、デュー警部、なにもしてないじゃん。

 その後すぐに引退して表舞台から退いたデュー警部は、この作品の舞台となった1921年には、すでに実体を失った「伝説の名刑事」だったのですね。とはいえ、我々日本人には馴染みが無さ過ぎて、「偽の」と言われても全くピンと来ないのですが、読み進めて分かったのは、そんなことはどーでもよかったってこと。
 妻を殺すために愛人とともに豪華客船モーリタニア号に乗り込んだウォルターが、自分たちの境遇と似ているクリッペン博士からの連想で、「ウォルター・デュー」を偽名に使ったことから話はおかしな方向に。自分が犯した犯罪を、自分が捜査することになってしまうのか? いやあ、これは凄い。よくこんなことを思いつくよね。でも、そんなワン・アイデアの話だと舐めていたら、話は意外な方向に……。

 

畠山:今年の流行語大賞はカーリング女子の北海道弁「そだねー」でしたね。自分が普段使いしている言葉が流行語になるのはなんとも不思議な感覚です。今年の漢字がちょいと盛り下がる字なだけに、ふわーっと鷹揚な雰囲気の「そだねー」で、少しでも明るく過ごせたらと思います。

 さて今日のお題『偽のデュー警部』は、私が唯一読んだことのあるラヴゼイ作品です。正直に言うとあまり強い印象がなく、船でドタバタしてたっけ、という程度の記憶しか残っておりませんでした。しかも古い時代設定を真に受けて、古典作品だと思い込んでいたというトボケぶり。まさか1982年の作品だったとは。それだけでいきなり見る目が変わり、まるで白黒が総天然色に変わったようなイメージでの再読と相成りました。
 
 虐げられた夫が愛人に背中を押されて高慢な妻を殺害しようとする……という超ベタな設定ながら、テンポのよさと、わかりやすくて憎めないキャラの性格づけ、大真面目な姿がクスッと笑えるところ、犯人が犯人を突き止めねばならない立場に陥るトンデモな自縄自縛、すっきり行き届いたお話の始末のつけ方など、大いに堪能。あれ? この本、こんなに面白かったの? 私は初読の時になにをボンヤリしていたのだろう?

 善人だけどイマイチ主体性のない歯科医ウォルターと、彼の飼い主とも言えるような支配型の妻リディアもさることながら、前半は愛人アルマが頭ひとつリードしてますね。語り口こそ夢見る乙女だけれど、かなりアブナイ「妄想女子」。なにせ一度会っただけの青年にすっかりのぼせて、彼と付き合い、婚約し、彼を戦地に送り、やがては「戦争で婚約者を失った気の毒な若い娘さん」になるまで何年にもわたって妄想話を周りに信じこませてしまうのです。最近のミステリー小説なら、彼女を主人公に上下巻の超イヤミスが書かれてもいいくらいですが、本書では、「一途な純情キャラ」を押し通せちゃってるのが妙に新鮮でした。
 便宜上、アルマを「愛人」と呼びましたが、実際ウォルターとアルマは男女の関係をもってないんですよね。なのにウォルターを大胆な殺害計画に進んでいく気にさせてしまう、これぞ完璧な魔性の女。てか、そんなんでいいんか? ウォルター。
 
 そういえば私は映画《タイタニック》がどこで泣いていいかわからないまま終わってしまったと白状したら、周りの人から「ついに涙腺が枯渇した」「人非人」「違う映画だったんじゃないのか?」と散々なことを言われまして、それ以来、豪華客船モノに全くときめかない体質になってしまったんですよねぇ。ところが『偽のデュー警部』は、かまえることもなく楽しめたのが不思議。心地よいユーモアセンスのおかげかもしれません。
 事情を知る関係者によると、加藤氏は《タイタニック》で鼻水垂らして泣いたらしいけどホント?

