またもやその昔の話です。
 ロックの歴史的名盤の一枚とされるビーチ・ボーイズのアルバム『ペット・サウンズ(Pet Sounds)』(1966年)誕生前後のエピソードなどを自らの想いと重ねて綴った、ジム・フジーリの『ペット・サウンズ(Pet Sounds: 33 1/3)』(2005年)というノンフィクションの翻訳本を、当時もっとも尊敬していた先輩編集者のSさんが担当していたときのこと。編集の現場からずいぶんと離れていた自分のデスクの上に、その原書と控えのゲラ刷りが忽然と置かれていた。
 ポピュラー音楽関係の本だから内容をチェックしてほしいという無言の圧力で、お世話になっている先輩のことだから断れるわけもなく、その日から原文とのにらめっこを始めた。とはいえ、求められているのは和訳のチェックや訳文の磨き上げのわけもなく(高名な翻訳者さんですから)、和音コード進行やハーモニー、楽器など、具体的な音楽関係のチェックなのだと察し、コードネームを確認するのにギターやピアノで音をとるために『ペット・サウンズ』をあらためて聴きまくる羽目に陥った。

 そんな地道な作業、じつは無駄ではなかったようで、実際、原文にはコード名が間違っている箇所も見つかって、少しはS先輩の手助けになったかなと胸をなでおろした記憶がある。
 何よりもそんなふうに関わらせてもらったことで、もとから好きだったこのアルバムの凄みを実感させられたのも事実。あらためてリーダーのブライアン・ウィルソンが、自らの想いのたけを込めた、実質的なソロ・アルバムと言っていい作品だったことも再確認できた。
 そこには、アイドル人気のバンドというだけで終わりたくないアーティストとしての矜持みたいなものが強くあったのだろう。でも、そんな入魂のアルバムも発表当時は世間からの評価が低く、何十年も経ってようやくロック史に名が刻まれる名盤だと再評価されることになった、というのは有名なお話でしたね。
 そういえば、そんな想いに囚われていたアーティストがブライアン率いるビーチ・ボーイズだけではなかったことを、すっかり忘れていた。同時期にアメリカで大人気だった4人組バンド、ザ・モンキーズのことだ。

 ザ・モンキーズといったら、「恋の終列車(Last Train to Clarksville)」、「アイム・ア・ビリーバー(I’m a Believer)」とか「デイドリーム・ビリーバー(Daydream Believer)」などのヒット曲が即座に思い浮かぶ、1960年代のアイドル・バンドのイメージだろう。当時英国で大人気だったビートルズの二匹目のどじょうを狙う計画はいくつもあったろうけれど、彼らもまた、TV番組「ザ・モンキーズ・ショー」と連動したオーディションによって結成されたバンドだった。とはいえ、4名のバンドメンバーの半分は事前に内定しているなど、“出来レース”感の強い企画だったという。
 メンバーは、デイビー・ジョーンズ(ボーカル/パーカッション)、ミッキー・ドレンツ(ボーカル/ドラムス)、マイク・ネスミス(ボーカル/ギター)、ピーター・トーク(ボーカル/ベース)。なかでもネスミスはソングライターとして優れた才能を持っていた(グループ解散後に結成した自身のファースト・ナショナル・バンドは、「シルバー・ムーン(Silver Moon)」などのヒットも生み、カントリー・ミュージックの世界で成功を収めている)。
 ザ・モンキーズは、デビュー・アルバム『恋の終列車(The Monkees)』(1966年)からして大ヒット。500万枚を超える売り上げで、一躍スターダムにのし上がるが、メンバーと製作サイドには軋轢があった。スーパーヴァイザーとしてアルバムづくりから何からすべてを仕切っていたドン・カーシュナーは、スタジオ・ミュージシャンが演奏した音源でのアルバムをメンバーに内緒で発売してしまっていたというから、ひどい話だ。さらに、シングル曲のB面カップリングとして、ネスミス作の曲が収録されるはずだったのを、カーシュナーが勝手に他の楽曲と差し替えて発売しようともしたという。激怒したネスミスは力技で正規のものをリリースさせ、カーシュナーらを現場から追い出し、自分たちの思うように自ら演奏するアルバムをつくりあげた。
 彼らが反旗をひるがえしたこのアルバムというのが、3枚目の『灰色の影(Headquarters)』(1967年)ということになる。以後、よりアーティスト性を全面に打ち出していくザ・モンキーズは、5枚目のアルバム『小鳥と蜂とモンキーズ(The Birds, The Bees, The Monkees)』(1968年)に収録された「デイドリーム・ビリーバー」のヒットなどもあったにも関わらず、徐々にその人気を衰えさせていった。
 彼らはただ、着せ替え人形のようなアイドル・グループではなく、本物のバンドになろうともがいただけだったのだけど。そう、ブライアン・ウィルソンが『ペット・サウンズ』をつくらずにはいられなかったように。

