不世出の天才シンガーのあまりに短すぎた生涯を追ったドキュメンタリー映画『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~(Whitney)』(2018年)に、ただただ涙した。ホイットニー・ヒューストンの、その可憐な容貌とあいまって、その突然すぎた旅立ちへのカウントダウンを詳らかに見せつけられ、あらためて心を締めつけられてしまったのだ。
 アリスタ・レーベルからのデビュー・アルバム『そよ風の贈りもの(Whitney Houston)』(1985年)の驚異的な大ヒットを皮切りに、シンガーとしての世界的成功。そしてそれにとどまらず、その人気の絶頂期には、映画『ボディガード(The Bodyguard)』(1992年)に出演。白人の人気男優ケビン・コスナーと熱いキスシーンを演じるなど話題を呼び、興行収入でも大成功を収め、アフリカ系アメリカ人にとって新たな道を切り拓くことになった。当時まだアパルトヘイトの体制下にあった南アフリカ共和国では、公開時にスタンディング・オベーションが沸き起こったという。だが、のちに彼女の葬儀で弔辞を述べた共演者のコスナーは、やはり彼女の出演が決定されるまでには大きな障壁があったと告白している。
 全米黒人地位向上協会の発足以降、マルコムX、マーティン・ルーサー・キング牧師らの活動を経て、エンターテインメントの世界でもホイットニーのような瞠目の活躍を見せる逸材が相次いで登場し、政界では2009年にオバマが黒人初の大統領に就任。一歩一歩変革されてきた人種および性差別撤廃への道は、ここにきてトランプ政権のもとでふたたび足踏み状態へと迷い込んだ。“自由の国”アメリカは、クー・クラックス・クランありし頃のように、歴史をふりだしに戻しかねない様相を呈している。
 


 現代においてもくすぶり続けているそんな人種の問題を基部に置きながら、人間の根源的な愛憎を描出し、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長篇賞、英国推理作家協会(CWA)賞スティール・ダガー賞、アンソニー賞長篇賞受賞という三冠を成し遂げた作品がある。黒人女性作家アッティカ・ロックの長篇第4作にあたる『ブルーバード、ブルーバードBluebird, Bluebird)』(2017年)である。
 舞台はテキサス州の田舎町。家族同然の知人にかけられた殺人容疑に関連して停職処分中にある黒人テキサス・レンジャーのダレンを主人公とする、いわば社会派ハードボイルド・ミステリーなのだけど、むしろ濃密な人間ドラマといっていい。
 都会から訪れていた黒人弁護士マイケルの死体がバイユー(沼沢地)からあがった数日後に、地元のバーで働く白人女性の遺体が発見された。発見の順番が逆ならば、白人女性を殺した黒人男性への制裁としての殺害事件ということで、この地方ではありえなくはない筋書きとなるのだが、二つの事件に関連があるとしたらこの順序は何とも妙だった。不審に思った友人のFBIエージェントから調査を依頼されたダレンは、ラークという小さな町に向かう。
 そこには町の創建に貢献した長ともいえる一族ジェファソン家の三代目ウォリーの大きな屋敷があり、通りを隔てたところにはかつて使用人だった黒人女性ジェニーヴァの営業するカフェがあった。女性の遺体が発見されたのはこの店の裏手。ジェファソン家が経営するアイスハウス「ジェフの酒場」で働いていたのが、殺された女性だったのだ。ここには白人ばかりが集まっていて、黒人ばかりのカフェとは真逆の客層。二人の被害者にはいったい何の接点があったのか。
 一方でダレンの身辺にもさまざま問題があることが伝えられていく。妻との不仲、アルコール依存の母親との確執、さらには被害者マイケルの妻ランディとの微妙な関係まで。
 自身をめぐる問題とリンクするかのような町の人々の複雑な人間関係をダレンが探るにつれて、この田舎町そのものが一つの大きな血族のようなものであり、その歴史の中に渦巻いた愛憎が陰惨な悲劇を生み出すことになってしまったことがわかってくる。そして、彼を待ち受けているのは、いったい正義とは何なのかを自分に問うことになるようなラストの展開。
 まだ消えやらぬ差別の壁、歪んだ愛ゆえの犯罪、人間の業の深さ――この1冊にそれらが凝縮され、しかも過去を掘り下げていくカットバックの巧みな手法と滋味あふれる文学性とで、みごとな物語世界を築いた傑作なのでした。