 

加藤:その年を総括するのが新語・流行語大賞であるならば、2018年は、おっさんずラブが災害級の暑さで、eスポーツは半端なく、ご飯論法でスーパーボランティアは#MeTooだし、奈良判定に至ってはもうボーっと生きてんじゃねーよ! そだねー! って感じの年だったってことでしょうか。なんだこれ。

 どーでもいいけど、《タイタニック》で鼻水垂らして泣いてたなんてデマを流してんじゃねーよ。僕が鼻水垂らして泣いたのは(泣いたんか)、同じような時期に観た《アルマゲドン》。伝説のクソ映画だけど、娘を残して死んでゆく主人公に感情移入しすぎて、周囲のドン引きを感じながら泣いたっけ。そんなわけで、いまだにベン・アフレックを許すことができません。

 さて、『偽のデュー警部』。本作の舞台は、いまから約100年前。発表された1982年の時点では60年前の話でした。チャーリー・チャップリンがアメリカで成功し、エンターテイメントの世界に、まだ無声の映画が台頭してきたのがこの頃。歴史モノというにはあまりに時代が近すぎる気もするけど、その時代の設定であることに意味があって、その時代の空気が感じられるという意味では、本作は素晴らしくよく出来た歴史ミステリーと言えると思う。

「偽のデュー警部」となったウォルターだけど、案外なんとかなるもんで、やることなすこと、まわりが勝手に好意的に解釈してくれるのが面白い。ウォルターの不可解な言動に戸惑いながらも「伝説の名刑事のやることだからきっと何か意味があるに違いない」って。そして、乗客たちはこぞって名刑事に情報を持ち寄ってくる。
 そして、ウォルターの名刑事ぶりが板についてきた頃、読者は、事件が当初思っていたものとはちょっと違ってきていることに気付くのですね。この話の落しどころはどこなのか? そもそも解かなきゃいけない謎なんてあったっけ? もう大西洋の真ん中で迷子状態。偽警部のというか、作者の術中にマンマとハマってしまっておりました。

 豪華客船を舞台にしたミステリーといえば、今年前半の翻訳ミステリーシーンを引っ張ったセバスチャン・フィツェック著『乗客ナンバー23の消失』は面白かったなあ。豪華客船って、逃げ場のない状況という意味では、吹雪の山荘や絶海の孤島と同じだけど、決定的に違うのは、心地よくも落ち着かない不思議な非日常感だよね。
 何が起こっても不思議じゃない、むしろ何かが起るに違いない、それが豪華客船の旅。ああ面白かった。

 

畠山:豪華客船の非日常性、徹底したアミューズメント性って、一度体験してみたいよね。なんでもアリに思えてしまうあの空間なら、歌いながらタイタニックごっこをやりますよ、私は。「感動して泣きました!」って言いきります。ああ、こうして豪華客船には怪しい人物が増えていくのかもしれない。

 最初は「この人たちはどこまで本気(で殺人をする気)なんだろう?」と心配になるほどの緩さというか、大らかさのある展開です。よく言えばギスギスしていない。
 そもそもこれから殺人を犯そうとしている人が、世に知らない人はいないような刑事の名を騙っちゃうのですから、いい意味で軽いノリです。
 ところで日本で「伝説の名刑事」といえば平塚八兵衛でしょうか。うーん、今ではわかる人が少ないでしょうねぇ。あ、若者諸君、貴方たちはいきなり「それ誰ですか?」と訊かずに、まずはそっとググるように。年長者への配慮というものを学んでいただきたい。そういう私も銭形警部の下の名前が「幸一」であることを先ほどググって知りましたがね。

 加藤さんも言うように、ウォルターが巻き込まれつつも名刑事に成長(笑)していく過程が面白く、まさに「虐げられた夫」の天与の才(いや嫁与の才というべきか)を見せつけられる思いでした。うちの亭主は何を言っても柳に風、ロクに口答えもしやしないとお思いの奥様、お宅のご主人、案外底力がおありかもしれませんよ。夫の三歩前を歩く私が言うのだから間違いない。