 じつは、すっかり忘れていたそんなザ・モンキーズのあれこれを思い出させてくれたのは、一冊のミステリーだった。それはアメリカですらなく、アイルランドはダブリン育ちの小説家クイーム・マクドネルによるデビュー長篇『平凡すぎて殺されるA Man with a One of Those Faces)』(2016年)。その邦題のインパクトだけでなく、ミステリー読者のハートを摑んで離さない筆力をそなえた、巻き込まれ型サスペンスの傑作なのだった。

 主人公はわけあって無職の青年ポール。誰にでも間違えられやすい平凡な顔立ちを持っているため、他人を孫と思い込んで話しかけるような認知症の御老人の話し相手となるアルバイトなんぞをしたりもする。あるとき、看護師のブリジットからの頼みで慰問した病室で老人が突如激高し、ポールは肩を刃物で刺されてしまうという騒動が勃発。その直後、件の老人は心臓発作で死亡してしまうのだが、その日から、刺客を送り込まれたり車に爆弾を仕掛けられたりと、ポールは命を狙われるようになる。
 やがてこの騒動の陰には、三十年前に起きた花嫁強奪がからんでいることがわかってくる。というのも、その事件の犯人グループの一人ジャッキー・マクネアは逃亡中に死亡したとされていたが、このジャッキーがポールを刺した老人だったとわかる。事件自体は、『オペラ座の怪人』がごとき面相の資産家クルーガーが娶った絶世の美女が、ゲリー・ファロンというギャングらに誘拐されたというもの。主犯ゲリーと弟のフィアクラ、そしてゲリーの親友ジャッキーによる犯行だったが、その後、美青年と評判の高いフィアクラと花嫁が姿を消したため恋の逃避行という結末を迎えたのではと憶測され、その経緯を綴った『愛の人質』なる本まで出版された。
 ブリジットとポールは、おそらくジャッキーの死に際に何か重大な秘密を聞かされたのではないかと疑われ命を狙われているらしい。必死の逃亡をつづけながら、何とか活路を見いだせないかとラプンツェル事件の真相をあらためて調べ始めることになる――。
 
 みごとなほど正しく巻き込まれ型の主人公なのだけど、このポール、平凡な顔立ちとは裏腹にまったくもって口の減らない青年だ。その皮肉な物言いが作品全体をユーモアで覆いつくしている。さらに登場人物はどれもきわめて個性的。なぜだかポールと逃げまわる羽目になる看護師ブリジットも言葉では負けていないし、嫌なやつなんだか面倒見がいいやつなんだかわかりづらいがポールを庇護しようとする刑事バニーの存在も強烈だ。
 バニーの同僚で引退間近のスチュアート警部補も、その部下で抜けてるのか優秀なのか不明なウィルソン刑事も印象深いけど、ポールとブリジットが匿ってもらう80代の老嬢ドロシーなんかはとりわけ魅力的で、ポールのことを孫のグレゴリーだと思い込んでいて(とポールが思い込んでいる)、汚い言葉を使うときには「ムそったれ」というふうにmを使う。
 それも氷山の一角なのだけど、個性あふれる登場人物たちの対話がこの作品の大きな魅力のひとつであることは確かだろう。
 しかも、ポールとブリジットのカップルを待ち受ける結末は、これ、ほんとうに思いもよらないものなのだった。キャラクターの魅力と周到な謎という点で、アレン・エスケンスの『償いの雪が降るThe Life We Bury)』(2014年)や、ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人A Good Girl’s Guide to Murder)』(2019年)などをワクワクしながら読まれた方ならかならずや楽しんでいただける作品だと思う。

