このところ、音楽アーティスト関係映画の公開ラッシュが続いている印象だ。クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』(2018年)あたりから、やけに多くなった気がする。それも、たんに人物評伝ばかりではなく、スパイク・リー監督『アメリカン・ユートピア(David Byrne’s American Utopia)』(2020年)のように、デビッド・バーン(元トーキング・ヘッズ)のライヴ・コンサートの模様を丸々映像にて公開し、ロングランの大ヒットを記録したものだってある。
 今年に入ってからも、セロニアス・モンク、スージー・クアトロ、フランク・ザッパ、a-haと、猛ラッシュ。なかでも、パーキンソン病を患い一線を退いてから久しいリンダ・ロンシュタットのいまの顔と声に出会える『リンダ・ロンシュタットサウンド・オブ・マイ・ヴォイス(Linda Ronstadt: The Sound of My Voice)』(2019年)などには、思わず涙ぐんでしまうほどだった。
 この映画のなかに、リンダのデビューのきっかけとなったLAのウエストハリウッドにあるライブハウス〈トラバドール〉が登場するのだけれども、当時この店で演奏していた顔ぶれが錚々たるものだった。バーズ、キャロル・キング、ニール・ヤング、ジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット、イーグルス、J・D・サウザーなどなど。そんななかに、あの、何かとお騒がせなピアノ・ロックのエルトン・ジョンも名を連ねていた。彼もまた、このトラバドールからデビューしたアーティストの一人だったのだ。
 2019年に公開されたエルトン・ジョンの伝記映画『ロケットマン(Rocketman)』(2019年)では、当時の様子がヴィヴィッドに描かれている。もちろんのこと、不朽の名曲「僕の歌は君の歌(Your Song)」誕生の瞬間もシーンとして出てくるのだけれど、周知のように同性愛者であるエルトンは、曲作りのパートナーである作詞家バーニー・トーピン(シンガーとして自身のアルバムも発表している)への想いを、必死で友情へと昇華させていった。

“気にしないでほしいんだ/歌に気持ちを込めてしまったこと/君がいるだけで人生がどれだけ素晴らしいかってことを――”

 詞を書いたのはもちろんバーニーなのだけれど、この歌の詞はまさにエルトンの心情を映し出したものだといえるだろう。映画でも、一度は喧嘩別れしたバーニーだけど、彼こそが永遠の友だと自認するところで幕がおろされているくらいなのだから。
 両親から愛情を得られずつねに孤独を感じ、同性のパートナーにビジネス面で裏切られ、異性との結婚には失敗し、アルコール中毒、ドラッグ依存、自殺願望へと耽溺していく天才アーティスト。エルトン・ジョンというスーパースターであることと孤独な同性愛者レジー(本名の愛称)であることの狭間で引き裂かれた半生を、自ら総合プロデューサーとして描いた映画だった。

 そんなエルトン・ジョンを何かのアイコンとして小説世界に登場させた作品って、でもしかし、これまであったかしらん。すぐには思いあたらず、そんなことをつらつらと考えていた矢先に出会ってしまったのが、エルヴェ・ル・テリエの『異常アノマリーL’Anomalie)』(2020年)だった。フランスで刊行されるや大ベストセラーとなり、その年のゴンクール賞を受賞した小説である。
 1903年からスタートしたゴンクール賞というこの文学賞、その年もっとも独創的だった散文(小説)に贈られるフランスでもっとも権威ある賞で、歴代受賞者も、マルセル・プルースト、アンドレ・マルロー、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、パスカル・レネ、マルグリット・デュラスといった文学史に名を残す顔ぶればかり。なかには、『その女アレックスAlex)』(2011年)でおなじみピエール・ルメートルの『天国でまた会おうAu revoir là-haut)』(2013年)などというミステリー畑のものも選ばれているが、同賞でのエンタテインメント系作品の受賞は珍しいらしく、ましてや40カ国以上に翻訳紹介されたベストセラー・タイプの作品というのは稀なのだという。

 物語は、パリからニューヨークへと向かう旅客機が乱気流に呑み込まれたことから、すでに到着している便とは3カ月遅れで、まったく同じ飛行機と乗客が現れてしまうという異常事態が巻き起こす人間ドラマを描いたもの。SF的設定のミステリーともホラーともヒューマン・コメディともとれる、何ともジャンル分けしづらい作品だ。