 そしてそして、驚かされたのが、数年前に日本紹介されていながらチェックもれで未読だったロックのデビュー長篇『黒き水のうねりBlack Water Rising)』(2009年)。
 デビュー作にはその作家のすべてが詰まっている、とはよく言われるけれど、『ブルーバード、ブルーバード』に勝るとも劣らないどころか、個人的にはこちらの作品のスケールの大きさ、重厚さ濃密さに、まさに圧倒されてしまった。その完成度の高いこと。しかも、読後には言いようのない慟哭が深奥から湧き出てくるかのような感覚が。
 物語の舞台となるのは1980年代のテキサス州ヒューストン。“口はとじておけ。下を向いたままでいろ。話しかけられたときだけ話せ――”まだまだ人種差別の横行している時代という設定だ。学生時代に逮捕歴のある弁護士ジェイが主人公。理想を掲げて計画した公民権運動の集会が思いもよらぬ過激な暴動の場と化してしまい、その首謀者として有罪確定必至の裁判で黒人の陪審員たちに救われかろうじて無罪となった過去が、彼を法律の道に進ませることになる。
 弁護士として最初に手掛けた裁判でみごとに勝利をおさめたはいいが、それが黒人青年を救うための無料の事案だったために、以後、彼を訪ねてくるのは弁護費用など払えない貧しい依頼人ばかり。現物支給も当たり前ということで、身重の妻のバースデイを祝おうとムーンライトクルーズに誘うのだが、釣り船を何とか飾っただけの小さな船も弁護費用の代り。そこで遭遇してしまったのが、何者かに襲われて逃げてきたと思われる身なりのいい白人女性と、2発の銃声。黒人であること、過去に逮捕歴があることから、事件性のあることに関わりたくないジェイは、怯える女性を警察署の前まで送り、この夜のことを忘れ去ろうとするのだが、事件の真相が気になって仕方がない。結果、白人男性が射殺されたことがわかるや、みずから事件に巻き込まれていく。
 一方、義父にあたる教会牧師はとある協力要請のためにジェイを呼び出す。港湾労働者には白人と黒人とで異なる組合組織があり、統合を命じられていながらも人種的問題から争いが絶えない状況にあった。そんな中、ストライキが計画されているのだが、その集会直後に黒人青年が白人グループに暴行に遭う事件が発生したというのだ。牧師は警察にその事件を追ってくれるよう、ジェイと面識のある女性市長に掛け合ってほしいというのだった。
 大まかには、この謎の女にからむバイユーでの殺人事件と、労働争議がらみの暴行事件を中心に物語は進んでいくのだが、そこにはジェイの過去自体も大きく影響していく。そして、このジェイの人物造型がまた素晴らしい。学生運動時代に培ったリーダーシップをもちながら、黒人であることから逮捕による虐待を経験し、怯えも知っている。強さと弱さを共存させた、なんとも人間臭さをもった彼が、次第に孤高の闘志をたぎらせていくことになるあたりが、本作のいちばんの読みどころなのだ。
 中島みゆきじゃないけれど、縦の糸が2つの大きな事件、横の糸が主人公の半生。そこに思いもよらない大きな企みが斜めの糸として複雑にからんでくる。文庫にして600ページ超えの大部な作品でありながら、まったく無駄がなく、その濃密さを堪能できる小説。重厚な社会派ミステリーで、かつ人間味あふれる熱いドラマ。素晴らしいです。その後調べてみると、2011年に邦訳刊行された本書がその年の海外ミステリー・ベストを選出するアンケートにまったくかすってもいなかったという事実を知って、これまた驚愕(ちなみにこの年のベスト1はデイヴィッド・ゴードンの『二流小説家』だったかと)。ミステリー好きを自認できないほど、恥ずべきチェックもれでありました。反省しきり。