 作中、ザ・モンキーズの光と翳とも言うべき前述の話題がポールによって語られるのは、毎週月曜日に慰問に訪れているドロシーの屋敷でのシーン。孫のものと思われる部屋に置かれたレコードプレイヤーには、ザ・モンキーズのアルバム『灰色の影』がのせられていて、1曲目の「ユー・トールド・ミー(You Told Me)」をポールがまさにかけようとしている。それから彼のモンキーズ愛が語られていくのだけれど、はてさてこの記述、じつは8ページにも及ぶ。ザ・モンキーズを偏愛しているという性格づけのためだけとは思えないページ数なのである。たんなる小説的装飾とは思えない節がある。
 思えば、本書で紐解かれていくラプンツェル事件の隠された真相は、 おとぎ話化された『愛の人質』からだけでは浮かび上がってこなかったわけだし、楽しげに映る4人のメンバーの顔写真をあしらったジャケットからは、初期のザ・モンキーズが置かれた苦境は想像もできない。そんな残酷な事実を、著者のマクドネルは重ね合わせてみせたのかもしれない。反旗を翻したアルバム『灰色の影』では、ネスミスだけが、ニコニコしている他のメンバーとちがってストイックな表情をしているという描写が、すべてを物語っている気がしてくる。
 自らの音楽を追求するあまり巷の評価が低かった『ペット・サウンズ』は、何十年という時を経てロック史に残る名盤と再評価されたけれど、同様の志で『ヘッドクォーターズ』をつくったモンキーズは、ビーチ・ボーイズのようにはいかず、その人気は徐々に下り坂となっていった。けれども、マイク・ネスミスはけっして後悔していなかったように思える。
 かつてのモンキーズが、凡百の寄せ集めアイドル・バンドからの脱却にもがいたように、主人公ポールもまた、平凡すぎる顔と人生からなんとか脱却できるのか、今後のシリーズ化が期待されることは間違いない。

◆関連書籍

◆YouTube音源
■”Last Train to Clarksville” by The Monkees
*ザ・モンキーズのデビュー曲となるこの「恋の終列車」を収録したデビュー・アルバム『恋の終列車(The Monkees)』は、全米で500万枚以上のセールスを記録したという。

■”Daydream Believer” by The Monkees
*シンガーソングライター、ジョン・スチュアートの提供曲で、全米ナンバー1の大ヒット。日本では、忌野清志郎率いるザ・タイマーズによる日本語版が1989年にヒットした。

◆関連CD
■”Pet Sounds” by The Beach Boys

*1966年発表のビーチ・ボーイズのアルバムだが、実質的にはリーダーのブライアン・ウィルソンのソロ・アルバム的な内容。ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)』(1967年)に影響を与えたとされる。

■”The Monkees” by The Monkees

*500万枚を売り上げた、ザ・モンキーズのデビュー・アルバム。

■”Headquarters” by The Monkees

*ザ・モンキーズが初めて自分たちの楽曲と演奏で作り上げたサード・アルバム。

■”Changes” by The Monkees

*ザ・モンキーズのアルバムで全米チャート100位内にも入らなかった、1970年発表の作品。

◆関連DVD
■『ザ・モンキーズ恋の合言葉HEAD!』

*1968年製作の30話ほどの諷刺のきいた人間ドラマ。ザ・モンキーズが音楽と出演を兼ねた。製作・脚本には、ジャック・ニコルソンも名を連ねていた。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

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