【以下の部分で物語の展開に触れています。ご注意ください】
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 すでに3カ月前にニューヨークへ到着している乗客たちと後続で到着した乗客は、氏名・性別ばかりか、DNAまでそれぞれに一致する人々だった。時間の歪みに紛れ込んでしまったからなのか、分身ダブルのようにまったく同じ人間たちが3カ月の時を経て同じ世界に存在することになってしまったのだった。
 当初はこの異常な状況を当事者たちには伝えずにいた国防総省の関係者たちも、次第に事態を受け入れざるを得なくなり、この究極の“検討された状況にあてはまらないケース”を〈プロトコル42〉と定め、緊急事態として対処することを決定。先に到着した便のグループをマーチ(3月着)、後から到着したグループをジューン(7月着)と便宜上の識別コードで区別しつつ、個別に聴取を開始する。
 やがてマーチとジューンを一堂に集めて互いに引き合わせるイベントまで行われて、各ダブルの対面には悲喜こもごもの感情が湧きおこることになる。というのも、この3カ月の間にも運命の時間はとどまってはおらず、それぞれの人生にわずかな相違が生じていたからだ。癌で余命いくばくもない自身のダブルを病床で目の当たりにする男。恋人である男性に3カ月先に到着しただけのマーチのほうを選ばれてしまう女性。遺作となる(小説内)小説『異常』をのこして自殺しようとする作家。そして、この世から自らの存在を消すためにダブルを殺し、自分が死んだことにしようとする殺し屋――。
 宗教家や思想家、様々な分野の学者を巻き込んで、事件が国家を超えて国際的な問題へと転じていくなか、狂信的な過激派グループはダブルたちを邪悪な存在としてこの世から葬り去ろうと実力行使にでるのだった――。

 飛行中の旅客機が忽然と消えてしまうというだけなら、2014年のマレーシア航空370便消失事件のように現実でも起きているのだけれど、二つに増えてしまう、つまり分身が現れてしまうという設定が本書の発想のユニークなところ。しかも、旅客機の乗客まるごと全員だ。消失によって生じるのとはまったく逆の意味での混乱を描いている。
 そうなると、列車事故をなかったことにしようとして地中に埋めてしまうどこかの国のように、余分な存在だから邪悪だとして殲滅してしまおうという思考へと向かう連中も多く現れてくるというのだ。
 そういえば、分身ということだと、それをテーマとした短篇を集めたマイケル・リチャードソン編『ダブル/ダブルDouble/Double)』(1987年)というアンソロジーが思い浮かぶ。ルース・レンデルの「分身(The Double)」やポール・ボウルズの「あんたはあたしじゃない(You Are Not I)」、エリック・マコーマックの「双子(Twins)」といった傑作短篇勢ぞろいだったと記憶している。だれもが自分の分身に相対すれば当惑する。自我の根本が揺らぐ。自分は複数存在しないはずで、その異常事態にたいして恐怖や畏怖が生じる。それはクローンの科学を本能的に恐れるのと似た感覚だろうか。そんなテーマの作品集だけに、恐ろしかった。
 人間というのは、自分にとって、似ていながら奇異な存在を恐れ忌避するもの。人形、人影、幽霊、ゴーレム、ゾンビ、吸血鬼――。
 スティーヴン・キングの『呪われた町Salem’s Lot)』(1973年)で描かれる吸血鬼は(それに献じた小野不由美の『屍鬼』に受け継がれているけど)、人類と敵対するたんなる超自然的な脅威でなく、マイノリティとして逆に虐げられていく存在としても描かれていた。恐怖の対象となるはずのものを殲滅すべき存在へと反転させてしまう怖さは、『異常アノマリー』でダブルが狂信者に殺される怖さと重なるように思えた。
 それは同じくキングの『シャイニングThe Shining)』(1977年)の続篇でありながら、また違った物語世界が展開される『ドクター・スリープDr. Sleep)』(2013年)にも同じことが言えるだろう。ヒロインである少女アブラが持つシャイニングの能力に気づいて生気を奪おうと目論む半不老不死カルト集団〈真結族〉トゥルー・ノット。彼らの末路にも通じる痛みだ。
 余談だけれど、デイヴィッド・ミッチェルの大作『ボーン・クロックスThe Bone Clocks)』(2014年)に登場する時計学者ホコロジスト隠者アンコライトという敵対する不死の一団もまた、〈真結族〉と同様に人間にとって脅威でありながら哀しい存在でもあったような。
  ル・テリエはこの“異常”な事件を描くことによって、人種、宗教、政治、思想、科学と、さまざまな問題が鮮烈に浮かび上がってくることを、そしてその事件に巻き込まれるそれぞれの登場人物をそれぞれの手法で描くことで、より大きな規模で世界の脆さを描こうとしたように思える。ハードボイルド小説的であったり、私小説的であったり、小説内小説などメタフィクション的な要素や、聴取記録だったりと、見せ方はさまざまながら、すべては人間ドラマに収斂していることは確かだ。