『ブルーバード、ブルーバード』の解説を手掛けられた吉野仁氏の指摘にもあるように、全篇にわたって、ブルースを中心に音楽が彩りを添えている。デビュー作ともどもそうなのだけれど、そして、そのことがたんに彩りだけではなく暗喩的な意味合いを付加していることも読者には伝わるだろう。『ブルーバード、ブルーバード』が現代を舞台としているのに対して、『黒き水のうねり』の舞台は1980年代。いっそうその意味するものは如実だ。
 黒人のテリトリーの象徴として流れるブルース、そしてその発展形としてのリズム&ブルース。そう、黒の音楽。ライトニン・ホプキンス、マディ・ウォーターズ、チャーリー・プライド、ジョン・リー・フッカー、アルバート・コリンズ、ボビー・ブランド、バディ・ガイ、ココ・テイラー、フレディ・キング。そして、サム・クック、オーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、ボビー・ウーマック、クール&ザ・ギャング、カメオ、ザ・ギャップ・バンド、リック・ジェイムズ&ティーナ・マリー、コモドアーズ、レイ・チャールズ、マイケル・ジャクソン、ベティ・ライト、ザ・デルズ、ブッカー・T&ザ・MGズ、アレサ・フランクリン、ジョニー・テイラー、マヘリア・ジャクソン、エッタ・ジェイムズ、ウィルソン・ピケット、O・V・ライト、ジャッキー・ウィルソン……。
 それと対極にある白人のそこにはカントリー・ミュージック。白の音楽。ケニー・ロジャース、コンウェイ・トゥウィッティ、ウェイロン・ジェニングズ、チャーリー・ダニエルズ・バンド、クリスタル・ゲイル、ジョージ・ストレイト……。
 それはあたかも人種の差異を表明するかのようにぶつかり合って、相容れない。作者のロックは作中でそれを明確に描き、そこから察せられるように彼女が歌詞を引用して登場人物の心情を映し出すのに用いるのは、ほぼ黒人サイドの歌だ。
 心の安定を求める弁護士ジェイは、オーティス・レディングの「セキュリティ(Security)」をレコードで聴く。被害者の妻に抑えがたい感情を抱きつつバーで同席しているテキサス・レンジャーのダレンは、サム・クックの「それが大事(That’s Where It’s At)」が聴こえると、この一瞬を大切にしたいとどこかで願う。

 そんな中で、かつてはそれに対して未来へとつなげていく一つの回答と言ってもいいアプローチが実現したことがある。オリジナルのコンピレーション・アルバム『リズム・カントリー・アンド・ブルース(Rhythm, Country & Blues)』(1994年)である。
 カントリー界とリズム&ブルース界のスターたちが、それぞれのジャンルの名曲をデュオで披露するという内容だった。
 ヴィンス・ギル&グラディス・ナイトが、アシュフォード&シンプソンの代表作「恋はまぼろし(Ain’t Nothing Like A Real Thing)」を、サム・ムーア&コンウェイ・トウィッティが「雨のジョージア(Rainy Night in Georgia)」を歌い、ジョージ・ジョーンズ&B・B・キングがオリジナル曲「パッチズ(Patches)」をデュエットする。
 白と黒とが互いに歩み寄った、まさにスティーヴィー・ワンダー&ポール・マッカートニーの「エボニー&アイボリー(Ebony & Ivory)」的な企画だったといえるだろう。ただし、こうして徐々に小さくなっていったその火種には、いまや油のたっぷりとしみ込んだトランプのカードがさらに投げ加えられつつあるわけだけれど。

 ついでながら、ブルースがらみのミステリーについても触れておきたい。
 以前にこの連載でも取り上げたけれど、めずらしいワン・ストリングス・ギターへの言及もあるトム・フランクリン&ベス・アン・フェンリイたとえ傾いた世界でもThe Tilted World)』(2013年)。主人公がブルース・ギターに心酔して、白人ながら黒人のブルース・バーに通いつめるが、あこがれの黒人の女性シンガーに、あんたにゃブルーズがない、と拒絶されてしまうシーンが印象的だった。