 その緩め、軽めの持ち味はそのままに、話はどんどん予想しない方向に進んでいきます。大富豪から小悪党までバラエティ豊かな乗客たちの行動が、縦糸と横糸のように少しずつ織り込まれていき、やがて全体像が明らかになった時、実はかなり骨太な物語で、だてにこの時代設定ではなかったのだとわかって驚きます。あらためて振り返ると、いろいろな場面が実に巧妙に書かれているんですね。なんだかすごいもの読んじゃったー!と率直に喜べました。
 しかも読後がいい。さっぱりしていて洒落ていて、ほんの少し苦さのあるオトナの終わり方です。週末のリフレッシュに最適な読み物ではないでしょうか。
 
 さて、今年も翻訳ミステリー大賞の候補作が出揃いました。
『IQ』『あなたを愛してから』『カササギ殺人事件』『そしてミランダを殺す』『用心棒』の5作です。すでにお読みなった本はあるでしょうか?
この中で『カササギ殺人事件』は1/9に松山、3/2に名古屋で、『用心棒』は3月に西東京で読書会が開かれます。大賞候補作を読み、読書会で語り、4月の大賞決定を待つというウキウキワクワクな日々を共に過ごしましょう!
 読書会は全国各地で開かれていますのでご興味ある方はぜひ足をお運びくださいませ。ちなみに札幌は、雪解けの3月に今月出たばかりの超新作『ブルーバード、ブルーバード』で読書会を行います。お待ちしておりますよ~~!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 日本で初めて翻訳されたピーター・ラヴゼイの長篇は本国では1970年に発表されたクリッブ巡査部長ものの第一作『死の競歩』(ハヤカワ・ミステリ)です。ラヴゼイはもともとスポーツ・ジャーナリストとして活動していましたので、取材をして興味を持った19世紀の耐久競歩を小説の形で書くことを思いついたのでした。これはラヴゼイのデビュー作でもあり、第二作『探偵は絹のトランクスをはく』(ハヤカワ・ミステリ)が素手によるボクシングを題材にしているのも、前作の路線を踏襲したものといえます。

 ラヴゼイには三つのシリーズ作品があります。一つは上記のクリッブ巡査部長もの、二ツ目はそのシリーズを終わらせた後に『殿下と旗手』『殿下と七つの死体』の二冊を書いた、英国皇太子アルバート・エドワードを主人公にした連作です。ここまでのラヴゼイはどちらかといえば歴史ミステリーの書き手と言ったほうが座りのいい作家でしたが、1991年の『最後の刑事』(ハヤカワ・ミステリ文庫)で英国ミステリーの常道ともいえる路線、すなわち個性あふれる警察官による捜査小説を開始しました。これがピーター・ダイヤモンド警視シリーズです。これは現代ものですが、古典的探偵小説の趣向が随所に取り入れられ、ラヴゼイの集大成というべきシリーズになっています。

『偽のデュー警部』が発表された1982年はラヴゼイがクリッブ部長刑事ものを終了させてから4年の空白期間があったあとで、ここからしばらく非シリーズ作品が続きます。次の『キーストン警官』は1910年代のハリウッドが舞台の喜劇要素が強い作品、『苦い林檎酒』では〈過去の殺人〉として1940年代の殺人事件を調査する物語、前出の『殿下と旗手』を挟んで発表された『つなわたり』は第二次世界大戦直後のロンドンを舞台にしたクライム・サスペンスと、歴史的過去に登場人物を置いて、さまざまなプロットをラヴゼイは試していきます。その結果が『最後の刑事』につながるのです。

『偽のデュー警部』は、警察官を主人公にした英国ミステリーの正統的な作風でデビューした作者が、自身の可能性を模索していた時期に書かれた作品です。豪華客船上という閉鎖空間に登場人物を閉じ込めることで醸し出されるサスペンスが本作の第一の魅力でしょう。また、殺人事件の謎を解く話として見せておいて実は、と背後で進行していた出来事を最後に明かすというプロットは「何が起きているかわからない物語」という現代的ミステリーの先駆けといってもいいと思います。舞台こそ時代がかっていますが、その中で繰り広げられるのは現代的かつ実験的なプロット、というのが本書が古びない理由なのではないでしょうか。

さて、次回はサラ・パレツキー『サマータイム・ブルース』ですね。これまた期待しております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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