 さて、エルトン・ジョンだ。『異常アノマリー』のなかでも、とりわけ印象的なキャラクターの一人であるスリムボーイの章に、彼は登場する。
 アフリカンポップの人気アーティストであるスリムボーイは、同性愛者であることをひた隠しにし、やはりゲイであるセレブ女優スオミと契約上の恋人となっていた。アフリカの地域ではゲイ差別は苛烈で、スリムボーイには、恋人だった男の子が暴徒に焼き殺された過去がある。自身の性向を秘すことでメジャー・アーティストの仲間入りをした彼はいまや、大スターであるエルトン・ジョンとレコーディングで共演するほどの地位にあった。いざ共演にむけて、50年以上も歌いまわされてきた白人の作った歌だと思い、最初は見下すようにギターで練習し始めた「僕の歌は君の歌」だったが、弾きはじめるや歌詞の一言ひとことに胸を揺さぶられ、スリムボーイは涙を押さえられなくなる。ましてやエルトン・ジョンは、自分の性向を隠しもせず、それでもトップスターであり続けた存在だ。
 このエピソードだけでも、人種、性差、年代の違いをものともせずに心を動かすものがあるというメッセージがひしひしと伝わってくるではないか。しかもスリムボーイはその後、自分のダブルであるジューンと対面することになる。そこで彼が選んだ解決法はというと、これがまた心憎いのだ。

 エルトンの心情そのものを歌ったこの「僕の歌は君の歌」は、異性だとか同性どころか、人種、世代、国、音楽ジャンルを超えて、多くの人に愛され続けている歌だ。作中でも、ビリー・ポールからレディー・ガガまで、どんな歌手も一度はカバーする曲だという記述がある。著者のル・テリエが数あるアーティストのなかからエルトン・ジョンを選び、小説のなかに登場させたのも、もしかしたらマジョリティにたいして、ある意味つねに“異常”でありながらも、彼が稀有の才能を発揮し輝き続けた存在だったからかもしれない。
 そして、きわめてクールに、これだけの多くの悲劇も物語のなかに描きながら、メッセージソングとしてフランスの歌ですらない、そしてそっと寄り添うように心優しい「僕の歌は君の歌」を選んだことにも、作者による大きな意味づけがある気がしてならない。

◆関連書籍

◆YouTube音源
■”Your Song” by Elton John

*「僕の歌は君の歌」。1971年発表当時のライヴ演奏。

■”Your Song” by Lady Gaga

*レディ・ガガによる「僕の歌は君の歌」。トリビュート・アルバムで同曲をとりあげているが、こちらはライヴ演奏。

■”Your Song” by Rod Stewart

*ロッド・スチュアートによる「僕の歌は君の歌」。2013年発表。

■”Goodbye Yellow Brickroad” by Elton John

*映画『ロケットマン』で幾度となく流れる1973年のヒット曲「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」。アルバム『黄昏のレンガ路』に収録。

◆関連CD
■”Elton John” by Elton John


*1970年に発表されたエルトン・ジョンの2枚目のアルバム『僕の歌は君の歌』。タイトル曲は歌詞を渡されて15分ほどで書き上げたが、全英7位の大ヒットとなった。

◆関連DVD
■『ロケットマン』


*エルトン・ジョン自身が総合プロデューサーとして製作した年の2019年のミュージカル映画。映画『キングスマン』シリーズで人気のタロン・エガートンがエルトン役の主演に抜擢され、圧倒的な歌唱力を披露している。

■■映画『ロケットマン』本予告

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

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