 また、ロバート・B・パーカー死後に探偵スペンサー・シリーズを書き継いでいるエース・アトキンスは、元プロフットボール選手で現在は音楽史で教鞭をふるうニック・トラバースが登場するシリーズ作品を以前に発表。デビュー作『クロスロード・ブルースCrossroad Blues)』(1998年)から、伝説のブルース奏者ロバート・ジョンソン生前最後の録音となった“幻のレコード”をめぐるミステリーで、シリーズ第3作となる『ディープサウス・ブルースDark End of the Street)』(2002年)では、やはりブルース歌手の失踪事件を追う。こちらもぜひぜひ。

 話を戻すけれど、『黒き水のうねり』で描かれる、労働争議と公民権運動とのぶつかり合いでは、人種の平等を目標としているだけとは言えないある種の過剰な民族論理というものにも触れられていて、一つの問題提起となっている。たとえば差別撤退の意図から黒人ばかりを現場監督に引き上げれば、それはそれで正しいとは言えない。
 思えば、世界の歌姫として認められたホイットニー・ヒューストンも、世界レベルとなり、よりポピュラーな歌唱を求められるようになったときに、黒人の歌じゃなくなっていると同族からのバッシングの対象とされていたこともあった。
 法律の問題もまた、人が人を裁くという面で真っ白とは言えないあたりに通底するものがある。そういった多くの矛盾を孕んだ問題をあえて重層的に取り上げて描いてみせたことに、このデビュー作『黒き水のうねり』の凄みを感じるのは、小生だけではないはず。その法の正義の問題もテーマに掲げたのが『ブルーバード、ブルーバード』。どちらも必読です。

 さて、ひょっとしたら作者がシリーズ化も視野に入れているかもしれない、テキサス・レンジャーのダレン・マシューズ。『ブルーバード、ブルーバード』はTVドラマ化が予定されているそうだけれど、『黒き水のうねり』で、白人によっていわれのない暴力をふるわれて重傷を負う黒人青年にも、このダレンという名前が使われている。臆病さと大胆さを併せ持ったキャラクター設定なので、ひょっとしたら彼の前身? と期待したところ、残念ながら名字が違っておりました。

◆YouTube音源
■”Tom Moore Blues” by Lightning Hopkins

*テキサス州生まれの人気ブルースマンだったライトニン・ホプキンスの代表曲のひとつ。『ブルーバード、ブルーバード』のエピグラフに使われている。

■”Lonesome Road Blues” by Muddy Waters

*シカゴのブルース・シーンでは1950年代頃からエレクトリック・バンドによる演奏が誕生。中心となったマディ・ウォーターズの代表曲が「ロンサム・ロード・ブルース」だ。

■”Bluebird” by John Lee Hooker

*独特のブギ・スタイルを確立し“キング・オブ・ブギ”とも呼ばれたジョン・リー・フッカーはブルースのシンガー&ギタリストとしてもっとも有名なアーティストの一人。『ブルーバード、ブルーバード』のタイトルのもとになったのがこの曲「ブルーバード」。

■”That’s Where It’s At” by Sam Cooke

*ソウル・シンガー、サム・クックの「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」と並んでメッセージ性の強い曲。

■”Security” by Otis Redding

*「ドック・オブ・ザ・ベイ」でおなじみのソウル・シンガー、オーティス・レディングの初期のナンバー。経済的に危機を迎えて弁護士事務所から帰宅する主人公ジェイの心情を映し出している。

◆関連CD
『そよ風の贈りもの(Whitney Houston)』by Whitney Houston

*シシー・ヒューストンの実娘にして秘蔵っ子の1985年デビュー・アルバムで、「すべてをあなたに(Saving All My Love for You)」、「グレイテスト・ラブ・オブ・オール(The Greatest Love of All)」収録。全世界で2,300万枚のセールス記録を持つ。

『リズム、カントリー&ブルース(Rhythm Country & Blues)』by Various Artists

*カントリーとリズム&ブルースの人気アーティストたちによるまさかの夢の競演。それぞれのジャンル当代の名曲が絶妙のコラボで甦るオリジナル・コンピレーション・アルバム。

◆関連DVD
●『ボディガード(The Bodyguard)』

*1992年作品。ローレンス・カスダン制作・脚本。ケビン・コスナー、ホイットニー・ヒューストン主演の大人気映画。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

◆【連載エッセイ】ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く バックナンバー◆

 
■映画『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』予告編■